山本太郎氏の直訴問題で思ったことを書いてみようと思います。

上手く書けるかどうかわかりませんが。


私は今回の件は「常識で考えたらやっていいことかどうか直ぐに

わかる事」だと思いました。

山本氏が、政府やマスコミを動かしたい一心であったことは

よくわかります。

ですが、訴える相手を間違えています。


この辺の事は、よそのブログでも書かれていることなので、私は

自分なりに感じていることを。


天皇というのは、ヨーロッパの王族とは性質が違います。

王族はその地域の征服者であり、為政者。

ヨーロッパはキリスト教国なのであくまでも主は「父と子と精霊」の三位一体。

キリストの子孫ではありません。


天皇は、それが神話に過ぎないとしても、日本を造った神の子孫です。

少なくとも、私たち日本人はそう信じて万世一系の家系である。

日本の国の象徴である、としてきました。


神の力は目に見えないものですが、日本人は天皇という存在を通して

神の存在を感じ、天皇を通じてこの国の安寧、自分達の暮らしの平穏を

祈ったのだと思います。

生ける御神体とでも言いましょうか。


話は飛びますが

各神社で「御神体」がどのように扱われているでしょうか。

伊勢神宮の今回の遷宮の様子はTVでも中継されましたが、

御神体は布で覆われ、人の目に触れないようになっていました。

みだりに一般の目に触れさせてはならない。

そのような御神体が多いと思います。

中には山や巨石が御神体である場合がありますが、その場合も

禁足地になっていてみだりに立ち入ってはならないようになっています。


宗像大社の三女神の一人、田心姫神(たごりひめのかみ)が鎮座される

沖津宮がある沖ノ島。

島全体が御神体であるとされ、未だに女人禁制。

祭りのある時以外は神官が滞在するだけの孤島です。

パワースポットだからと気軽に上陸してお参りするような真似は

決して許されません。

島全体が天然記念物になっているので島からは「一草一木」たりとも

持ち帰れないきまりになっているそうですが、

記念にこっそり持ち帰るような行為に及んだらどうなるか

という事はまともな日本人なら容易に想像できるし、

恐れ多くて出来ない事だと思います。

(藤原新也という人が沖ノ島から持ち出したと疑われる遺物を持っていた

人が被った不幸の話を書いていたと思いますが、それは怖かった。)


自然の力、地球のエネルギーに古代の日本人が尊崇の念を持って接し、

交流していた聖なる場所が神社の始まりでしょう。

最初から商売繁盛、子孫繁栄、個人的な要望を聞いていただく場所として

発生したわけではないと思うのです。


長くなりそうなので、何度かに分けて書いていこうと思います。