次の見学場所は、いしやんが気を回して紹介してくれたコテージだった。
ふと、『ここもありだな』と思い浮かんだらしい。
そここそ、我々が今回宿泊してオフ会を楽しむこととなったコテージだった。
レストランとなっている大きなログハウスの横に、コテージ2棟と研修棟が建っている。そもそも宿泊を想定していなく、入浴施設のないコミュニティセンターとは違い、それぞれのコテージにはベッドもユニットバスもある。
コテージのひとつはもと喫茶店だったらしく、広々として、宴会をするのにもぴったりだ。
取り急ぎコテージを2棟とも予約してしまう。
コミュニティセンターに泊まらなくても済むことが確実になった一同は安堵したのだった。
昼飯は、富良野と言えばこの店。くまげら。店主は富良野の観光シーンにおいても重鎮なのだそうだ。
ここで、こだわりのカレーを食す。うめいうめい。
食したあとは、プチオフ。
それぞれさくさくっと怖い話を語る。
工藤ちゃんの浮いた話(と言っても色恋沙汰の話ではない)はなかなか面白かった。
そうしているうちに、またもやいしやんがひらめいた。
そうだラジオ富良野に行こう。
これから富良野乃怪開催までの期間、ラジオ富良野で宣伝を流し続けられないかという提案だった。
さっそく携帯で2~3箇所電話してアポを取り付けるいしやん。
まったくもって機動力のある人だ。
程なくして来訪OKの連絡を受けた我々はドカドカとラジオ富良野の放送局へ乗り込んでいった。
いきなり見知らぬオヤジ方6人が乗り込んできて、困惑の具合を隠すことも忘れきょどるラジオスタッフ。
怪談ライブを行うという切り出しには、やはりイメージが湧かない様子であったが、いろいろと説明をしたりしていると、社長がやおら『そう言えば昔さぁ・・・』とご当地怪談をいきなり披露。
やっぱみんな好きなんじゃん。その場の雰囲気が一気に和む。
この時の訪問が、ライブ前日の情報番組内での告知&ファンキーさんの電話出演に繋がり、ライブの終了後の新たなビッグサプライズにつながっていく。
出来る事はぜひ協力いたしますという言質をとりつけ、富良野での活動は終了。
僕とtkさんは、まだ味覚のもどらないナビさんをトンカツ屋に拉致。
別れを惜しみながらいつまでもダラダラと車を走らせていた。
『1回みんなで会場を見に行くべや!』
ヘッドセットから聞こえてくる空気が沸き立った。
『じゃぁ、富良野でオフ会やっちゃう?』
『会場、どうするべ?』
『時間は?』
もう、みんなすっかりその気だ。
まずは会場をみんなに見てもらい、そのすごさを実感してもらいたかった。
そうすれば、それぞれに富良野乃怪開催のイメージを持つことが出来るはずだ。
そうすれば益々前進のための推進力を増すこと間違いないと思っていた。
結局参加者は、Pooh体長、Rinさま、ナビ副、tkテケ、直前に北海道組に加わった工藤ちゃん、そして俺の6名。
体長とRinさまは現地合流。工藤ちゃんはどデカイバイクで現地入り。ナビさん、tkさんは俺とともに珍道中だった。
ここでRinさま遅刻のハプニング。
その日は折しも、演劇工場で“帰國”という戦争で散った英霊が現代の日本に舞い戻って、その変わり果てように困惑する・・・というような内容の演劇が行われている真っ最中で、会場見学と打ち合わせに30分しか費やせない状況であった。
『ファンキーさん見たら喜びそうな劇じゃね?』
帰國のポスターを見ながら一同で盛り上がる。
会場内を見た一同は、予想に違わず言葉を失い目を輝かせていた。
その時、それぞれにファンキーさんがその舞台で語る姿をリアルに想像していたんじゃないだろうか。
体長はオープニングでファンキーさんが登場してくる際の演出をさかんにイメージしていた。
舞台上で少し打ち合わせをしている最中、2日ほど前から体調を崩していたナビさんがよろけてテープで固定されていた舞台装置を蹴って剥がしてしまった。
凍り付く関係者。
『じゃぁ、ちょっとロビーで話しましょうか』
冷静を装い舞台から降りるよう誘導する工場長の顔が若干引きつり気味だったのを俺とtkさんは見逃さなかった。
『だから、俺調子悪いって言ってたべや。それを誰も一言も“じゃぁ富良野行きは無理しなくていいですよ”らしき言葉を出さないんだもん。』
そんなハプニングを、mixi上でのやりとりを持ち出して笑いながら弁解するナビ副。
