ジョージ・ハリスン「ジス・ソング(This Song)」。。。自ら監督した秀逸なプロモクリップは | マジカル・ミステリー・ミュージック・ツアー

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1960年代から1980年代の洋楽・邦楽の雑記帳です。

1976年、ジョージ・ハリスンが数年間抱えていた「マイ・スィート・ロード」の盗作問題に係る裁判が終了、ジョージの訴えもむなしく「マイ・スィート・ロード」は、「ヒーズ・ソー・ファイン」という曲と類似していると認定され、ジョージは裁判で敗訴、ジョージのストレスもピークに達し、「曲を書くのも怖い」という状態に陥っていました。
 
実は、この当時、他にもビートルズの未許可アルバム販売の販売差し止め提訴(他のメンバーも同様)、レコード会社移籍に係る訴訟と様々な裁判を抱えると同時に、自らのレーベル「ダークホースレーベル」の立ち上げと、様々なストレスを抱えていました。
 
そんななか、ジョージは、「ダークホースレーベル」第1弾となるアルバムのレコーディングを開始、当時、ジョージが33歳と4カ月を迎えたこと、そしてレコード(LP)の回転数が33回転であることから、アルバムタイトルは「33&1/3」と名付けられました。
【33&1/3 George Harrison】
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そして、第1弾シングルとなった「ジス・ソング/This Song」は、自らの「マイ・スィート・ロード」に係る裁判をコンセプトとし、プロモ・クリップまで裁判をパロディ化してしまいました。
 
「この歌は別に巧妙なワケじゃないし、白でも黒でもない 誰かの著作権を侵害するわけでもない。。だから僕はこの曲をやっているのさ。。。この曲の意味はひとつだけ。。君がいなければ何の価値もないっていうことさ」
 
と、いう歌詞が、ジョージらしいストレートなロックサウンドとして展開されています。
 
ということで、今日はジョージ自ら監督した秀逸なプロモクリップで、「ジス・ソング/This Song」をご紹介します♪
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【This Song / George Harrison】
*YouTube埋め込み無効でした・・ ↓でお願いします!
 
 
ちなみに、仲よさそうな裁判官は、盟友で名ドラマーのジム・ケルトナーです。。
 
自分の裁判をパロディ化してしまったジョージ。。やるなぁ。。グッド!