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遊び心

日々の生活や遊び、世の中の動きについて思ったことをとりとめもなく書いていこうと思います。

$遊び心-青山別邸バス停

旧青山別邸は海岸線から300m程内陸(とも言えないか)に入ったところにある、鰊で財を築いた青山さんの別邸だったところ。
本邸は海岸近くにあったそうで、今は札幌の開拓村に移築されています。
それにしてもほんの2~300mしか離れていないところに別邸とは、なんともはや。

ここはもちろん単独で行くと入場料を払わねばならないのだが、もちろんこのタイムトリップには入場料が含まれている。
この建物の中には、何でも鑑定団をよく見る方なら手を叩いて喜びそうなお宝がこれでもかとばかりに展示されている。もちろん全部本物。
個人で行くとガイドも付かないだろうけれど、このようなツアーを利用すると、しっかりとガイドさんの説明を聴きながら見学が出来るので、とたんに見学の価値が高まるのだ。
施設内は撮影不可。
外の様子を撮影したのだが、なぜかデータサイズがその画像だけ大きすぎ、アップできなかったのが残念。

$遊び心-郵船前

お次は旧日本郵船の建物前で下車。
建物の中の見学は、急ぎ足でも40分は要するとのことで、このツアーでは入らない。
道路を挟んだ向かいの北運河(公園)で、写真を見せながら施設の説明と、運河の歴史を語ってくれるガイドさん。

$遊び心-あめちゃん配り

さて次へ行きます!とバスに乗り込もうとしたら、ガイドさんが何やら配っています。

$遊び心-あめだま

配られたのはこれ。飴屋六兵衛本舗の昔ながらの飴。
使用している砂糖も北海道の甜菜糖で、すごく優しい味。
バスの中で、いい歳した大人がみんな満足げに飴をなめている光景すらも、古き良き時代にタイムトリップ。

バスはいよいよ北のウォール街に入っていった。

つづく
今更だが・・・少し、GW中にあったことでも書いておこうと思う。

4月30日、僕の観光まちづくり仲間が企画に関わった定期観光バスに、他の仲間と乗車してきた。
『“ボンネットバスでタイムトリップ”小樽の明治・大正・昭和を訪ねて』という企画。

4月29日から始まり、10月10日まで随時運行するということで、僕らが乗車したのは運行2日目。
ガイドさんもまだ場慣れしていない感じではあったが、その様子がまた新鮮でもある。

9時過ぎに仲間とJR小樽駅横のバスターミナルで落ち合う。
$遊び心-集合

$遊び心-チケット

チケットをもらい、まずはターミナル内にある、新倉屋本店で花園だんごを1串。
もちろんこれも観光バスの料金に含まれている。

新倉屋さんは、裕次郎記念館の近くに工場併設の大きなお店があって、ここのだんごは柔らかくて、タレの甘さも上品。おまけに時間があれば、緑茶もサービスしてもらえて、スィーツフリークでもない自分も大のお気に入り店。

美味い美味いと食べているうちに、すっかり画像を取り忘れてしまった。笑

そうこうするうちに、各ホテルからお客さんを乗せたボンネットバスがターミナルに到着。
それらのお客さんも、まずは新倉屋でだんごをもらってから出発。

$遊び心-コックピット

運転席には懐かしさが漂う。
幼少の記憶には、ボンネットバスを利用したということはないのだけれど、エンジン音、床から伸びた黒いシフトノブがアイドリングの際にブルブル揺れる感じ、おそらくは手で打ち出したんじゃないかと思えるボディーの曲線なんかが、まるでバスと車窓の風景をセピア色にしているような、そんな感じがした。

出発と同時にガイドさんの語りが始まる。

$遊び心-ガイドさん

ガイドを務めてくれたのは、小樽の観光ガイドの資格を持った方。
衣装も鰊の法被で、鰊で栄えたころの風情を醸し出す。
話の端々にその知識の豊富さがにじみ出ていた。
小話の一つ一つに、いちいち感嘆の声をもらす僕ら。

さぁ、これから3時間程度のタイムトリップに出発。

心地よいエンジン音を響かせてバスは一路、旧青山別邸へ向かった。

つづく
4月10日 日曜日

久しぶりにゲレンデに行ってきた。
震災以降、どうしてもスキー場から足が遠のいてしまっていて、挙句に体を動かすようなことも出来ずにいたので、体調はどうしてもよろしくないし、精神的にも落ち着かなかった。

