咎メ -中編- 3/4
張りつめた空気。目の前で起こった出来事に、誰もが放心した。
「シェディム‥‥」
希望は潰えていなかった。ベレトは目の前に立つ少年をその目に捉え、闇に埋もれつつあった未来に光が射してゆく感覚を覚えた。
左腕を失った時、早々にバエルの力を奪っておかなかったことを後悔した。だが、全てはこの時が訪れた時のため。
ベレトはこの時が来ることを信じていた。千年前の戦いの終結が、調度この日のこの場所だったからだ。
「ヨハネスはどこ?」
シェディムの問いかけに、掠れた声を絞り出しベレトは答える。
「ヨハネスはもういない。鍵なら、ここにある。やっと見つけたんだ」
両足を失い苦痛に悶えるバエルへと視線を下とし、ベレトは続けた。
「だが、本能に確かな歪みを感じた。こいつは連れていけない。シェディム‥‥この力は、お前が二千年後まで持っていけ。そのために生かしておいたんだ」
「そうだベレト。マルバスが森でサボってるみたいだよ。早くよばなくちゃ」
「シェディム」
感情を表さないその顔を伏せたシェディムに、ベレトは言う。微かな憂いを帯びた目で、シェディムを見つめながら。
「もう、目を反らすな」
二人の悪魔が会話を続けている頃、その場に立ち尽くすミハエルの元へとアルマロスが走り寄り、後ろからその肩を掴み言った。
「何をしているんだミハエル!」
「18枚‥‥18枚の翼だと?」
開き直ったような笑みを浮かべ、ミハエルはアルマロスへと顔を向けた。復讐の誓いなど既に消し飛ばされてしまったかのように、その顔にはまるで戦意を感じなかった。
「アルマロス‥‥この世界は」
「終わらないよ!君にはまだ守るべきものがあるだろう!エレーナを連れて早くここから逃げるんだ!」
希望を捨てるな、絶望に沈むなと、アルマロスは力強くミハエルを叱咤する。
諦めてはいない。果たして本当にそうだろうか。生命力、沸き上がる力の底の深さ、その強大さ、全て翼の数に比例していることはアルマロスも十分に知っていた。18枚の翼を持つ悪魔が現れた、その絶望の深さも。
これは、最後のあがきだ。
アルマロスのその意思を感じたように、ミハエルは再び微笑んだ。アルマロスの肩をぽんと叩く。
「‥‥ありがとう」
ほんの僅かな意志をその目に宿し、ミハエルは立ち去った。
アルマロスが再び三体の悪魔へと目をやる。立ち尽くす兵士達の茫然とした視線の先、バエルが何かを叫んでいた。
「どういうことだベレト‥‥なんだこのガキは!?俺は聞いてないぞ!」
声を裏返しながら、血を吐きながら、醜い姿と成り果てたバエルは地を這いずり、ベレトに向けて叫びを挙げる。
「ふざけんな!!こいつが『始祖シェディム』!?こんなやつのために、俺が生かされていただと!?」
足にしがみつくバエルを無視し、ベレトはバエルの背後に立つシェディムに向けて言った。
「聞かなくていい。シェディム」
「‥‥うん」
シェディムはそっと目を閉じた。胸の辺りから、ひとつの黒い玉が排出される。
「なんだ?」
アルマロスが見守る中、黒い玉はふわふわとバエルの頭上へ向かって浮遊する。
「ごめんなさい」
シェディムが目を開きながらそう言った瞬間、黒い玉は一瞬にして細長い針へと形を変えた。その先端は、深く、バエルの頭を貫いていた。
バエルは言葉を発することをやめ、目を見開きながらその動きを止める。硬直した腕はベレトの足を掴んだままだった。
その後黒い針は霧のように宙に溶け、シェディムの身体へと吸収された。
シェディムが小さな声で呟く。
「‥‥悪魔が悪魔を殺すのは、罪だって‥‥僕にそう教えたのは、ベレトだよ」
ベレトは答えることなく、疲労と苦痛からか、地面に膝を着いた。
バエルが死に、ベレトは虫の息。残る悪魔はたった一人。天使側の兵力はまだ数百にも及ぶ。世界を救うという誓いを思い出したように兵士達には生気が戻り、各々が武器を構え始めた。
