みなさま、こんにちは。
ふじこです。



さて。



どうしても叶えたいことがあるとき。
自分の力だけではどうしようもないとき。

あるいは、ちょっと道楽したいとき。

他力本願でなんとかならないかな~
と思ってしまうのが、
人間の煩悩というもの。

でも実は、
「他力本願」というのは、もとは仏語なんです。
フランス語ではありませんよ(笑)
仏教用語です。


自分の修行によって悟りを得ようとすることを「自力」
仏や菩薩の力を借りることを「他力」
と区別するんですね。

仏教にも
他力宗(または他力門、他力教)と
自力宗(自力門、自力教)
の区別があり、
前者の代表的なものは浄土宗や浄土真宗、
後者には禅宗などが挙げられます。


ですから、
他力本願そのものを否定するわけではありません。

他力にすがるのなら、
心から信じて、決して疑わないこと。

これが大事なのです。


ここで、いつも申している
「相手の立場にたって考える」を実践。

(畏れ多くも)神様や仏様の気持ちになって考えてみる。

「神様?ま、信じとくか。とりあえず拝んどこ。」
「神も仏も胡散臭いよな。でも、この願いだけは叶えてください!」

なんて言われて、願い叶えてあげようって思います⁇

そんな人間の愚かな思いから、
”他人の力、他から与えられる助力”
っていう意味にだんだん転じてしまったのではないかと思うんですよね。
言葉は生き物ですから。

神様仏様からしても、
素直な純粋な心で
ただただ信じてくれる相手の願いは、
なんとかして叶えてあげようとお思いになるのではないでしょうか。

それは、
他力の対象が人であっても同じこと。

一度信じて任せると決めた相手を疑うなんて、失礼なことですよね。
信じて任せると決めた過去の自分の気持ちをも、ないがしろにすることになります。
  ↓↓↓

ね。


「信これ成仏の母」
という言葉があります。

信じることによって
成仏、つまり仏と一体になれる。

一段高いところへステップアップできる、とでも言いましょうか。


他力本願の本来の意味は、
「信ずるものは救われる」

人事を尽くして天命を待つ
果報は寝て待て

あたりも似てますね。


そして、
「他力」にはもう一つ別の意味が。

「その人が本来持つ素質以外に、習練や稽古を積むことによって派生的に得られるもの」

自力を先天的なものとするなら、
他力は自らの精進で得ることのできた
努力の賜物、
成長の証とでも言えましょう。


神仏を信じる。
人を信じる。
自分を信じる。


美しいですね。


内面から、美しい人になりたいものです。


ではまた次回。
ごきげんよう。