京都好きの夫が買ってきました。
付録の小冊子「今日の残り香」。
パラパラと読んでいましたが、京都の太秦の辺りにある、蛇塚古墳という名の
飛鳥時代の古墳の事が書いてありました。
被葬者は、恐らく秦河勝(はたのかわかつ)であろうと。
聖徳太子の側近と言われた秦河勝。
中沢新一の著書によれば、川から流れてきたと書いてあったな、と思い出し、
Wikipediaを探してみました。
>初瀬川氾濫により三輪大神の社前に流れ着いた童子を見た欽明天皇は、以前の夢で「吾は秦の始皇帝の再誕なり[注 1]、縁有りてこの国に生まれたり」と神童が現れていたことから、「夢にみた童子は此の子ならん」として殿上に召した[9][10]。後に帝は始皇帝の夢に因んで童子に「秦」の姓(かばね)を下し、また初瀬川氾濫より助かったことから「河勝」と称したとされる。
まるでモーセの誕生伝説![]()
葦舟に乗って流れてきたわけではないけれど、壺だったかな、何かに乗って流されてきたはず。
聖徳太子は実在しない、という説を唱える人は、その時代の政治を担ったのは
河勝であると説いていた気がします。
天皇ではないけれど、実質王者みたいな。
その人のものであると推定される古墳が蛇塚。
そういえば、古代エジプトの主権、王権の象徴はコブラ。
なんだか最近は、象徴というより、爬虫類人だったのかもしれないな、と
陰謀論者的に考えたりします。
王様は蛇。
記憶が曖昧ながら、先代旧事本紀には、神武天皇から何代かの天皇の
お姿は、まるっきり龍か蛇のそれであったというような記述があったはず。
身長も高く、お顔も人間のようではなかったと。
古い古い蛇。
人間にと、古い蛇との関りがどんな風であったのか。
とても知りたいと思います。
追記
秦氏という名がそもそも、真偽のほどは置いておくとして、
秦の始皇帝を祖とするから。
渡来人であろうとは言われています。
ユダヤの末裔であったという説も。
ネストリウス派のキリスト教徒であったという説も。
ユダヤと言ったらそりゃモーセだもの![]()
エジプトから出て(私は追い出されたのでは?と思ってる)、
長く放浪の旅をした(している)民族。
流れ着いた土地に馴染んで、一見ユダヤとわからなくなってしまっても。
秦河勝の生誕伝説は、分かる人にはわかるサインのようなものじゃないでしょうか。
ネットで調べると、川から流れてきた時、秦河勝は壺に入っていたそうですけど。
桃太郎も川から流れてきたわよね![]()
壺じゃなくて桃から出てきたんだけど。
ちょっと気になります。

