過去と未来について。
過去があるから未来に繋がる。
けれど、
未来が原因で過去が結果だという
考え方があるようだ。
未来のこの出来事が起きるために、
過去のその時にその出来事が起こっている、と。
数年前に学んだときは、
狐につままれたようだった。
なんの為にそう解釈する必要があるのかが
全くわからなかった。
少しずついろんな学びを重ねて来た。
人から学ぶだけでなく、
日々の生活の中からの学びも含めて。
私たちはこの世に生まれ落ちる前、
神様と約束をするという説がある。
今世これだけのことを体験し学んで参ります、
と言うように宣言して生まれてくるらしい。
それが本当かどうかはわからないが。
それはブループリントと言う名前で
呼ばれることもある。
この世の空気を吸った途端に
その記憶がなくなるらしい。
けれど最初の約束通りの経験を
積むべく毎日を過ごしていく。
それが何かはわからないけれど。
ある日、
自分の使命と言うものにたどり着き、
積極的にその道を進んでいくように
なるらしい。
そうであるならば、
決められた未来の到達点が原因であり、
コツコツ積み上げていく中での
その一コマこそが結果となるという
考え方が出来る。
人生のサイクルは9年だと聞いた。
今年は世の中にとって
始まりの年であるそうだ。
1年毎に成長していくための課題があり、
9年で完成となるサイクルだと教わった。
この事を知る前から、
今年という年は私の人生にとって、
まさしく出発の年であると思っていた。
昨年で一区切り付いていて、
今年は羽ばたく年だと感じていた。
そして今年が9年サイクルの
始まりの年と聞いたとき、
体に電流が走った気がした。
なぜなら9年前、
そのさらに9年前は、
私にとって大きな意味を持つ年
だったからだ。
今51歳。
9年前は42歳。
さらに9年前は33歳。
その前は24歳。
そして15歳。
6歳。
6歳。
小学校に入学し義務教育を
受け始めた。
大きな記憶として残っている事は
緊張していた入学式でのこと。
ショートカットでワンピースを着て
講堂の椅子に座っていた。
担任の先生が一人一人に名前の確認し、
私に「菅沼くん」と呼びかけた。
男の子じゃないです、と言った
私の顔を見てすぐに謝ってくださった。
考えてみれば、
なかなかユニークな小学校生活の始まりだった。
そして初めての個人面談から帰ってきた母から
「佳子ちゃんは休み時間の度に
私のところへ来てくれて、
たくさんお話をしてくれるのだけれど、
声が小さすぎて何を言っているのか
聞き取れないんです、と先生が言ってたよ」
と聞いた。
先生何にも聞いてくれてなかったんだ、
何故聞こえているふりをしていたのだろう。
明日からどうすれば良いんだろうという
悩みが身体中をぐるぐるした。
15歳。
高校一年生。
転勤族だった父の転勤の時期との兼ね合いで、
中三の10月から大阪の祖母の家で
一人で過ごした。
無事義務教育を終えて、
行きたいと思ってもいなかった
地元の高校に入学した。
まだ新設で、
5期生として入学した学校は、
他の学校とちょっと変わっていた。
ここは普通科でなくて
体育科だったのではと友人と話をするほど
体育が厳しかった。
体育の初めての授業の後、
気分が悪くなり保健室へ行った。
心配をかけないように
こっそりと行ったつもりなのに、
それを当の体育の先生に
見つかるというなんとも心地の悪い
思いをした。
自分が情けなく思えた。
24歳。
短大を卒業して会社に勤めていた。
何故か私は一つの課を長く勤めることなく、
先輩方の退社で空いた席に次々座っていた。
結果、スペシャリストではなく
オールラウンダーになっていた。
この年、
新しく開設される事務局のメンバーに
抜擢していただいた。
それも大好きな上司からのお誘いだった。
事務職であった私は、
この職場ではさらに色んな事に
挑戦させて頂き、
総合職の方しかつけない職務も
経験できた。
会社においては先駆け的な事を
させていただいた。
数年後結婚が決まった時、
あまりよく知らない別の事務局の
後輩からも驚かれた。
しかも、
主人の仕事の関係で大阪を離れるため
仕事を辞めないといけない。
寿退社。
私に一番似合わない言葉だった気がする。
33歳。
何故か10代の頃からこの年齢に憧れていた。
早く33歳になりたかった。
そしてイメージは
幼稚園の子供の手を引いて歩くママ。
たったこれだけのイメージだけど、
とても憧れていた。
そのイメージにいたのは
ママである私と子供。
パパはいなかった。
実際にこの年は、
4歳と2歳の女の子と
お腹の赤ちゃんとともに
過ごした年となった。
パパは存在としてはいたけれど、
自分で産んだ子供は私が絶対に
幸せに育てていくんだと決心していた
私の心の中には、
どれ程の割合で
主人がいたかは定かではない。
42歳。
当時家族で住んでいた
東京のマンションを追い出される形で、
子供とともに実家のある大阪に帰って来た。
一年後転勤で主人は大阪に来て
同居を始めたけれども、
心が歩み寄る事なく再開した家族の形は
「歪み」という言葉では表せるほど
美しくはなかった。
家庭崩壊、うつ、
パニック障害、不登校など、
ありとあらゆる闇に飲み込まれていった。
一時は死の淵まで
指がかかっていたかもしれない。
治らないなら人生をここまでにしようと
決心していた50歳の手前、
一筋の光が射し込んだ。
51歳。
元気な私と愛する子供達の笑顔を取り戻せた。
私が進んでいく道もはっきりした。
でもパートナーシップという言葉には
まだ顔が歪んだ。
最近になって主人の病気がわかった。
今度は主人が痛みを経験するんだと思った。
これでみんなおあいこだ、と。
でも違った。
この世の中に
いなくなってしまうかもしれない、
という事を突きつけられた瞬間、
それは困る、と思った。
今までずっと人から言われてきた、
何故離婚しないのかの理由が
やっとわかった気がする。
私や子供にとって
ひどい事を言う主人は嫌だった。
心のない態度を
とられ続けることも嫌いだった。
でもそれは主人の一部であり、
主人自身ではない。
主人は私にとっては大切な存在。
でもあんな嫌なところも
こんなにも嫌いなところもある。
たったそれだけ。
なんとも逞しくなったものだ。
そしてこれからは
この最強な私で飛び立っていく。
今は過去の原因でもあり、
これからの未来の結果でもある。
そう思うと背筋が震えてくる。
だからこそ堂々と行こうじゃないか。
私自身の自由な空へ。
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