『いや~、無理しなくていいよって言ってほしいオーラはビンビン感じたんだけどさ、今日はナビさんがいてくれないとダメだったのさ。』
今更ながら、体調を気遣いながらも“その日までに体調を戻せ”としか書き続けなかった己のエゴイストさに苦笑いするしかなかった。
この富良野行きには、もう一つお楽しみがあった。
それはその時点で宿泊先の最有力候補であった、会場近くのコミュニティセンターの見学だった。
それは2階建ての比較的新しく大きめな建物で、1階は舞台付き板張り床の大広間。太鼓や舞踊なんかの練習にも使われているような広い会場。2階には40~50帖くらいとおぼしき畳間があり、学生の国際交流なんかでお茶会を開いたりもしている場所となっていた。
当然、みんなが寝るのは2階の畳間となるはずだった。
『実は、その畳間に出るって話があるんですよ・・・』
いしやんが少し声を潜め怪談っぽい雰囲気でそう言うのだが、いかんせん顔が笑っている。
『おっ、何よなによ!?』
話としてはこうだ。
その畳間は方角こそわからないが横に長い長方形となっている。
入口はその長い辺の中央あたりについて、そこから室内へ向かって左端に金太郎を素焼きで作ったような感じの人形がガラスケースに入れて床の間に置かれており、その反対側、右端のコーナーに鏡台が置かれている。
その人形側に霊道があるとかで、その畳間で何かイベントがあって画像を撮っても、そちら側に向けて撮った画像だけは、白くつぶれて使い物にならないのだとか。
『そういえば、ファンキーさん1人部屋を希望してたから、そこに寝かすべ』
『また体験談がひとつ増えるな!』
などと軽口を叩きながら建物に入る俺ら。
1階を確認し、2階へ上がる。
畳間の入口から左へ視線を動かし、その人形を確認する。
その人形はガラスケース内で身体を入口に向けるようにガラス面に対し斜めに立ち、こちらを睨んでいた。
なかなか目力があるなぁ・・・と思いながら部屋全体へ視線を移動させた。
俺のすぐ直前にその部屋へ入ったRinちゃんは、もう既に右端の鏡台の前に行っており、そ~っとという表現がしっくりくるような手つきでガラス面に布をかぶせていた。
みんなおもいおもいに画像を撮っては、写ったか?写らねぇか?などと盛り上がっている。
一通り見学を終えて、階下に降りる。
Rinちゃんが俺の所へ来て、『すっげ~手に汗かいてるんだけど・・・』と言って手のひらを触らせてくれた。
確かにじっとりと湿っている。
あのときその部屋で何が起きていたのかがわかるのは、次のSkype怪議においてであった。
ヘッドセットから聞こえてくる空気が沸き立った。
『じゃぁ、富良野でオフ会やっちゃう?』
『会場、どうするべ?』
『時間は?』
もう、みんなすっかりその気だ。
まずは会場をみんなに見てもらい、そのすごさを実感してもらいたかった。
そうすれば、それぞれに富良野乃怪開催のイメージを持つことが出来るはずだ。
そうすれば益々前進のための推進力を増すこと間違いないと思っていた。
結局参加者は、Pooh体長、Rinさま、ナビ副、tkテケ、直前に北海道組に加わった工藤ちゃん、そして俺の6名。
体長とRinさまは現地合流。工藤ちゃんはどデカイバイクで現地入り。ナビさん、tkさんは俺とともに珍道中だった。
ここでRinさま遅刻のハプニング。
その日は折しも、演劇工場で“帰國”という戦争で散った英霊が現代の日本に舞い戻って、その変わり果てように困惑する・・・というような内容の演劇が行われている真っ最中で、会場見学と打ち合わせに30分しか費やせない状況であった。
『ファンキーさん見たら喜びそうな劇じゃね?』
帰國のポスターを見ながら一同で盛り上がる。
会場内を見た一同は、予想に違わず言葉を失い目を輝かせていた。
その時、それぞれにファンキーさんがその舞台で語る姿をリアルに想像していたんじゃないだろうか。
体長はオープニングでファンキーさんが登場してくる際の演出をさかんにイメージしていた。
舞台上で少し打ち合わせをしている最中、2日ほど前から体調を崩していたナビさんがよろけてテープで固定されていた舞台装置を蹴って剥がしてしまった。
凍り付く関係者。
『じゃぁ、ちょっとロビーで話しましょうか』
冷静を装い舞台から降りるよう誘導する工場長の顔が若干引きつり気味だったのを俺とtkさんは見逃さなかった。
