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さて、
前回まで3回にわたって、
現代日本が抱えている”本当の闇”について切り込んでまいりました。
今日は、そのまとめ的位置付けのお話ができたらと思います。
現在、金沢市では、家庭ごみ処理有料化への動きが進んでおり、先日はその説明会がありました。
その場で出た、ある住民からの質問。
「認知症の年寄りが間違えて出したらどうするんですか?
何回言ってもわからなくて困ってるんですよ!」
…これにも激しく違和感を感じました。
役所の皆さんも大変だなぁ、と心底思います。
きっと、同じような質問をいろんなところで何度もされているわけです。
私だったら、その場でブチ切れ
「まずは、あんたの家族の問題やろ⁈
あんたが代わりに出してあげれば、それで済むんでないんか?
なんでもかんでも役所のせいにすんな!
ワケのわからんゴタク並べる前にちょっとは年寄り大事にせんかいコラァ!!」
…なんて言ってしまいそうです。
感情のあまり言葉が乱れました。失礼いたしました。
というのも、そのお宅は高齢のご両親が住む家と、息子一家が住む家とが目と鼻の先。
にもかかわらず、
在宅で仕事をしている息子さんが両親のところへ毎日様子を見に行くわけでもなく、
お嫁さんが義両親のために食事や掃除、洗濯のお世話をするわけでもなく、
しかもお嫁さんは介護職員らしい
孫たちがおじいちゃんおばあちゃんの話相手になるわけでもなく、
ひ孫を連れて里帰りしても顔を見せに行くわけでもなく、
躾もロクにしていない飼い犬が手に余った時だけ、おじいちゃんに押し付ける。
毎日、老夫婦の家を訪れるのは
おばあちゃんを迎えに来るデイサービスの職員さんと
配食サービスの配達員さんくらい。
端から見ても、明らかに
若いモンからジャマ者扱いされている
状態なのです。
先日は、その親子の路上での口論が我が家にまで聞こえてきました。
「なんでこんなもん買うてくれんていや!
食いもん買うてこいや、食いもんを!!
金ないがや!!」
おじいちゃんは よかれと思って、息子一家のために何か買ってきたのでしょう。
なのに、頭ごなしに罵倒されてしまった。
普段は何かにつけお金持ちだと主張している息子さんですが、
自分の親に使うお金は惜しい、ということなのでしょうか。
それを聞いていたら、
「はぁ…なんと ちびたい…」
※ちびたい…金沢弁で「冷たい」「冷めている」
なんともやるせない気持ちになりました。
最も深く関わらなければいけない人間が、冷たく突き放す。
自分たちも年をとったら同じ目に遭うのでしょうね。
子どもたちも親のそんな姿を見て
「老いた家族の扱いはそうやってするんだ」
と思ってしまっているんでしょうから。
そのやり取りの中で おじいちゃんが繰り返していた言葉が、心に残りました。
「昔はオマエも◯◯て言うとったやろ」
「昔はこうやったやないか」
それに対し息子さんが反論。
「昔のこと言ったってしゃあねーやろいや!
