ノーベル賞作家の大江健三郎が亡くなった。
老衰、というのがせめてもの救いである。88歳。合掌。
僕がモノ書きを志したのは、太宰治や三島由紀夫、村上春樹の影響でもなく、大江健三郎の作品を読んだことがきっかけである。嘘でしょう? と思うだろうけれども。
今の僕は、大江の文体とは似ても似つかぬ、知性のかけらも感じられない軽薄な文章しか書いていないのだが、あの極めて難解な独特の文体は、今でも頭にこびりついて離れない。
つい先ほど、ネットのニュースでこの訃報に接したのだが、詩人・草野心平の詩の言葉を借りれば、「こころの穴ががらんとあき。めうちきりんにいたむのだ。」という感じである。
その昔、四国1周温泉巡りに出かけた際、大江の実家を訪ね(といっても普通の人の家である。ご両親も住んでいらした)、表札の前で記念写真を撮影してきたことが思い出深い。
そのときには「このような山間の寒村から、あのような知的な早熟の天才が生まれたとは」と驚いたものだった。
その夜、近くの街の宿に泊まって夕食に訪ねた食事処は、僕一人の客のために店を開けてくれ、「大江健三郎の大ファンなんです」と話すと、お店のかなり偏屈なご主人(笑)に、大江の中学生時代のことが書かれた本をプレゼントされた。この本は今も大切に保管している。
いずれにしても、日本文学史における一つの時代が終わったということは間違いはあるまい。
今日は、大江の作品のいくつかでも読みながら、少し酒を多めに飲むかもしれない。糖尿病患者にとってはあまり良くないことだけども、こう1日だけは、神様仏様、どうかお許しくださいませ。