昼を過ぎてグランヒラフへ向かった。
ひらふ第1駐車場にはかなり車が停まっていた。

まずはセンター4。
乗り始めの頃の右土手はだいぶ雪が融けて、笹がおきてきていたが、ちょっと登るともう一面雪。

遊び心

黄砂でも降ったか、雪面はだいぶ薄汚れてしまっているが、シュプールの後にはまたキレイな白が出てくる。

そのままキング第3に乗り、勢いで第4へ。
進行方向左にはうっすらと洞爺湖の中島が見えた。
久しぶりの景色だ。

けっして青空ではなかったし、やや風が強いのも気にはなったが、数名が山頂を目指しているのを見て、衝動的に自分も登ることを決めた。

遊び心

僕が小中学校の頃、まだキング第4(=昔の高原第7)はなく、今は搬機の下ろされた高原第6を降り、1000mの鐘のところでビンディングを外し、そこからひたすら前のスキーヤーが踏み固めたブーツ跡をたどりながら登ったもんだ。
ノンストップで45分~60分程度だったと思うが、その頃の山頂は価値があった。
高原第7が出来、山頂までの所要時間が概ね15分程度となり、いきなり山頂の価値は暴落したわけだが、それでもピークから滑走するという行為はいまだに魅力的だ。

遊び心

いまやすっかりメタボオヤジとなり(いや、子供の頃から肥満少年だったが)、ノンストップで軽々と登りきれた15分は、時折心が折れそうになるほどの登坂となっていた。
足元は、ボーダーのソフトブーツ跡で、これが雪面を極めて歩きにくいものにしている。
ソフトブーツで斜面を歩いて登るというのも大変だろう。

かついでいたスキーを斜面に刺し、腰を下ろして休憩。
羊蹄山がきれいだ。

遊び心

ピークを振り返ると、スタート時には僕の少し前を登っていた数名が間もなく登頂という状況。
オイラも頑張ろうと腰を上げる。
尾根までたどり着くとすごい強風で、スキーとストックが煽られて飛ばされそうになる。
五色温泉を見下ろす西斜面はだいぶ雪が吹き飛ばされて、岩肌がむき出しになっていた。

風に追い立てられるようになんとか登頂。
しばしへたり込む。
爽快というにはちょっとシーズンを逃していたし、風も強く、ピークはうら寂しかったが、なんとなく前進する力のようなものが蘇って来たような気がした。

気合を入れて滑り降りる。
雪面は硬く、しかしうっすらとなかなかにいい感じの雪がのっていた。
下手になったなぁ・・・と思いながら、それでも気合を入れてターン。
ヒュッテ キングベルについたときには、脚が諤諤。

ヒュッテ前では春スキー名物、ジンギスカンを楽しむ数組。
さすがに一人では寂しいと、ヒュッテ内へ。
結局、勢いでスープカレーをオーダー。

遊び心

このスープカレーがぬるかった。
ピーク登頂のときの熱はすっかり冷め、ただスープカレーのぬるさに肩を落とした。
もうすぐ閉店時間で、客もまばらじゃ、サービスに気が入らないのも仕方ないのか・・・

やっぱりいろんな意味で“賑わい”は必要だなぁ・・・とへんなところで再認識し、スキー場をあとにした。

今シーズンは後何回すべりに行けるだろう・・・
手持ちの時間券は残りあと6時間だ。

今まで聞いたこともない単位なのに、いきなり発表されて、それがどういうもんだか理解も出来ないうちに、暫定的だけど危険値だから1歳未満の乳児には使ってくれるなといわれてしまう。

それで巷のミネラルウォーターが買い占められるわけだが、一方で、粉ミルクはミネラルウォーターに溶いて飲ませちゃならんと言われている。赤ちゃんは水に含まれるミネラル分をまだうまく分解し体外へ排出することが難しいからだ。

さて、この暫定基準値の2倍という数値を示した水道水は、『代替の安全な水が手に入らない場合は、飲んでも差し支えない』ということだ。
おいおい、飲んでもいいのか悪いのか、どっちなんだい。

とかく日本人って、なんでよくわかりもしないものであっても、明示された途端にあたかも納得したかのように、理解したかのようにそれを“盲目的に”受け入れてしまうのだろう。

例えば風邪薬。
『2つの抗炎症成分トラネキサム酸とイブプロフェンがつらい風邪症状のもととなる炎症を抑え・・・』
この風邪薬を手にする人の、いったいどれくらいの割合が、この虎猫サムちゃんとかAV女優のなり損ないみたいな名前のものを理解して購入しているんだろうか?
でも、しらなくったって、こんな風に書かれたらなんだか風邪に効きそうな、妙な説得力を持つから不思議だ。

言葉の力か、名前を付けられたら、途端にその存在感が増す。

それが風邪薬や肩こりの塗り薬なんか程度のことならいいとしよう。

でも、今回のベクレルやらシーベルトやらはどうもいただけない。
無駄にパニックを助長している気がする。
お役所の責任逃れの言葉もそうだ。『さしあたって影響はない』とか『他になければ飲んでも差し支えない』とか。

