宝地図ナビゲーター&魔法の質問認定講師みーこです^^
まずはお知らせです。
11月23日(火・祝日)に
腰塚勇人「命の授業」東京講演会
があります。
私も実行委員の一人です。
会場でお目にかかれるのを楽しみにしています
詳細&お申込はこちら。
http://www.inochi-jyugyo.com/lecture.html
既にブログに書きましたが、
10月14~17日まで、一家四人で香港に行って来ました。
1983~1990年まで香港に住んでいたので、
20年ぶりの香港でした。
その頃の私は、まだアダルトチルドレンという言葉も知らず、
自分の生きづらさの原因がわかっていませんでした。
自分を肯定することができず、
生まれてこなければ良かったと思っていました。
消えてしまいたいと思っていました。
母親に攻撃されて育ったので、
温かい家庭を築くことに憧れていましたが、
婚約者の裏切りで、失恋の反動で見合い結婚。
恋愛すら成就できない自分に自己否定感は強まるばかり。
自暴自棄の私は、伴侶となった相手のこともよく知らないまま、
不安いっぱいで異国の地で新婚生活をスタートしました。
二人の子どもは香港で授かりましたが、
日本人が全然いないところに住んでいたので、
一日中、誰とも言葉を交わすこともなく、
慣れない育児に必死の毎日でした。
公園に行っても、
子どもを遊ばせているのはフィリピン人のメイドさんばかり。
彼女達はタガログ語で、おしゃべりに花を咲かせている。
ママ友もいない生活。
当時はパソコンもなかったので、ネットで人とつながることもできず、
情報も遮断されていました。
一番辛かったのは、上の子が2歳の時に第二子を死産したこと。
香港の医療水準の低さゆえに、前置胎盤ということがわからずに
香港で長期にわたり入退院を繰り返したあげく、
悲しい結末になり、心身ともに大きいダメージを受けました。
2歳の娘を友人の家に転々と預けながら入退院を繰り返すのは
友人にも心苦しく申し訳なく、幼い娘も不憫でした。
そういう時ですら
「おまえがグータラしているから、そういう目に遭うんだ」
と言う私の母でした。
死産の後、体調が悪く、肺炎になって入院したりもしました。
他の駐在員の奥様方は大切に育てられたお嬢さま育ちの方が多く、
つわりとか引っ越しでも、親が日本から飛んで来て
かいがいしく世話を焼いてくれます。
それが、とっても羨ましかった。
でも、私はいつも一人でがんばらなくちゃいけない。
どうしようもない孤独感と見捨てられ感、子育ての不安と責任感。
ただただ、自分が親にされてイヤだったことを
我が子に繰り返さない。
そして、自分が親にして欲しかったことを我が子にする。
子どもは親の所有物じゃないから、
生まれたときから一人の人間として尊重し、
あるがままを受け入れる。
それだけを必死で守り通してきました。
精神的にギリギリのところで、
我ながらよくがんばったと思います。
だから、香港にはあまり良い思い出がありませんでした。
今回の旅は、下の子が来春、大学を卒業して社会人になるので、
その前祝と、私の子育て終了のご褒美旅行でした。
当時は私が守らなければいけなかった子ども達が成人し、
今回の旅ではガイドブックや地図を見ながら先導してくれて、
頼もしく成長しました。
当時は子ども達が幼かったので、
夜の街を歩くことはありませんでしたが、
今回はナイトマーケットや、
夜の散策や夜景も堪能しました。

今までの中で、一番、香港を楽しめました
生きづらさを手放し、心から楽しみ、幸せを感じることができました
その頃は、必死で子育てをやっているつもりだったけれど、
今になって振り返れば、
私は子ども達にずいぶん助けられてきました。
そして、私に足りない部分を
夫が補ってくれていたのだと思います。
こうやって20年ぶりに一家四人で香港を訪れ
楽しむことができることに感謝しました。
すべての経験が今の私に続いている。
つらい過去が懐かしい思い出に変わった時でした。
過去に感謝し、未来に夢を持ち、今をワクワク生きる。
今の私は、それができるようになってきました。
これからも
「目の前の人を幸せにするために何ができますか?」と
常に自分に問いかけながら、前進して行きたいと思います。
今日もお読みいただき、有難うございましたm(_ _)m
みーこからの魔法の質問
「ターニングポイントになっている出来事は何ですか
」
まずはお知らせです。
11月23日(火・祝日)に
腰塚勇人「命の授業」東京講演会
があります。
私も実行委員の一人です。
会場でお目にかかれるのを楽しみにしています