『だから、俺調子悪いって言ってたべや。それを誰も一言も“じゃぁ富良野行きは無理しなくていいですよ”らしき言葉を出さないんだもん。』
そんなハプニングを、mixi上でのやりとりを持ち出して笑いながら弁解するナビ副。
『いや~、無理しなくていいよって言ってほしいオーラはビンビン感じたんだけどさ、今日はナビさんがいてくれないとダメだったのさ。』
今更ながら、体調を気遣いながらも“その日までに体調を戻せ”としか書き続けなかった己のエゴイストさに苦笑いするしかなかった。
この富良野行きには、もう一つお楽しみがあった。
それはその時点で宿泊先の最有力候補であった、会場近くのコミュニティセンターの見学だった。
それは2階建ての比較的新しく大きめな建物で、1階は舞台付き板張り床の大広間。太鼓や舞踊なんかの練習にも使われているような広い会場。2階には40~50帖くらいとおぼしき畳間があり、学生の国際交流なんかでお茶会を開いたりもしている場所となっていた。
当然、みんなが寝るのは2階の畳間となるはずだった。
『実は、その畳間に出るって話があるんですよ・・・』
いしやんが少し声を潜め怪談っぽい雰囲気でそう言うのだが、いかんせん顔が笑っている。
『おっ、何よなによ!?』
話としてはこうだ。
その畳間は方角こそわからないが横に長い長方形となっている。
入口はその長い辺の中央あたりについて、そこから室内へ向かって左端に金太郎を素焼きで作ったような感じの人形がガラスケースに入れて床の間に置かれており、その反対側、右端のコーナーに鏡台が置かれている。
その人形側に霊道があるとかで、その畳間で何かイベントがあって画像を撮っても、そちら側に向けて撮った画像だけは、白くつぶれて使い物にならないのだとか。
『そういえば、ファンキーさん1人部屋を希望してたから、そこに寝かすべ』
『また体験談がひとつ増えるな!』
などと軽口を叩きながら建物に入る俺ら。
1階を確認し、2階へ上がる。
畳間の入口から左へ視線を動かし、その人形を確認する。
その人形はガラスケース内で身体を入口に向けるようにガラス面に対し斜めに立ち、こちらを睨んでいた。
なかなか目力があるなぁ・・・と思いながら部屋全体へ視線を移動させた。
俺のすぐ直前にその部屋へ入ったRinちゃんは、もう既に右端の鏡台の前に行っており、そ~っとという表現がしっくりくるような手つきでガラス面に布をかぶせていた。
みんなおもいおもいに画像を撮っては、写ったか?写らねぇか?などと盛り上がっている。
一通り見学を終えて、階下に降りる。
Rinちゃんが俺の所へ来て、『すっげ~手に汗かいてるんだけど・・・』と言って手のひらを触らせてくれた。
確かにじっとりと湿っている。
あのときその部屋で何が起きていたのかがわかるのは、次のSkype怪議においてであった。
それからは折に触れてSkypeでつながることが多くなった。
その時に抱えていた案件は、オフ会、インターネットラジオ放送、そして富良野乃怪。
その頃の僕らのSkype怪議はほとんど怪談をしなかった。
いや、する余裕があまりなかったと言った方が正確かもしれない。
でもいちいち充実と笑いには満ちていたと思う。
結局7月になって実現した札幌オフ会でも、前半分は怪談抜きでイベント会議だった。
5月の段階で、助成金目当ての子供達に向けた企画がボツとなった。
まずは、あてにしていた小学校の体育館が夏休み期間中に立替工事に入ることが決定していたことが明らかになり、それに伴い、その小学校でなにがしかの企画をすることが出来なくなった。
当然ながら、校舎が使えない事業に、前出の組織が持つ予算は使えない。
富良野市には子供達の演劇観賞を推奨するための予算があるのだが、これは前年度中に予算概要に含まれていないものに出すほど潤沢ではなかった。
正直、むかついた。
それは浅はかな考えで誰かの懐具合をあてにしてしまった、自分に対する憤りだった。
今まで誰かに依存しすぎたことで、どれだけ失敗してきたことか・・・
そんな傷みを忘れて、またついつい依存しようとしてしまった・・・
自分に対する憤りが落ち着くと、今度は開き直るくせがある。
会場は演劇工場。
ファミリーライブは小学生の子供達とその父兄、つまり小学校の体育館で聴くはずだった人たちを対象とし、完全なるボランティア事業とする。