平時なら、それでも触らぬ神に祟りなしと、容易に回避は出来るだろう。
でも今はそれが困難だからパニックになるのだ。

で、とかく人はこうなったら物事に悲観的になって、そこから容易には抜け出せない。
ちょっとでもリスクがあると言われれば、それがどんな日常のリスクよりも低くても、そんなことは棚に上げて、しっかりとまるで目前に差し迫ったリスクであるかのようにしか認識しなくなる。

差し迫ったリスクでなければ、オフィシャルの発表は、もう少し内容を吟味すべきではないか。
すぐに発表しなければ、やれ情報を隠しているとか囃し立て、不信感ばかりを煽るマスゴミも考え物だ。

“暫定”を何十年も暫定のままにしておける常人離れした時間感覚を持った政治家・官僚も、しっかり確定に向けた検証作業を進めて欲しい。

で、みんなキチンとコミュニケーションをはかりましょうよ。
言葉足らずはダメ。挙げ足取りもダメ。

ベクレルでバックれてちゃなおさらダメですよ。
今更だが、まずもって被災された皆さんにお見舞い申し上げ、不幸にも命を落とされた方に哀悼の意を捧げます。

現地ではいまだ余震は続いているのだろうし、他の地域でも比較的大きな地震があり、原発のことも相まって不安は否応なしに増すばかりだ。

輪番停電と自重節電で都会のネオンは消え、自粛や不謹慎という言葉を持って、喜ぶことさえも公の前では憚られてしまう状態だけれど、こんな今だからこそ笑顔が溢れるような活動が求められているのだと思っている。

被災地へは、一時も早く生活物資を届けて欲しい。
要請がないから電池が届けられないなんて、バカの権化みたいなことを言ってないで、動ける栄養と情報、そして暖をとり就寝できる環境を提供してあげて欲しい。

そして、それと同時に娯楽を届けてあげて欲しい。
一時、苦痛と苦難を忘れ、笑いと余裕を抱きかかえられるように。

シンディ・ローパーが東京でのコンサートを開催することを決めた。
彼女は、彼女の歌こそ、音楽こそが、彼女なりに日本を元気にする事の出来る唯一のツールなのだと理解しているのだ。

チリの鉱山、あの地下数百メートルで彼らが希望を持ち続けることが出来たのには、もちろん様々な要因があるけれど、光ファイバーで送られたサッカー中継のような娯楽だってその要因の1つであったことに疑問の余地はない。

だからどうか、これ以上プロスポーツイベントは延期しないで欲しい。
この時期にPlayして喜びはしゃぐ姿を見せることに、娯楽を商売とすることに申し訳ない気持ちをもつということを否定はしない。
中には親族や友人といった大切な方が被災され、Playどころではないという選手もいるだろう。
しかし、その姿が多くの被災者や重い気持ちを抱える日本人に元気をあたえるのだということを理解して欲しい。
プロだったらプロらしく自分が出来ることを通じて、復興に貢献して欲しい。

そして、僕ら被災していない一般国民が出来ることは、日本の経済を少しでも沈滞させることのないようにすることだと思う。
停電・節電でネオンが消えるのは仕方ない。でも、心の中まで暗くする必要はない。


旅行に出ようとされていた方、どうぞこれ以上キャンセルなさらないでください。
企業人の皆さん、特に中間管理職から上の方、安全とわかっている場所へ社員が旅行することに、『万が一』というよくわからない理由を付けたり、世間の無意味な批難を恐れたりして、中止の圧力をかけるのは止めてください。


被災された方々への想いはしっかりと胸に抱きつつ、それでも我々は前進しなければいけないのだと言うことを心に刻もう。

1990年、僕がアメリカで学生をしていたとき。
冬休みにスキーツアーを企画し、NY州のスキーリゾートへ遊びに行ったときのこと。
折しも湾岸戦争の最中であった。

ホテルでの夕食時、レストランに集まった宿泊客の1グループ、たぶんどこかの大学生だったのだと想うが、からこんな提案があった。

『こうして今、私達はスキーを楽しむこと、美味しい食事を食べることが出来ているけれど、その一方でペルシャ湾では平和を守るために戦っている同胞がいる。ぜひ皆さん、彼らの無事を祈って黙祷を捧げましょう』

レストラン内は拍手に包まれ、僕らもその黙祷に加わった。
その後、とても和やかな雰囲気で食事は進み、その黙祷を呼びかけたグループもその場をエンジョイしていたのは言うまでもない。

それでいいのだと思う。
さぁ、みんな、前をしっかり向いて歩を進めよう。
もちろん、遊び心をしっかりと胸に抱いて。