女性という性。 | 奥浜レイラオフィシャルブログ「L→R」powered by Ameba

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少し前に観て、何日か重く引きずっていた映画。

それが明日いよいよ公開になる。

タイトルは 恋の罪

先日結婚された園子温監督の、最新作である。

photo:01


私が衝撃を受けたのは、殺人事件の残忍さやキャストの体当たり演技ではなかった。

以前から考えていた、女性の身体と心の渇きについて克明に描かれていたから。


これは個人的な話だけど、もういつからかな。
今27歳の私はずいぶん前から、ある事が怖いのです。

単刀直入に言うとそれは、女として愛されなくなること。愛する人に女と見てもらえなくなる事。
そんな事が、20歳になった頃から怖い。
早い?それとも口に出さないだけで、若い女性でも感じているのかな。

それ故に、結婚をするなんて事が怖くなったりして。
今もそうだったりして。
将来子供は欲しい。ただ、愛する人にお母さんとして見られるのが恐怖。
年齢を重ねるごとに、現実的になっていく。
考え過ぎだろうか。
色々な人に怒られてしまいそうな内容ですが、これはあくまでもまだ結婚を経験していない私の勝手な想像ということでお許しください。
もちろん、結婚している人は皆そうである!なんてことは思っていないです。
私の、漠然とした不安。そう受け止めて読んで頂ければ幸い。


さて、脱線しました。
この映画は、色んな側面から見る事が出来ます。
実在の事件として、なぜエリートOLは娼婦になったのか?映画の中では、大学教授ですが。

足を踏み入れた事の無い私としては、どうしても理解しがたい部分。

ただ一つだけ「女性の渇き」という所には共感出来る。
すると、糸のほつれみたいにスルスルと、怖いくらいに自分の話になっていく。
ひょっとして、私もあっち側の女なんじゃないか?
つまり、渇きを恐れてジメジメした場所を求めるような。
今はなくても、40歳になったら、50歳になったら。
堕ちる事で、女である意味を探すような。

城なんて探しても辿り着けない。
答えなんて、いくつになっても見つからない。
そのことに触れてしまった気がして、恐怖だった。
女って怖い。じゃなくて、この先女で生きていくことが怖い。


夜な夜な映画を思い出しながら、そんなことを書いていたらまた観たくなってしまった。
おかしいでしょう?
答えを探したくて仕方がないんです。
救われるような気がするんです。

枯渇。
私の渇きは、もう始まってしまったのかも。


前作、冷たい熱帯魚が男性の狂気。
今作は、女性の狂気を描いた映画です。

どちらも交わらない世界のようで、片方だけでは成立しないのがこの世俗。
前作と今作と。
男と女と。
渇きと潤いと。

恋の罪 HP


明日も明後日も、わたしは女。


追伸、前作で内臓シーンが苦手だった方。今作はご安心ください。