旭川西武が9月末で閉店します
これで35万都市の旭川に
百貨店がなくなります
寂しい限りです
申し遅れました
セールスが嫌いな保険屋の
まーしーこと大野雅志です
ちょっと、西武の話とずれますが
前回、
広島優勝のことを書きました
多くの人に愛され
多くの人に支えられている
広島東洋カープは
そんな球団ですと
書かせていただきました
多くの人 = ファン
そんな風に思います
広島には存続の危機がありました
何とかファンの力で回避しました
では、
旭川西武には
ファンがいなかったのか?
だから撤退するのか?
そんなことはないと思います
多くの人に
支えられてきたと思います
ですから、
旭川で40年続いたと思います
ではなぜ、
撤退するのか?
なぜだと思いますか?
話し換えますけど
ちょっと前、
朝の出掛に
撮鉄の話をテレビでみました
その話で結構多くのマスコミが
鉄道ファンと表現していました
鉄道マニアとの表現も
私はこの表現、記載に
違和感がありました
そもそもファンは
“そんなことしない”
と思いませんか?
では、
ファンって何だ?
と思い調べたら
ある記事を見つけました
記事をそのまま書きますね
ファンというのは、最初、
「なんとなくその人を見ていると
嬉しい」というところから始まり
「その人が活躍したり、いい成績を
出したりすると嬉しい」という
段階を経て、
「もう、ただ、その人が幸せそうなら、
活躍とか成績とかどうでもよくなる」
という境地に達するものだと思う
この文章見ると、
ファンは人間に対しての表現かな
そう感じました
物体に使ってもいいと思います
「なんとなく見ているとうれしい」
この表現は物体にも使えます
「活躍したりすると嬉しい」
電車なら多くの人を運ぶとか
かな?
「幸せそうなら」は、
物体に当てはまらない表現
ファンは
やはり人に対するのが適切だと
であれば、
鉄道ファンはおかしいか?
鉄道ファンと使うなら
鉄道にかかわっている人が
幸せであればいい
と思っている人
イメージつかみにくいけど
広島ファンなら
広島の選手が活躍すればうれしい
広島の選手が幸せであればいい
と思っている人
そんな感情を持ちつつ
自分の満足も満たしている人が
ファンではないでしょうか?
双方向の関係というか
自分もいて、相手もいるような感じ
なんとなくわかってください
駅員に怒鳴られた撮鉄は
自分の満足だけを満たしている人
相手のこと考えていない
ですから、
鉄道ファンという表現はおかしい
自分の満足だけでなく
対象や関係する人たちのことも
考えれるなら
ファンではないでしょうか?
旭川西武が40年続いたのは
西武がなくなると困る人が
西武が好きな人が
西武で物を買い続けたから
ではないでしょうか?
好きな対象のことも考え、
自分の満足も満たす
そういう人たちが多かった
ではなぜ、西武はなくなるのか?
それは時代が変化したため
ではないでしょうか?
一つ目は西武ファンの高齢化
ファンが高齢化になり購買力が落ちる
しかも、
少子高齢化で新しい購買層がいない
二つ目は価値観の変化
昔は西武(百貨店)で
買い物したり、食事するのが
ステータスでした
そのような価値観を持つ人が減った
だから西武百貨店でなくてもいい
比較的新しく登場した
大型複合施設で満足できる
また、
百貨店の商品はいいもので
安いものは悪いもの
つまり、安かろう、悪かろうと
思われていた
いいものを買うなら百貨店
と思われていた
近年は低価格で高品質な
商品やショップが出現した
あるいは、
低価格の品でも満足できるようになった
こんな感じだと思います
言い換えると
時代に合わせたファンの獲得が
できなくなったから
時代に合わせた価値を
提供できなくなったから
なんか、
こじつけも多いですが
こんな感じで西武は撤退するのかな
都市部では存続できるけど
地方都市での存続は難しいのかな?
当社も40年続いています
それは多くの人に
ささえられてきたからです
これからも、
多くの人に支えられて
100年を目指したいです
そのためには、
変化を受け入れることも
大事なことだと思っております
まだまだ
未熟で頑固なところが多く
意固地になったりしますが
信念は曲げずに変化に対応し
100年続くように頑張りたいです
まとまりなく、長々と
所信表明みたいになりました
最後までお読みいただき
ありがとうございました
したっけね~~(^◇^)