ここからは、読書感想文というよりは、スピリチュアル話全開で
参ります。
三上照夫の霊能力については、著者は実際に目にしておらず、
三上本人も著作等で自らの能力をつまびらかにするということが
なかったため、「松栢」という同人誌(?)などに書かれている記録や
夫人からの取材での描写です。
毎月少人数で「斎場(ゆにわ)」という形で降霊会を行っていた、
そのスタイルがすごい。
>斎場の会場で、三上は椅子に腰かけ、手足をしっかり縛って椅子につながせ、口に水を含んだ真綿を詰めて声が出ないようにした。その状態のまま、暗闇のなかで越天楽のレコードをかけ、精神集中を深めていくと、やがて2本のメガホンが踊りはじめ、人形が舞いはじめる。夜光塗料を塗っているので、動きがよく見えるのである。
で、そのメガホンから声が聞こえてくるんだそうです。
口に真綿が詰まっているから、しゃべれる筈がないのに。
声は三上本人のものだけれど、話し手は明治期の古神道家 宮地水位
という方の霊。
こういうスタイルは、古神道ではあるそうです。
三上は、大本教で降霊を学んだとか。
>「わたしが霊媒となって水位先生の霊を招いたのは人間とは
目に見えるだけの存在ではないということを皆に知らせるためでした。
死後も霊魂として生活を続け、生きている間も目に見える限りの個人ではなく、個人の中に個人と共に諸霊が存在していることを実証するためだったのです。」
私、スピリチュアル世界を少しは知ってるつもりですが、生半可な霊能者では
絶対ムリレベルだと思う。
疲れるからやりたくないだろうし。
※フルトランスかそれに近い状態だと、精神的にも肉体的にも消耗が
激しいらしい。精神が元に戻らないとかリスクも。
デルフォイのアポロン神殿の巫女がフルトランスで託宣をするスタイルで、
よく精神的に壊れちゃってたとか。
江戸末期~明治期に興った天理教、黒住教、大本教などのような
神道系の宗教が古神道の流れを汲んでいるそうですが、
シャーマニズムの極めつけだと思う。
庶民レベルだと、拝み屋さんがこういう系統の神降ろしをしているようですが。
なんかさあ。
セッションとかお洒落な名前で一時間数万円の料金で、
アナタのお悩み解決しまぁす
とはだいぶ違う。
そもそも、霊能を求めてはならないらしいです。
霊能に頼ってはならないというか。
人前でみだりに出す話題でない。興味本位で語ったり記録してはならない。
少し話がそれますが、鎌倉時代の僧、明恵。
この方も神がかりというか、千里眼の持ち主だったり、
様々なことを見通す力を持っていたそうで、弟子たちはその霊異を書き記して
いたそうです。
ですが、明恵は死ぬ前に全て焼き捨てるように命じたとか。
今残っているのは、伝聞のようなものなのだそうです。
メディアにしろ、ネットにしろ、「こんな力を持ってます!」みたいに
アピールはしないのね。
だから、三上照夫が昭和帝にどんな内容のご進講をしたかは、
わずかな部分を夫人が聞いただけで、殆どわからないそうです。
記録に残しても、その場の雰囲気のようなものは伝わらず、
誤解や曲解を招くことが多いからなのでしょう。
また、アンビリーバブルな内容であればあるほど、現象だけが
一人歩きするから。
これを書いている途中で、調べ物で検索していたら、
三上照夫の弟子だった方のブログが出てきました。
何でもお見通しの方だったようです。
厳しく自分を律する一方、周囲を思いやる方。
この方の前で、スピリチュアルで流行ってる
そのままでOK!とか
やりたくないことはやらなくていいんだよ!とか
いつもの調子で言えたら勇者だぜ?
叱責されたりはしないと思う。
でも、恥ずかしくて言えないわな。
そのままでOK!も真理ではありますが、自助努力を放棄してるからね。
努力が必要ない、そのままでいい、と言った時点で成長は止まるでしょ。
欲がない状態って言い換えてみようか。
それだと解脱チックなニュアンスだけど、それってたぶん
如来レベルじゃないか?
私だったら言えないねえ。
厚かましすぎじゃ
。
スピは分をわきまえぬ所があるからね。
まだ続くと思います。