「アースダイバー神社編」よりも、かなり読みやすかったです。
坐摩神社(いかすりじんじゃ、ざまじんじゃ)という摂津一宮神社。
初めて知りました。
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京都で神社仏閣を巡って大阪に行くと、もう気分は神様でも仏様でもなく、
何を食べようか
になってしまうからかもしれません。
買い物も忙しいし。
エシレのサブレとか、最近通販してないんですよ。
お店でしか売ってくれませんから。
坐摩神社
>神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江、田蓑島のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方、石町附近)に奉祀されたのが始まりとされています。
神功皇后は オキナガタラシヒメというお名前です。
中沢氏が分類する所の、海民系。
海の民は古代から日本にやって来て住んでいますが、ざっくり分類すると、
スミヨシ アヅミ ムナカタ の三氏だそうで、息長(オキナガ)氏もいずれかに
属すると思われます。
スミヨシ は住吉大社を奉じている一族だろうし
ムナカタ は宗像大社。
アヅミ は元々志賀島にいた一族で、その後全国へ散らばったそうです。
海民系の神社と思われる坐摩神社。
古代からツゲ(都下、闘鶏などと書く)という一族の娘が御巫(みかんなぎ)として
「大宮地之霊(おおみやどころのみたま)」をお祀りしていたそうです。
恐らくは新羅からの渡来人の一族。
古代の方が、国境等が曖昧な分、むしろ気軽にやって来て住み着いてる気がします。
日本史に出て来た遣隋使、遣唐使は命がけで、
よく海を渡る気になったなあと当時は思ってましたけど。
国内の移動でも船の方が便利だったようです。
中沢氏によれば、道路も整備されておらず、山を超えて陸地を旅するよりも、ずっと短い時間で目的地に到達できてリスクも少なかったようです。
エジプト考古学ファンなので、すぐに古代エジプトを引き合いに出してしまいますが、
紀元前1450年頃に在位したハトシェプスト女王は、プントという国と交易する為に、
紅海を通りました。
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ナイル川はエジプトの国境を超える辺りから、船での航行は不能なので、
海に出るしかなかったのです。
陸路の方が危険なのはエジプトも同じ。
川を航行する船とは作りが全く違うので、造船技術は外国から教わったのかも。
ともあれ、海洋民族ではないエジプト人でさえ、3千年以上も前に海を渡る技術を
持っていたわけです。
陰謀論者やお花畑スピが唱えるような、アトランティスの科学技術やら、
宇宙からの介入がなくても、ピラミッドだって建設できたって検証されつつありますから。
人間って凄い。
そうそう、九州の北部に稲作をする人たち(倭人)が住み始めたという噂は、
現代人が想像するより速いスピードで、日本中に伝達されたそうです。
この辺りは中沢氏の想像でしょうが、三内丸山遺跡がある青森のような
縄文人の大きなコロニーにまで、速やかに。
各地の首長が話し合って、お土産と共に使者を送った時も、
船を使ったであろうと。
中沢氏は連絡の方法は書いていませんでしたが、もしかしたら、神社に奉納されている
鏡を使ったのかも知れません。
鏡が反射する太陽光は、かなり遠くまで届きますから。
現代人が思うよりもずっと情報を伝達するシステムも、物流の手段も、
整っていたのかも知れません。