その2点を心に決めた。
たぶんほとんどの親も子供もファンキーさんの話を聴いたことがないだろうし、Youtubeで検索すらしたことないだろう。
でも、一度でも聴いてもらえれば、それがどんなに素晴らしいものかわかってくれるはずだという確信があった。
まずは種をまく年にしようと思った。
たとえ赤字が出たとしても、かぶったっていいやと思った。
そう思えたのは、やはり僕と体長が富良野を訪れたときの、いしやんはじめみんなのウェルカムっぷりによるところが大きかったと思う。
体長は全てを受け入れてくれた。
体長には体長なりの意見や思いもあっただろうと思う。
でも、一言も差し挟まず、まるごと僕の意見を受け入れてくれた。
懐の広い漢だとつくづく思った。
きっと今まで様々な苦難を乗り越えてきたからこその漢気なのだろう。
赤字が出たら体長・副体長の3人でかぶる。
体長の説明を聞いていたナビさんも異存を差し挟まなかった。
『ま、なんとかなるしょや』
ナビさんの一言が、たちまちのもとにやや緊張気味であったSkypeの中の空気を、スッと軽く透明感のあるものに変えてしまった。
その時に抱えていた案件は、オフ会、インターネットラジオ放送、そして富良野乃怪。
その頃の僕らのSkype怪議はほとんど怪談をしなかった。
いや、する余裕があまりなかったと言った方が正確かもしれない。
でもいちいち充実と笑いには満ちていたと思う。
結局7月になって実現した札幌オフ会でも、前半分は怪談抜きでイベント会議だった。
5月の段階で、助成金目当ての子供達に向けた企画がボツとなった。
まずは、あてにしていた小学校の体育館が夏休み期間中に立替工事に入ることが決定していたことが明らかになり、それに伴い、その小学校でなにがしかの企画をすることが出来なくなった。
当然ながら、校舎が使えない事業に、前出の組織が持つ予算は使えない。
富良野市には子供達の演劇観賞を推奨するための予算があるのだが、これは前年度中に予算概要に含まれていないものに出すほど潤沢ではなかった。
正直、むかついた。
それは浅はかな考えで誰かの懐具合をあてにしてしまった、自分に対する憤りだった。
今まで誰かに依存しすぎたことで、どれだけ失敗してきたことか・・・
そんな傷みを忘れて、またついつい依存しようとしてしまった・・・
自分に対する憤りが落ち着くと、今度は開き直るくせがある。
会場は演劇工場。
ファミリーライブは小学生の子供達とその父兄、つまり小学校の体育館で聴くはずだった人たちを対象とし、完全なるボランティア事業とする。
その2点を心に決めた。
たぶんほとんどの親も子供もファンキーさんの話を聴いたことがないだろうし、Youtubeで検索すらしたことないだろう。
でも、一度でも聴いてもらえれば、それがどんなに素晴らしいものかわかってくれるはずだという確信があった。
まずは種をまく年にしようと思った。
たとえ赤字が出たとしても、かぶったっていいやと思った。
そう思えたのは、やはり僕と体長が富良野を訪れたときの、いしやんはじめみんなのウェルカムっぷりによるところが大きかったと思う。
体長は全てを受け入れてくれた。
体長には体長なりの意見や思いもあっただろうと思う。
でも、一言も差し挟まず、まるごと僕の意見を受け入れてくれた。
懐の広い漢だとつくづく思った。
きっと今まで様々な苦難を乗り越えてきたからこその漢気なのだろう。
赤字が出たら体長・副体長の3人でかぶる。
体長の説明を聞いていたナビさんも異存を差し挟まなかった。
『ま、なんとかなるしょや』
ナビさんの一言が、たちまちのもとにやや緊張気味であったSkypeの中の空気を、スッと軽く透明感のあるものに変えてしまった。
北海道の4月はじめの路面状況は、ある意味真冬のそれよりもたちが悪い。
路面は概ねアスファルトが見えてはいるものの、所々雪解け水がそのまま透明に氷結しているところがあり、それがカーブの途中であろうと、下り坂であろうと場所を選ばす出現する。
ゆるい右カーブのトンネルの富良野側出口で、外側へ滑り出すフロントタイヤ。
タイヤがグリップするまで、しばしそのスケーティングに身を任せ、グリップの具合やら車体の向きやらを考えてカウンターを切り難を逃れた。
