こっち行こう | 雲のような毎日を

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バイクトライアル、写真、登山、スノーボード、バイク、趣味のことを色々と書いています。

【NEOPAN 100 ACROS/EOS630 QD + APO70-300】


一本目の自家現像のフィルムからの写真です。
望遠で電柱を撮影したものが二枚ですが、それぞれピントが違います。

大した写真じゃないですが、ピントをどこに合わせるかで写真から伝わってくるイメージがかなり違ってくることが分かります。
それはそのまま撮影者の意図。

二枚の写真を比べると一枚目の方が明確に撮影者の意思が表せているというか、何か意図があってピントをここに合わせたのだろう、何を伝えたいのだろう、と見る人に一歩踏み込ませるような写真になっていると思います。

偉そうに写真を語るほどじゃないのは十分わきまえていますが、見たときに1ピース足りないような写真、見た瞬間に【?】と思わせて「何を伝えたかったのだろう」と考えさせるような写真が撮れるようになりたいと思っています。

足りない最後の1ピースは写真を見る人が感じたそれぞれの解釈です。
それを嵌めることで完成するような写真が撮りたいです。

私が感じる【上手い人の写真は】見る人の解釈が入る余地のある、最後の1ピースが空いている写真を撮る人の写真です。
それは、高画質でノイズが無くて綺麗で、色鮮やかで高解像のレンズとセンサーで撮影されたものではありません。
カメラぶれ、被写体ぶれ、被写体が見切れていたり水平が狂っていても、そうなってしまったのではなく、意図してそういう表現方法を使った写真だと感じさせるもの。
そして、撮影者はなぜこういう写真を撮ったのだろう、と見る人に自然と最後の1ピースを埋めさせる写真を撮る人。
上手い人は、フィルムでもデジタルでも上手いです。

多くの人がデジタル特有の、解像感があって色鮮やかで綺麗な写真を評価しますが、そういう写真は見る人の解釈が入り込む余地がないように感じます。
過去に撮影した私の写真もそんな感じ、「どう?綺麗でしょ?」といった押しつけの写真。

デジタルだと楽が出来るので簡単にそっちに流されてしまうような気がして、あえて私はモノクロフィルムで写真を撮るようになりました。
最終出力がデジタルなので説得力無いですが、最近写真に対してそういう風に考えるようになりました。

写真は一生の趣味、足腰立たなくなるまで続けようと思っているので、少しずつ上手くなればいいかなと思っています。





こんなに偉そうに写真を語るつもりじゃなかったのになあ、雪が降らない冬のせい。