みなさま、こんにちは。
ふじこです。

さて、今日からさっそく本題です。

お正月に始めたブログ、せっかくですから、まずはお正月ネタから。


みなさんはこのお正月を、どこで迎えていらっしゃるでしょうか。

ご自宅?ご家族のご実家?
それとも海外?
職場という方もいらっしゃるでしょう。

人により、その時の事情により違いはあると思いますが、
基本はやはり、ご自宅で過ごすのが最良であると思います。

お正月とは、各家庭に歳神様(としがみさま)をお迎えする大切な儀式の期間であり、
新たな年を迎えられた喜びに感謝するとき

歳神様とは、その一年の幸せと健康をもたらしてくださる、新年の神様です。
その年の恵方から日の出とともにいらっしゃる、五穀豊穣の神様ともいわれます。
日本はもともと太陽信仰であり、農耕民族ですからね。

そして、歳神様は綺麗な家を好み、
また、依代(よりしろ)を必要とする、といわれます。
  依代とは、乗り移る目印、といったところでしょうか。

ですから、旧年中に大掃除を済ませ、
綺麗になった家に歳神様をお迎えする門松や注連飾り、鏡餅などの飾り付けをした上で、
年が明けたら家族の一年の幸せと、食べるのに困らず健康でいられるように、そして、子孫が繁栄して家が栄えていくように、とのお祈りを捧げることが重要なのです。

つまり、逆説的にいえば、
家が散らかり放題のまま、お正月の期間を自宅以外、特に海外で過ごすというのは、
家族の一年の幸せと健康を棒に振り、自分の代で家が途絶えても構わないという行為である、と言わざるを得ません。

また、家の神棚やお仏壇はそっちのけで、”パワースポット”として有名な神社へ遠出して初詣に出掛けるというのも、褒められた行為とは言えないでしょう。

やはり、最愛の家族と共に、歳神様とご一緒に、感謝の気持ちでお正月を過ごす。
そして、いつも近所一帯を守ってくださる氏神様(うじがみさま)のいらっしゃる神社へ新年のご挨拶に伺う。
これが日本人の本来の姿ではないでしょうか。

お仕事やご事情で自宅で迎えるのが難しいという方は、神様に一言お断りをした上で、改めて新年を祝うのが良いでしょう。
何事も、大切なのは「気持ち」と思います。


ちなみに、神様をお祀りする「神道(しんとう)」は、厳密にいえば、もともと、宗教ではありません。

古来、日本は森羅万象あらゆるものに神性と神秘性を見出す、八百万(やおよろず)の神の国でした。
今でも、その考え方は随所に残っていますよね。
田んぼの神様、畑の神様、竈(かまど)の神様。稲の一本一本にも。

身近なところでは、トイレをきれいにしておけばトイレの神様に見初められてべっぴんさんになれる、とか。
古い道具には九十九神(つくもがみ)が宿る、とか。

なにかを強く願う時や、危ない目に合いそうな時に、思わず「神様!」と心の中で叫んだりもしますよね。
その神様像って、みんな一緒でしょうか。
おそらく、ひとりひとり違うはずです。

このように、日本人の心や身の周りには、いつも身近に神様がいらっしゃるのです。

そういった土着の風習、慣習ともいうべき思想が、日本人と神様との原点であり、本質なのだと言えるでしょう。

その日本へ古代、仏教が伝来しました。
もともと八百万の国ですから、他の神様仏様でも、良いと思えば抵抗なく取り入れたのです。

で、取り入れた当初は神仏習合といって、神様も仏様も区別なくお祀りしていたのですが、時代が下るにつれて、その性格の違いから、神と仏を明確に分けるようになりました(神仏分離)。
新しく入ってきた仏教と区別するために、「神道」として明確にする必要が出てきた、というわけです。

仏教も千五百年前は新興宗教だったわけですね(笑)

もちろん、神様ですし、今となっては神道も宗教の一派と考える説もありますから、信仰の対象ではあるのですが、
先に述べたとおり、キリスト教やイスラム教をはじめとした一神教の宗教とは、その発生も性格も異にします。

ですから、神や仏を語ると、すぐに「宗教だ!」といって敬遠する人がいますが、
神仏を否定することは、日本人である自分を否定することになってしまいます。
だって、日本人として日本に住んでいること自体、神仏のご加護を得ていることそのものなのですから。

「無宗教」をカッコいいと思っている人もいるようですが、心で「神様!」と叫んだ時点で、もはや無宗教ではないですからね(笑)

古来の神道や仏教というものは、近年問題を起こしている狭義の宗教とは全く違うということを、意識していただきたいのです。
(詳しい話はまた後日…)


ということで、本日のまとめ。

お正月は、歳神様と最愛のご家族とご一緒に、ご自宅で過ごしましょう。


それではまた次回。
ごきげんよう。