佐野元春「グッドバイからはじめよう」(1983)。。シンプルな歌詞が沁みる奥深き名曲。 | マジカル・ミステリー・ミュージック・ツアー

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1960年代から1980年代の洋楽・邦楽の雑記帳です。

「佐野元春 27歳。80年代初期の若き情熱を映した奇跡のドキュメンタリー"フィルム・ノー・ダメージ : 佐野元春 & THE HEARTLAND"」の上映、そして11月に開催される「SOMEDAY」“完全再現ライブ”と、最近、80年代前半の佐野元春が脚光を浴びています。

【佐野元春「Film No Damage/フィルム・ノー・ダメージ」2013.9.7 全国ロードショー】

1980年にデビューした佐野元春は、1982年3月21日に発売されたナイアガラ・トライアングル(大滝詠一、佐野元春、杉真理)のメンバーとして脚光を浴び、間髪いれず1982年5月にリリースした3rdアルバム「SOMEDAY」がアルバムチャート最高位4位を記録、一躍日本のロックシーンの中心人物となりました。

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1982年9月~1983年3月まで全国40ヶ所で開催されたコンサートツアー「Rock & Roll Night Tour」は軒並みソールドアウトを記録しています。(*「Rock & Roll Night Tour Final」の模様が「Film No Damage」の中心となっています。)

このツアーファイナルとなった東京・中野サンプラザのステージで佐野元春は、「新しいコンセプトを捜しに行くため」のニューヨーク行きを発表。

佐野元春は、渡米前のラスト・シングルとして1983年3月5日、10枚目となる「グッドバイからはじめよう」をリリースしています。

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【グッドバイからはじめよう/佐野元春】

「ちょうど波のように さよならが来ました 言葉は もう何もいらない ただ見送るだけ」。。

それまでリリースしたシングルと異なり、ストリングスをバックに素朴に歌い上げるバラード「グッドバイからはじめよう」。。。

当時の音楽メディアも困惑し、この曲に関する評論等はあまり見受けられませんでした。

佐野元春は、当時、「あの歌は「死」がテーマになっている。祖父が死んだ時、僕はあの歌を書いたんだ。生まれて初めて"死"というものに直面した僕の素直な感情の発露なんだ。そして、その頃、僕はT.S.エリオットの「荒地」という詩を読んでいて、その中に「終わりははじまり」といったような表現があったんだ。その言葉がリアルに響いた。そして"グッドバイからはじめよう"という曲が出来たんだ。」と雑誌の伊藤銀次との対談で語っています。(1983.5月号「ミュージック・ステディ」)

【当時のステージの佐野元春と伊藤銀次】
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また、「手紙の最後に付ける"Sincerely"や"With Love"のようなものかもしれない。」とも語っており、渡米する前に、佐野元春第2章の始まりを予告する意味もあったのかも知れません。。

このシングルリリース後の1983年4月21日、それまでのシングルの中から佐野元春自身がセレクトした楽曲を収録した編集盤「No Damage (14のありふれたチャイム達)」をリリース、渡米後にオリコンで1位を記録し、まさに佐野元春ブーム真っ只中を迎えることになります。。

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「ちょうど波のように さよならが来ました あなたは よくこう言っていた 終わりは はじまり」。。

どのオリジナルアルバムにも収まることのない私的コンセプトをもった「グッドバイからはじめよう」は、未だ独特のオーラを放ち続ける楽曲だと思います。