確かそこは“出る”と噂のあるトンネルだったか・・・
北の峰の7/11で体長と合流し、いしやんの勤める、観光協会へ向かった。
そこでは、いしやんの紹介で、小学校PTAで組織する、校舎を使って子供達にスペシャルな体験をさせようという事業を数々行っている方とお会いして、子供達に向けた怪談イベントを行えないかお話をした。
この時点では、なんとかチケット売り上げ以外の収入を得て、ファンキーさんのギャラを捻出するなり、全体経費の負担軽減が出来ないかという、今にして思えば少々姑息な想い満々での打ち合わせだった。
我々の提案を聞いた相手の反応はかなり好感触。
プロの(プラ)モデラーという体長の、このエリアにおける存在感は特筆すべきもので、打ち合わせの前段1/3は体長のプラモデル展示会に絡む話だったと記憶している。
そんなこともあって、ぜひとも前向きに検討したいとの言葉をもらい打ち合わせ終了。
昼飯を食った後、いよいよいしやんお勧めの会場見学だ。
昼飯はぞうりのようなサイズのメンチカツ定食。
『ファンキーさんに食わせたら喜ぶベな!』
『じゃぁ、ライブの時の昼飯は、全員でここだな!』
などと盛り上がりながら食した。
会場案内の第1弾は、今回の舞台となった富良野演劇工場。
いしやんに紹介された工場長に企画の趣旨と内容を伝える。
はじめはやや戸惑い気味に、目をクリンと見開き、僕と体長を交互に見ていた工場長だったが、さすがにエンターテイメントに対する嗅覚が鋭いのだろう、『なんだか面白そうだぞ』という、興味津々な表情に変わっていくまで時間はかからなかった。
『まずは会場を見てみますか』
工場長の案内で、どこかの音楽教室の発表会が行われている場内へ。
一般来場者のための扉を開き、内へ一歩足を踏み入れた僕らは一瞬でこの会場の虜になった。
いちいち「すげー!」を連発しながら、会場選定に関し言葉を交わさずとも、お互いに『ここしかねーだろ』と思っていた。
8月13日の空き状況を確認する。
例年、お盆は特に使われてはいないのだという。
やはり予約は入っていないが・・・
PAのデジタル化に伴い入れ替え工事が行われ、その完了が12日なのだという。
『じゃぁ、新PAの杮落としイベントになるんですね』
とはしゃぎ気味になる僕らとは対照的に、工場長は僕らにPA操作に慣れた人間がいないことをやや気にかけているようだった。
演劇工場を後にして、僕らは郊外の山部地区へ向かい、築100年を超え、閉校後は芸術家のアトリエとして使われている校舎や農業センター等を案内してもらった。
それぞれの建物には、それなりに魅力があり、特にその古い校舎の体育館でライブを行うと言うのも非常に趣のあるものに感じられたが、心は確実に演劇工場にロックオンされたままだ。
施設を見学するたびに、体長がそこの管理をされている方に、そこで起こった怪談話はないか聞く。
困惑すると思いきや、『実はあるんですよ・・・』と語りだす担当者の表情が喜んでいる。
みんな好きなんだなぁ・・・
それにしても印象に残ったのは、趣旨と内容を聞かされた全員が全員、楽しそうなイベントですねと言ってくれること。
お世辞にではない。心底興味を持ってくれているのがわかる。
そして、怪談ではないにせよ、今まで既に音楽や語りのイベントをそれぞれしっかりと受け入れていたということ。
倉本聰がこの地に植えた“文化”という植物は、いまや太くて頑丈な幹に、たくさんの枝葉をつけて、この地のシンボルツリーになっていた。
施設の見学を終え、男二人でケーキを食すフラノデリス。
撮影した画像をチェックしながら、それぞれの施設でイベントを行うとすればということを念頭にいろいろイメージしてみるが、はやり心の中の中心には演劇工場があった。
帰り道、同じトンネルで同じようにスリップする俺の車。
『これもネタに出来るべか?』
運転している俺の頭の中は、もう次のスカイプ怪議のことでいっぱいだった。
路面は概ねアスファルトが見えてはいるものの、所々雪解け水がそのまま透明に氷結しているところがあり、それがカーブの途中であろうと、下り坂であろうと場所を選ばす出現する。
ゆるい右カーブのトンネルの富良野側出口で、外側へ滑り出すフロントタイヤ。
タイヤがグリップするまで、しばしそのスケーティングに身を任せ、グリップの具合やら車体の向きやらを考えてカウンターを切り難を逃れた。