今のこと考えろや!」
今を生き抜くことを考えたら、それも一理あるかもしれません。
でも、お年寄りというのは、昔のことを話したいものなのです。
昔話を聞いてくれるだけでいいんです。
そして、
若い世代が、子どもたちが、そこから学べることは計り知れない程あるんです。
その会話が、歴史を学ぶ第一歩なんです。
その歴史の先に、我々はこうして生きているのですから。
私の祖父は戦時中、タイ等の海外へ赴任していたそうです。
まだ小学生だった私に、いつも、その時の話を繰り返し繰り返し、語ってくれました。
南国での連日の過酷な労働。
受けた砲弾の生々しい痕。
弾が当たるたびに帰国しては、ある程度癒えたらまた別の戦地へ行く、それを繰り返していたこと。
銭湯でその傷痕の数々を見たヤ◯ザ屋さんから、
「兄さん!お背中お流しします!!」
と、妙に慕われてしまったこと。
食べたことのない果物への驚き。
肌の色の違う仲間たちとの会話。
瀕死の戦友を抱えて命からがら帰国した話。
他の戦死者の皆さんと一緒にまとめて火葬される直前で息を吹き返し、
命拾いしたという奇跡…
何度も何度も聞いたのに上記のことぐらいしか思い出せませんが、
それを話す時の祖父の様子。
堪えきれずに流れた涙。
それははっきりと覚えています。
そして、月に一度我が家へ読経に来てくださっていた菩提寺のご住職夫妻も、毎回、祖父の話を喜んで聞いてくれていました。
祖父が亡くなった時、
「あのお話が聞けなくなると思うと、とても寂しいですね」
と、一緒に泣いてくださいました。
お年寄りと過ごす時間が多いと、自然に
人として「しなきゃいけないこと」
が身につく気がします。
そして、
「しなくてもいいこと」って、たくさんあるんだな
瑣末なことに惑わされる必要なんて、なかったんだな
と、自然と気づける気がします。
人間が抱えているいろんな問題は、原理原則に立ち返れば解決するものがほとんどだと思うのです。
その原理原則とは、
*先祖と両親に感謝する
*神仏、宇宙、大自然を敬う
⇒自分一人の力で生きているのではないことを思う
⇒それは人類全員に普遍・不変のものであると知る
といったことに集約されるのではないでしょうか。
つまり、言い方を変えれば、
感謝の心
と
謙虚な姿勢
を
忘れなければ、
人間、そんなに悲惨なことにはならないと思うのです。
実にシンプルです。
その原理原則、自然の摂理に無理に抗わずにいたほうが格段に生きやすいですし、
自分の心象風景をキレイにするのも、キレイに保つのも、自分自身。
ややこしくしているのも、自分自身。
自分の毎日から
「しなくてもいいこと」を取り払って、
「本当にしなきゃいけないこと」で満たしていけば、
自然と心に余裕も生まれ、
軽やかに伸びやかに幸せに生きていけると思うのです。
そして、それは温かく、穏やかに、伝染していくと思うのです。
これまでを踏まえて、いま、私が思いつくかぎりを以下にリストアップしてみました。
みなさんもご一緒に考えていただければ幸いです。
*しなくてもいいこと*
・人の悪口を探してでも言うこと
・なんでもかんでも批判すること
・自分を悪く言う人と真っ向から対立すること
・人の揚げ足を取ること
・既読スルーに激怒すること
・思い人からの返信スピードと内容に過度にやきもきすること
ある程度はしょうがない。だってそれが恋ですもの♡いやん。
・下手な小細工をすること
・本当はやめたい人間関係を「子どものため」などと言い訳すること
・見栄のために浪費すること
・貴重な時間を浪費すること
・嘘に嘘を重ねること
・自分に嘘をつくこと
・”パワースポット”や”現地の人々の日常”に土足で踏み入ること
………
*それらの積み重ねで自分と相手を傷付けること
*しなきゃいけないこと*
・大切な人を大切にすること
・大切な人に感謝の気持ちを示すこと
・自分は大切で特別な存在だと気づくこと
・自分は宇宙の中ではちっぽけな存在で長い歴史の中では繋ぎの一人にしか過ぎないと知ること
・自分の国を愛すること
・住んでいる土地とそこにいる人たちを愛すること…「郷に入りては郷に従え」の精神を持つこと
・必要なときに”優しい嘘”をつくこと
・自分の内側からの声に耳を傾けること
・神仏・宇宙・自然について正しく学び、心から敬うこと
・見えない力を信じること
・たまには贅沢な時間の使い方をすること
・人との会話や書物から多くを学ぶこと
・たくましく生き抜く力と術を身に着けること
………
*それらを後世に伝えていくこと
………
今日も自戒の念を込めて。
ではまた次回!
ごきげんよう

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