ニッポン戦後サブカルチャー史 | 奥浜レイラオフィシャルブログ「L→R」powered by Ameba

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テレビって、何かしながら観てしまう。
ネットとか、携帯とか、雑誌とか。ながら見ってやつです。

だけど最近、ながら見無しで集中した番組が
NHK「ニッポン戦後サブカルチャー史」

あったあったこの番組です

面白かったねー。DVDが出たら買うかもってくらい。書籍は今週発売みたいですが。


録画しておいたものを最近全部見終わって、感じたことを少し。

私が一番共感できなかった(というか特別興味がない)のが、90年代だった。
エヴァンゲリオンとかその辺り。(好きな方、ごめんなさいね。否定したい訳じゃないんです)

でも不思議よね。
私は84年生まれ。つまり10代を90年代と共に過ごしたのに、その90年代に共感できないなんて。
いや、正確に言うと、知ってるのよ。よーく知ってる。好きではなかったけど、身近にあったから知ってはいるんです。
でも渦中にいたからか、カウンターだとは思ってなかった。(当時はサブカルチャーなんて言葉知らなかったけどね)
渦中にいるってことは、自分で掘らなくても周りに情報が溢れているということ。
つまり今でこそサブカルチャーと呼ばれるものが、当時は主流=メインカルチャーだった場合も多い。
調べたり読んだりして知っていく過程を楽しむ私は、当時から受動的に提供されるものには興味が薄かったんだろうな。
小学三年生から一番好きだったのは、休み時間に図書室で江戸川乱歩を読みあさることだったしなー笑 
自分で探っていくのが好きなタイプ。


この番組を観ていたら、私が興味を持つものがたくさん出てきた。
好きになるものは確かにサブカルチャー寄りが多いけど、サブカルチャーだから好きになるわけではない。
私自身、そんな言葉で括られたら反発してた時期もあるし、実際サブカルチャーと括ると嫌がる人も私の周りに多いです。 それがサブカルチャーの面倒なところなんですが笑
サブカルチャーなら何でも好きでしょう?なんて思われたら心外。

でも私の好きなものには掘らないと出てこない、という共通項はある。
それを世ではサブカルチャーと言うみたい。そんな感じ。
掘るって、まるでいも掘りみたいですね。
土の上にツルを見つけて、ゆっくりゆっくり掘り出していく。
地面に出ているツルは、誰かが提供してくれているんでしょうけど。

そんな訳で、私は90年代をスルーしがちだったけど、その前後の時代にはすごい共感と興味。
80年代を嫌う人って特にロック好きに多いけど、良くも悪くも狂っていたあの時代に生まれたことを、私わりと気に入ってます。
でも、10くらい年上の友人はそんな80年代が苦手みたい。私と同じような心理なのかしら。
多感な時期を過ごした時代を嫌う傾向。
多感ゆえに、カウンターから大衆文化に変わったことに過剰反応したのかも。


さて、この番組の最終回。
サブカルチャーはカウンターカルチャーだ、という考え方より
逸脱したものがサブカルチャーという考え方に共感しました。

逸脱をキーワードにすると、最近のロックに大きな流行が生まれないことに繋がって、しっくりきたんですよね。
昔は、サブカルチャーはカウンターだったのかもしれない。
対抗馬だからこそ、ビッグウェイブになった。
今は対抗しようなんて考えてないんだよ。
「当たり前」からちょっと逸脱したものが、それぞれの村で小さな流行を作ってる。
例えば・・2012、13年あたりのサイケロックブームみたいに。
ヒーローが生まれないのはそういうことかもしれないね。
敵対するってすごいエネルギーなんだな。

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でも、いわゆる今のクールジャパンと呼ばれる文化も全部ひっくるめて、サブカルチャーに含まれてしまうことには違和感。
だって明らかに商売になるからって紛れ込んでいるものもあるじゃんね。
海外に輸出するための頭数になっているもの。
それも同じ文脈で語られるのはなんか違うなって思う。
仕方ないけどね、番組を作る上でここは通らないといけない道だったでしょうから。


どなたか、これ観てませんでしたか?
ブログだと上手く伝わらないかもな。
話したい欲。
話せる場所が無くなったってこと、最近やっと実感してます笑
DIGやってたら、絶対この話したもんねー。
次のシーズンがあるなら、是非受講生になりたいです!

さてと。

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