確かそこは“出る”と噂のあるトンネルだったか・・・
北の峰の7/11で体長と合流し、いしやんの勤める、観光協会へ向かった。
そこでは、いしやんの紹介で、小学校PTAで組織する、校舎を使って子供達にスペシャルな体験をさせようという事業を数々行っている方とお会いして、子供達に向けた怪談イベントを行えないかお話をした。
この時点では、なんとかチケット売り上げ以外の収入を得て、ファンキーさんのギャラを捻出するなり、全体経費の負担軽減が出来ないかという、今にして思えば少々姑息な想い満々での打ち合わせだった。
我々の提案を聞いた相手の反応はかなり好感触。
プロの(プラ)モデラーという体長の、このエリアにおける存在感は特筆すべきもので、打ち合わせの前段1/3は体長のプラモデル展示会に絡む話だったと記憶している。
そんなこともあって、ぜひとも前向きに検討したいとの言葉をもらい打ち合わせ終了。
昼飯を食った後、いよいよいしやんお勧めの会場見学だ。
昼飯はぞうりのようなサイズのメンチカツ定食。
『ファンキーさんに食わせたら喜ぶベな!』
『じゃぁ、ライブの時の昼飯は、全員でここだな!』
などと盛り上がりながら食した。
会場案内の第1弾は、今回の舞台となった富良野演劇工場。
いしやんに紹介された工場長に企画の趣旨と内容を伝える。
はじめはやや戸惑い気味に、目をクリンと見開き、僕と体長を交互に見ていた工場長だったが、さすがにエンターテイメントに対する嗅覚が鋭いのだろう、『なんだか面白そうだぞ』という、興味津々な表情に変わっていくまで時間はかからなかった。
『まずは会場を見てみますか』
工場長の案内で、どこかの音楽教室の発表会が行われている場内へ。
一般来場者のための扉を開き、内へ一歩足を踏み入れた僕らは一瞬でこの会場の虜になった。
いちいち「すげー!」を連発しながら、会場選定に関し言葉を交わさずとも、お互いに『ここしかねーだろ』と思っていた。
8月13日の空き状況を確認する。
例年、お盆は特に使われてはいないのだという。
やはり予約は入っていないが・・・
PAのデジタル化に伴い入れ替え工事が行われ、その完了が12日なのだという。
『じゃぁ、新PAの杮落としイベントになるんですね』
とはしゃぎ気味になる僕らとは対照的に、工場長は僕らにPA操作に慣れた人間がいないことをやや気にかけているようだった。
演劇工場を後にして、僕らは郊外の山部地区へ向かい、築100年を超え、閉校後は芸術家のアトリエとして使われている校舎や農業センター等を案内してもらった。
それぞれの建物には、それなりに魅力があり、特にその古い校舎の体育館でライブを行うと言うのも非常に趣のあるものに感じられたが、心は確実に演劇工場にロックオンされたままだ。
施設を見学するたびに、体長がそこの管理をされている方に、そこで起こった怪談話はないか聞く。
困惑すると思いきや、『実はあるんですよ・・・』と語りだす担当者の表情が喜んでいる。
みんな好きなんだなぁ・・・
それにしても印象に残ったのは、趣旨と内容を聞かされた全員が全員、楽しそうなイベントですねと言ってくれること。
お世辞にではない。心底興味を持ってくれているのがわかる。
そして、怪談ではないにせよ、今まで既に音楽や語りのイベントをそれぞれしっかりと受け入れていたということ。
倉本聰がこの地に植えた“文化”という植物は、いまや太くて頑丈な幹に、たくさんの枝葉をつけて、この地のシンボルツリーになっていた。
施設の見学を終え、男二人でケーキを食すフラノデリス。
撮影した画像をチェックしながら、それぞれの施設でイベントを行うとすればということを念頭にいろいろイメージしてみるが、はやり心の中の中心には演劇工場があった。
帰り道、同じトンネルで同じようにスリップする俺の車。
『これもネタに出来るべか?』
運転している俺の頭の中は、もう次のスカイプ怪議のことでいっぱいだった。
ファンキーさんから北海道での怪談ライブ開催を打診された僕らは色めきたった。
8月13日、お盆の入りの日だという。
『札幌ですよねぇ』
僕らはライブ開催=集客の容易さということで、大方他のライブ興行がそうであるように、なんの疑いも持たず、そう考えた。
しかしファンキーさんの希望は、なんと富良野。
集客できるだろうか?
