みなさま、こんにちは。
ふじこです。

一並びでお日柄もよい今日。

本題中の本題に入ります。


私も社会人十数年め。
職場では、後輩を指導することも多くなってきました。
また、経験や知識をもとに、周囲を、社会を、見られるようになってきました。
(人生の諸先輩方や立派な方々に比べれば、まだまだまだまだヒヨッ子ですが…)


そんな時に、最近よく思うのです。

「傍若無人」
傍らに人無きがごとし。

そんな人が増えている、ということを。

職場は、ひとつの小さな社会です。
一日のうち、
自分以外の人と、家族と過ごす以上の時間を共に過ごします。

そのような場にいながら、
自分の部屋との区別がついていない。
他者と時間を共有していることを意識していない。
自分の言動ひとつで相手がどう感じるかまで、配慮することができない。


そういう人と少し突っ込んだ話をすると、

働くということの本質を、わかっていない。

そして、
そもそも、人として、
なぜ生きるのか、
どう生きていくのか、
自らに問いかけもせず、答えを出そうともしていない。

そんな風に見受けられます。


自分の意見が通らなかったら気に入らない。
ああ言われたらこう言い返す。
仲の良い人にだけ優しくする。他は知らない。
感情でものを言う。
教えてほしいけど、覚える気はない。
ラクして稼ぎたい。
苦労せずに今すぐ人から認められたい。
楽しいことだけ嬉しいことだけ感じていたい。
片付けられない。
ゴミが落ちていても放ったらかし。
いつまでもお客さん気分。
会社の”顔”としての当事者意識に欠ける。
自分さえよければそれでいい。


人間として生きていく上で、私たちは、なんらかの社会や組織に属しています。
最近は独立起業ブームで、「属さない生き方」なんて考えがもてはやされているようですが。
考え方は人それぞれ。自由です。
ただ、全くどこにも属さないで生きていくことは、実際は到底無理な話です。

「所属」という言葉に抵抗があるなら、
「参加する」「共有する」に置き換えてみてください。

町内会、学校、会社をはじめ。
大なり小なりの社会、コミュニティ。
必ず誰かと触れ合い、時間を、場所を共有しているはずです。
たとえ一人の時間が多くても、
完全に独立起業していても、
パソコンやスマホや電話の先には相手がいるはずです。
相手がおらず、もしこの地球上に自分一人だったら?
今の環境も現状も、成り立たないはずです。


一人で仕事しているわけじゃない。

一人で生きてるわけじゃない。

一人で生まれてきたわけじゃない。

自分一人の力で、生きていけるわけじゃない。

自分一人だけの力で、ここまでこれたわけじゃない。


そんな、大切な根本的な意識に欠けるから、
人からの助言や忠告が耳に入らない。
指導しても身に付かない。
向き合ってくれた相手をありがたがることもしない。

だから、なにかあった時に、ほんのささいなことで、
ポキッと折れてしまう。
仕事がどうでもよくなる。
人生がつまらなく思えてくる。
他の人が羨ましくて仕方なくなる…

根っこがないからです。


誰かに何かを教える、
場合によっては諭す、叱るというのは、
それをされる方だけでなく、する方もエネルギーを必要とするものです。
する方が何倍も使うのではないでしょうか。


正直、面倒なことなんです。
誰かに本気で何かを伝えるというのは。
時間もエネルギーも割かなければいけない。
自分の子どもや家族ならまだしも、
赤の他人に対して、
言っても聞かないことを、何度も何度も根気よく伝えられるほど、
みんな、ヒマでもお人好しでもない。
だから、実行する人が少ないんですよね。

人から何も言われないからといって、自分がちゃんとしているということには、必ずしもならないんです。
相手は、周囲は、
「この人に言ってもどうせムダだ」
「何か言ったところで、言い返されるのがオチだし。めんどくさい」
と思っている可能性もある。


だからこそ、
「お叱りは言葉の花束」
だとおっしゃる方がいました。

そういう労力をわざわざ使って、自分に向き合ってくれる人がいる。
あの人も忙しいのに、疲れてるのに、自分や家族のこともあるのに、私に向き合ってくれた。
なんて、ありがたいんだろう。

でも、若い頃はそれになかなか気づくことができなかった。
今、自分がかつての先輩や上司と同じ立場になってはじめて、そのありがたさや申し訳なさを痛感します。

先輩や上司がしてくれたことを、今度は後輩や子どもたちに伝えていく。
そうすることで、世の中が回っていくのだとも思います。



ひとりじゃないって、意識すること。

相手の立場に立って考えること。

私が私として、生きていること。

そうして生かされていること。


そんなことに思いを馳せる。

それが、人が人として生まれた所以ではないでしょうか。


誰しも、両親がいます。
先祖がいます。
両親は二人。祖父母は四人。
二乗二乗…となりますから、
十代遡ると千二十四人。
百代遡ると、実に”百二十六億万兆兆”という、途方もない数字になるそうです。
この一人でも欠けたら、私も、あなたも、この世に存在していないのです。

だから、
あなたが、私が、生きているのは、
この上なく奇跡的で、
この上なく素晴らしいことなんです。

一人一人が特別なんです。


その思いを根っこに持っているかいないかで、
日々の思考、言動、一挙手一投足から成長度に至るまで、
全く変わってきます。


大きな病気や事故を体験した人、
大切な人を失った経験のある人は、
それがきっかけで”いちばん大切なこと”に気付いていることが多いです。
気づけなければウソです。


でも、そこまでの経験がなくても、
日々のちょっとしたことで気づくことは可能なはずなんです。

その感度を上げましょう。

今日も家族と美味しいご飯を食べられる。
あの人が笑顔で挨拶を返してくれた。
上司が一緒に喜んでくれた。
先輩が時間を割いて叱ってくれた。
後輩がまたひとつ成長した。
古い友人との再会で話が弾んだ。
危ない目に遭いそうなところを、ギリギリのところで助かった。

感謝の心を持ち、謙虚な姿勢でいれば、
気づくのは容易なはずです。


自分に命を与えてくれた大自然と先祖に思いを馳せること。
その大切な特別な存在は、自分だけではないこと。
そんな特別な人たちが集まって、社会を作っていること。
その特別な人たちと一緒に、生きていくということ。

それを「大我」と表現している方がいらっしゃいました。
対して、自分だけよければいいのが「小我」。

ひとりひとりが大我の精神で生きてくことができれば、
世の中から争いなんてなくなります。



ささやかな幸せを、感じることができる。

日々をありがたく思う。

そんな一人一人の存在を、
お互いが尊重し合う。

その心ほど、美しいものはないと思うのです。



今日も結びまでお付き合いいただき、
ありがとうございました。


ではまた次回まで、美しい心で。
ごきげんよう。