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さて。





台風一過、読者の皆さんはご無事でしたでしょうか。


恐ろしい自然災害。

ただ、それは同時に、人間が大自然の神秘の力におそれおののく機会でもあるのかもしれません。


やれ風だ、雨だ、暑い、寒い、
人間はなにかと文句を言い言い暮らしておりますが、

台風も大雨も大雪も、
夏の暑さも季節の変わり目の不安定さも、

我々が生きていくため、五穀豊穣のための大自然からの恩恵。

そこを忘れないようにしたいものです。





さてさて、



今日は我が家にとって大切な神事の日でありました。

10月は特に重要な神事や仏事が重なる月。

自然と、そういったことを考える機会も増える今月。


このブログでも日本人にとっての信仰や宗教、心の世界の重要性については何度も語らせていただいているので、
私が怪しいカルト教団の関係者ではないことはご理解いただいているかと思います(笑)
それを前提とさせていただきまして(笑)



最近よく思うのが、

やはり、自分の直感は大事にしなければいけない

ということ。



以前にもチラッとお話ししましたが、我が家は信心深い家で、
しかも家族全員、いわゆる霊感がわりと強い。


中でも祖母は、江原啓之さんのような人でした。

いろいろ見えちゃってるんですね。
見えない人 (人…?)と喋っているなんて、日常茶飯事でした。


その家系だからか、祖母や母ほどではありませんが、私にもなんとなくそんな傾向はあります。
 (我が家は祖父も父も婿養子です)


子供の頃は、お風呂に入ったり布団に入ってさぁ寝ようという時など、リラックスしている時に、友達の声が聞こえてくることがありました。
 この場合は、生きてる友達ですよ(笑)
そこにいるはずもないのに、私を呼ぶ声がするんです。

で、翌日学校に行ったらその子が風邪で休みだったり、大怪我して松葉杖ついていたり…といったことが、よくありました。

どうやら、助けを求める身近な人の発しているものを、キャッチしちゃってたみたいです。


ところが、そんな能力(?)は、大人になるとともに、薄れていきました。

同時に、自分にとって望まないことや不快なことが増えてきた。

そんな混沌とした時代を、しばらく生きていました。


ところが(2回目)、
その薄れていた直感、霊感といったものが、最近また復活してきたんです。


あ、これはやめたほうがいいな。
この道を通るのはやめておこう。
あの建物は嫌な感じがするな…
その集まりには行かないほうがいいな。
もう少し遅く出発したほうがいいかも。
こっちのほうが好きだな。
よし、こっちにしよう。

無理やり言語化するとこんな感じ↑ですが、
ほぼ無意識の選択です。

その選択の精度が上がったといいますか、良い方向へ導かれるようになったのです。


そういう”勘”は対人関係でも働くことがあり、
その人自身も気づいていない(あるいは必死に隠そうとしている) 心の闇のようなものに気づいてしまうことがあります。

でも、大人になるとそういう”気づき”を受け取ろうとしない人が多くなるのか、
こちらが密かに支えになろうと歩み寄っても、
拒絶される、誹謗中傷で返ってくる、疎遠になる…といったことも多くなりました。

なので、最近は(特に対人関係においては)良い直感だけを掘り下げるようにしています。

でないと、もちませんから…(笑)



で、これは最近立ち読みした本に書いてあったのですが、
直感は、疲れたり不貞腐れたりすると鈍るらしいです。


思えば、過去には相次いで家族や親戚を亡くしたり、自分が何度か入院したり、痴漢や引ったくりに遭ったり。
挙げ句の果てには、がんの闘病を経験しました。


だから、がんという異物を体内から取り除いて最大級のデトックスをしてキレイになった私の元に、直感さんが戻ってきてくれたのかもしれない、と(笑)


そして、やはりなんといっても、神仏や先祖の力です。

それなしには語れません。

大難を小難に、小難を無難に変えてもらったら、心から御礼を申し上げる。

なにかに取り掛かる前には、良き方向へ進むことをお願いする。

毎日の無事をお願いする。

それを叶えていただいていることにまた御礼を申し上げる。

すると、神様も仏様もご先祖様も、
よしよし、ほなまた願い叶えてやるか、
守ってやるか、と、
気持ちよくお救いくださる。

究極の好循環です。



ある神道の精通者は、こうおっしゃいました。

神様は、人間のような心を持っていると思ってください


私たちは兎角、
神様はなんでも許してくださるとか、
仏様の御慈悲の心によって…
なんてことに調子よく甘えがちですが、

例えば、
家(神社やお寺)に土足で上がり込んできて、
願いを叶えてやったのにお礼の一言もないような奴、
また助けてあげようと思いますか?

神様だって仏様だって
無礼な奴は許せないし、
ありがとうもごめんなさいも言えない奴は嫌いだし、
約束を守らない奴は信用できない。

そういうことです。



迷っていること、
悩んでいること、
自分ではどうしようもできないほどの事態に直面した時。

ただただ神仏の前で先祖の前で頭を垂れて、
どうかお助けください
お力をお貸しください
お答えをお導きをいただけますようお願いいたします
とお願いしていると、

ふとした瞬間に、どうしたらよいかのヒントをいただけます。

その、いわゆる「啓示」はなんの脈絡もなく、ふと”降ってくる”場合も多く、
しかもハッキリと目で見えたり耳で聞こえたりするわけではなくて、
脳裏にパッと浮かんだり、
大事なことを思い出すような形だったり、
他のことと紐付けされるような形だったり、
他の人の口を借りて教えてもらえたりすることもあります。


それを神仏や先祖の導きとして受け取れるかどうか。
その気づきが大切であり、
その感度を上げておくことが大事なのだと思うのです。



子どもの頃のように素直な心であらゆることに向き合って、
ありがとうの好循環をより大切にするようにしたら、
子どもの頃のように直感が働くようになりました。




っていう体験談でした。







ではまた次回!
ごきげんよう





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