そもそもどこで開催しようか?
一瞬、色めきの一部が困惑に変わる。
僕らは最初から身内の会を開こうなんて、これっぽっちも思っていなかった。
Skypeで繋がったメンバー全員がイメージしていたのは、ファンキー中村独演会だったろうと思う。
つまり、ギャラが発生するのだ。
富良野にそんなに人を呼べるのか?
う~ん・・・言葉が出なかった。
『ファンキーさん、富良野に思い入れがあるんだってよ』Pooh体長のその言葉が、開催地決定のファイナルアンサーだった。
開催地のことでさらに迷っている場合ではない。
富良野と決まれば、イベント会場を選定し、その後の宿泊を含め、様々な手配をかけていかなければならない。
夏のトップシーズンど真ん中の富良野なのだ。
特に会場・宿泊先の手配は先延ばしには出来ない。
富良野の観光シーンは、夏がメインだ。
夏にどれだけ稼げるかで、その年の売り上げが決まってくると言っても過言ではない。
冬にリカバリーは効かないのだ。
それゆえに、宿泊施設は夏の集客に力を入れる。
そして北海道観光は旅行代理店への依存度が高い。
夏の北海道観光のメインは、概ね2泊3日からのレンタカープランだ。
道外客はザックリと2泊分の宿だけ決め(宿は朝食つきプラン。夕食は思い思いのところで摂る。)千歳空港に降り立ち、そこでレンタカーに乗り北海道を巡るわけだが、当然ながら富良野・美瑛は“必ず”と言っていいほどそのドライブルートに組み込まれるし、それに伴って富良野の宿は予約で埋まる・・・。
その時点では、ライブ後の打ち上げ=全国オフ会という想定で動いていたため、ライブに来て宿が取れないという状況だけはなんとしても避けなければならないという危機感が僕と体長の間にはあった。
ニュー富良野プリンスホテルでのライブ&オフ会という線が浮上するが、我々の予算とは合わず、候補から消える。
『寺でやるってのはどう?』
僕が初めて行った怪談ライブは、稲川淳二のそれ。
高校を卒業して東京に出て迎えた初めての夏のことだった。
確か、中野坂上にあったお寺の本堂だったと思う。
参加者はみんな座布団に座る。50名もいただろうか。
稲川さんはというと、僕らの目の前にしつらえた高座の座布団に座って話す。
1部と2部があり、僕は計画的に2部のチケットを買い、1部の入場に合わせて入場の列に並び、見事に2部の1番手をゲット。
窓越しに証明の色が変わる中でオーバージェスチャーで話す稲川さんの姿を見ながら、ひたすらに2部の始まりを待った。
演目自体は1時間半もあっただろうか。
それでも、すぐ目前で語られる稲川さんの話を、恐怖で顔を歪ませながら満喫したあのときを思い出していた。
しかし、お寺のコネクションがない。
ひょっとしたらとGoogle Mapで探した浄土真宗本願寺派のお寺は、はたしてそんなところで開催して人が来れるのか?と悩んでしまうような富良野の外れにあった。
僕らはまた言葉を失った。
自分達ではどうすることも出来ないことを悟った僕らは、観光協会で働くいしやんの存在にすがってみることにした。
怪談と聞いて、どんな反応を示すだろう?