右手に持つハウレスの剣で体を支え、ベレトは死ぬ前に伝えるべきことをシェディムに伝える。
「王族は生きている。恐らく、ミハエルという天使が連れて逃げるだろう。天使は十分に殺した。千年後、十分な数が増える程度に人口は残してある。この時代でやることは、もうない」
「そっか‥‥そうそう、残った二人はもう呼んであるよ。そろそろ着くんじゃないかな。マルバスには、断られちゃったけど」
「待て、あいつらは」
「戦わせないよ。でも、僕は知ってるから。生まれた時、助け合う誰かがそばにいないことの哀しみを。ここなら、ほら。ベレトも一緒だから」
「そうか‥‥お前も、すぐに来いよ」
微笑みを残し、ベレトは静かに倒れた。
「‥‥おつかれさま」
ベレトの死ぬ瞬間を見計らったかのように、不意にシェディムに向けて横風が吹き荒れた。ベレトの亡骸が地面を転がる。
髪と翼をなびかせながら、シェディムは風を起こした一人の男を冷めた視線で見つめる。
アルマロスは剣を両手に構えシェディムに向かって走り寄り、その剣を高く振り上げた。
「殺す!」
「ここじゃ死なないよ」
翼を広げ、風上に向かって跳び退くシェディム。その背後からは、槍を頭に突き刺したままのガブリエルが牙を剥き襲いかかる。さらに数十もの兵士が、武器を手にシェディムへと斬りかかった。
「そんなにはりきらなくても。どうせ僕は死ぬんだから」
瞬間、耳をつんざくような音と共に、半径十メートル程の黒い光の柱が、シェディムを包み込むように天から降り注いだ。
ガブリエルを含む辺りの天使達は消え去り、地面には底の見えない真円の傷を残した。
大気の震えが止み、18枚の翼の羽ばたく音が響く。
シェディムは宙に浮きながら、辛うじて逃れたアルマロスを見下すように睨み付けて言った。
「キミ、なんかむかつくなあ」
顔をしかめるアルマロスの目に、空に浮かぶ二つの黒い何かが映った。
「まだ残っていたのか‥‥!」
言いながら右腕を掲げ、風を起こし、空に浮かぶ二体の悪魔を引き寄せる。まだ幼くも見える二体の悪魔は落下し、地面に引きずられた。
悪魔の元へ近寄るアルマロスとシェディムの間に割って入るように、武器を構える兵士達。
「邪魔なんてしないよ」
倒れる女の悪魔に剣を振り上げるアルマロス。悪魔の目は、ひどく怯えているように見えた。
「‥‥くそ!」
ザクッ
「あああぁぁっ!」
急所を外してしまい、女の悪魔は血を撒き散らしながら地面の上で悶え苦しむ。
「ミランダ!」
男の悪魔が女に駆け寄り、その身体を抱き起こす。心の痛みを顔いっぱいに表したような、今にもべそをかきそうな顔で、男は女を見つめた。
「バカ‥‥何悲しんでるの?これは、いいことなんだよ」
「‥‥なんで」
なんで重なってしまうのだろう。こいつらは、
「敵だ‥‥悪だ!」
ザクッ。
ザクッ、ザクッ、ザクッ、ザクッ。
「ハァ‥‥ハァ‥‥」
返り血に染まった顔を、ふと空に向けた。もし誰かが、この姿を見ていたのなら。天は、僕を赦してくれるだろうか。
「ああ‥‥メアリー‥‥」
降り注ぐ黒い光に、アルマロスの肉体は消え去った。
*
・蘇生後
ベレト:蘇生人達と共に要塞の町に住む。住人をまとめるリーダー的存在に。(六・七・八)
ガブリエル:蘇生後要塞を脱出。一人放浪していた所をウィリアムに発見され灯台に招かれるが、住み着くことは断り、要塞付近の山脈で人目を避けて暮らす。(赦前2・赦前3・赦後1・赦後2・八・一終・九)
レミエル(ミランダ):蘇生人達と共に要塞の町に住む。(七・八)
バティン:同上(六・七・八)
ウィリアム(アルマロス):要塞にてネビロスと話し、メアリーの居場所を知る。その後メアリーや海岸の住人達と共に灯台に住む。(赦前2・赦後1・赦後2・六)