本は図書館で借りることが多いのですが、アマゾンのお勧めに出てきたので
脊髄反射のように買ってしまいました。
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芸術新潮 2017年 08 月号
3,457円
Amazon |
「仁義なき聖書」は持っています。
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仁義なきキリスト教史
1,620円
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これも文庫版を持っています。
ユダヤ教、キリスト教をやくざ社会になぞらえて書いていて、
使われている言葉もバリバリの広島弁。
「仁義なき戦い」というやくざ映画が、広島を舞台にしているのに倣った模様です。
品のかけらもないような言葉遣いの主がいけてます![]()
もちろん、信者には非常に評判が悪いようですが。
「は~、ほんまに度し難い糞どもじゃのう。甘い顔すると秒速で付け上がる。おどりゃ、
今度はどげんしちゃろうかい」
なんて言うやくざそのもののヤハウェ。
痺れます。だって私部外者だもん![]()
大学がプロテスタントだったという事もありますが、キリスト教は学問としては
面白く、理解がたやすいと私は思います。
一神教って、当たり前だけど神様が一人しかいないし。
教義や戒律を勉強していると、窮屈で狭量な 主 に辟易するのですが、
所詮部外者。
付け上がる人類に全力で罰を当てる主。
下手すれば、全く悪いことをしていないのに、信仰心を試すために
様々な試練を与える主。
付いて行かれる信者さんに頭が下がります。
世界って不条理で出来ているよな、という諦念のようなものがそこにある世界。
スティーブン・キングの多くの作品は、不条理で構成されていると思うのですが、
あれはキリスト教信者にとっては「アリ」なんでしょう、多分。
そこには因果応報もなく、正義は勝つもなく、清い心の人が幸せになるという希望もない。
それでも、見返りを求めずに真っ直ぐに生きる人たちが描かれる作品もあって。
※駄ホラーだけが彼の得意技ではありません。
不条理に打ちのめされながらも懸命に生きる。
人間強くなると思うの、諦念が根底にあると。
私は物心ついた時から、というかモーセという名を知ったその時から、何故かモーセが
大嫌い。理由はわかりませんが、日蓮もそうです。
モーセと日蓮が道の向こうから歩いてきたら、多分。
お互いにぶつける石を探して拾う
。
※アチラも「lavinia、ここで会ったが百年目や!」と叫んで石を準備する気が
強くするのは何故なんでしょう。
イエスだったら黙って石をぶつけられると思いますが(そんなイエスには私は
石はぶつけません!)モーセはなあ。
それでも、旧約聖書を読んでいると、嫌いだけどモーセの苦労は計り知れないな、
お疲れ様
ぐらいは思ってしまいます。
それに反して日本の神話の難しい事。
日本人だから!と頑張って古事記を読んでも、なかなか入っていかないもどかしさ。
子供の頃、児童向けの「古事記」を読んで少しも理解できなかった記憶もあります。
曖昧な感じがスッキリしないというか。
私の先祖は砂漠から来たのかも。
年始の夢というか、妄想に以前読んだモーセの伝説(日本におけるもの。
トンデモ説かも知れません)が関係するものが出てきました。
縄文時代から続く、古い神様が鎮まっていられる場所に、新しい神様を
習合していっている夢。
例えば、春日大社の神はタケミカズチノミコトですが、それよりも古い神様が
あそこにはいらっしゃる。
これは鞍馬寺の、強いパワーを有しているというスポット。
中央は正三角形。ピラミッドの形。
ある霊能者が、地下から湧くパワーをクリスタルが封印しているが、
そのパワーが脇から漏れ出ていると仰っていましたが。
訂正*縄文由来のクリスタルエネルギーを、六芒星が封印しているそうです。
あのスポットの上に立つと、マンホールの上に立っているような気がします。
想像ですが、表面に見える幾何学の石だけが封印ではない気がします。
その場にある自然の力を、何らかの形でセーブして、我がものに使う。
もしかしたら、スピリチュアルの人たちが言う、本来のユダヤ教を
日本にもたらしたのかもしれないのですが。
縄文時代からの古い神を封じて新しく「セッティング」している。
そんな妄想が浮かびました。
もう何年も、この辺りはぐるぐると同じところを回っていて、一向に
すっきりしません。
グノーシスとか、神秘主義とか。そいう言う知識も込みで見直さないといけないのかも
知れないし。
それともやはり、
直感で飛べ!の方が結果良いのかも知れません。