拒否反応なんか起こされないだろうか・・・
不安をこらえメールをしてみたが、すぐに来た返信は、僕らに希望の光りを見出させるのに十分すぎるほどにポジティブなものだった。
そのメールには、イベント開催を歓迎することだけではなく、既に様々な開催形態を考えた会場提案が記されていた。
『まずは富良野に行ってみましょうよ』
4月頭、僕と体長は富良野で会うことにした。
8月13日、お盆の入りの日だという。
『札幌ですよねぇ』
僕らはライブ開催=集客の容易さということで、大方他のライブ興行がそうであるように、なんの疑いも持たず、そう考えた。
しかしファンキーさんの希望は、なんと富良野。
集客できるだろうか?
そもそもどこで開催しようか?
一瞬、色めきの一部が困惑に変わる。
僕らは最初から身内の会を開こうなんて、これっぽっちも思っていなかった。
Skypeで繋がったメンバー全員がイメージしていたのは、ファンキー中村独演会だったろうと思う。
つまり、ギャラが発生するのだ。
富良野にそんなに人を呼べるのか?
う~ん・・・言葉が出なかった。
『ファンキーさん、富良野に思い入れがあるんだってよ』Pooh体長のその言葉が、開催地決定のファイナルアンサーだった。
開催地のことでさらに迷っている場合ではない。
富良野と決まれば、イベント会場を選定し、その後の宿泊を含め、様々な手配をかけていかなければならない。
夏のトップシーズンど真ん中の富良野なのだ。
特に会場・宿泊先の手配は先延ばしには出来ない。
富良野の観光シーンは、夏がメインだ。
夏にどれだけ稼げるかで、その年の売り上げが決まってくると言っても過言ではない。
冬にリカバリーは効かないのだ。
それゆえに、宿泊施設は夏の集客に力を入れる。
そして北海道観光は旅行代理店への依存度が高い。
夏の北海道観光のメインは、概ね2泊3日からのレンタカープランだ。
道外客はザックリと2泊分の宿だけ決め(宿は朝食つきプラン。夕食は思い思いのところで摂る。)千歳空港に降り立ち、そこでレンタカーに乗り北海道を巡るわけだが、当然ながら富良野・美瑛は“必ず”と言っていいほどそのドライブルートに組み込まれるし、それに伴って富良野の宿は予約で埋まる・・・。
その時点では、ライブ後の打ち上げ=全国オフ会という想定で動いていたため、ライブに来て宿が取れないという状況だけはなんとしても避けなければならないという危機感が僕と体長の間にはあった。
ニュー富良野プリンスホテルでのライブ&オフ会という線が浮上するが、我々の予算とは合わず、候補から消える。
『寺でやるってのはどう?』
僕が初めて行った怪談ライブは、稲川淳二のそれ。
高校を卒業して東京に出て迎えた初めての夏のことだった。
確か、中野坂上にあったお寺の本堂だったと思う。
参加者はみんな座布団に座る。50名もいただろうか。
稲川さんはというと、僕らの目の前にしつらえた高座の座布団に座って話す。
1部と2部があり、僕は計画的に2部のチケットを買い、1部の入場に合わせて入場の列に並び、見事に2部の1番手をゲット。
窓越しに証明の色が変わる中でオーバージェスチャーで話す稲川さんの姿を見ながら、ひたすらに2部の始まりを待った。
演目自体は1時間半もあっただろうか。
それでも、すぐ目前で語られる稲川さんの話を、恐怖で顔を歪ませながら満喫したあのときを思い出していた。
しかし、お寺のコネクションがない。
ひょっとしたらとGoogle Mapで探した浄土真宗本願寺派のお寺は、はたしてそんなところで開催して人が来れるのか?と悩んでしまうような富良野の外れにあった。
僕らはまた言葉を失った。
自分達ではどうすることも出来ないことを悟った僕らは、観光協会で働くいしやんの存在にすがってみることにした。
怪談と聞いて、どんな反応を示すだろう?
拒否反応なんか起こされないだろうか・・・
不安をこらえメールをしてみたが、すぐに来た返信は、僕らに希望の光りを見出させるのに十分すぎるほどにポジティブなものだった。
そのメールには、イベント開催を歓迎することだけではなく、既に様々な開催形態を考えた会場提案が記されていた。
『まずは富良野に行ってみましょうよ』
4月頭、僕と体長は富良野で会うことにした。