詳細&お申込はこちら。
http://www.inochi-jyugyo.com/lecture.html
既にブログに書きましたが、
10月14~17日まで、一家四人で香港に行って来ました。
1983~1990年まで香港に住んでいたので、
20年ぶりの香港でした。
その頃の私は、まだアダルトチルドレンという言葉も知らず、
自分の生きづらさの原因がわかっていませんでした。
自分を肯定することができず、
生まれてこなければ良かったと思っていました。
消えてしまいたいと思っていました。
母親に攻撃されて育ったので、
温かい家庭を築くことに憧れていましたが、
婚約者の裏切りで、失恋の反動で見合い結婚。
恋愛すら成就できない自分に自己否定感は強まるばかり。
自暴自棄の私は、伴侶となった相手のこともよく知らないまま、
不安いっぱいで異国の地で新婚生活をスタートしました。
二人の子どもは香港で授かりましたが、
日本人が全然いないところに住んでいたので、
一日中、誰とも言葉を交わすこともなく、
慣れない育児に必死の毎日でした。
公園に行っても、
子どもを遊ばせているのはフィリピン人のメイドさんばかり。
彼女達はタガログ語で、おしゃべりに花を咲かせている。
ママ友もいない生活。
当時はパソコンもなかったので、ネットで人とつながることもできず、
情報も遮断されていました。
一番辛かったのは、上の子が2歳の時に第二子を死産したこと。
香港の医療水準の低さゆえに、前置胎盤ということがわからずに
香港で長期にわたり入退院を繰り返したあげく、
悲しい結末になり、心身ともに大きいダメージを受けました。
2歳の娘を友人の家に転々と預けながら入退院を繰り返すのは
友人にも心苦しく申し訳なく、幼い娘も不憫でした。
そういう時ですら
「おまえがグータラしているから、そういう目に遭うんだ」
と言う私の母でした。
死産の後、体調が悪く、肺炎になって入院したりもしました。
他の駐在員の奥様方は大切に育てられたお嬢さま育ちの方が多く、
つわりとか引っ越しでも、親が日本から飛んで来て
かいがいしく世話を焼いてくれます。
それが、とっても羨ましかった。
でも、私はいつも一人でがんばらなくちゃいけない。
どうしようもない孤独感と見捨てられ感、子育ての不安と責任感。
ただただ、自分が親にされてイヤだったことを
我が子に繰り返さない。
そして、自分が親にして欲しかったことを我が子にする。
子どもは親の所有物じゃないから、
生まれたときから一人の人間として尊重し、
あるがままを受け入れる。
それだけを必死で守り通してきました。
精神的にギリギリのところで、
我ながらよくがんばったと思います。
だから、香港にはあまり良い思い出がありませんでした。
今回の旅は、下の子が来春、大学を卒業して社会人になるので、
その前祝と、私の子育て終了のご褒美旅行でした。
当時は私が守らなければいけなかった子ども達が成人し、
今回の旅ではガイドブックや地図を見ながら先導してくれて、
頼もしく成長しました。
当時は子ども達が幼かったので、
夜の街を歩くことはありませんでしたが、
今回はナイトマーケットや、
夜の散策や夜景も堪能しました。


今までの中で、一番、香港を楽しめました

生きづらさを手放し、心から楽しみ、幸せを感じることができました

その頃は、必死で子育てをやっているつもりだったけれど、
今になって振り返れば、
私は子ども達にずいぶん助けられてきました。
そして、私に足りない部分を
夫が補ってくれていたのだと思います。
こうやって20年ぶりに一家四人で香港を訪れ
楽しむことができることに感謝しました。
すべての経験が今の私に続いている。
つらい過去が懐かしい思い出に変わった時でした。
過去に感謝し、未来に夢を持ち、今をワクワク生きる。
今の私は、それができるようになってきました。
これからも
「目の前の人を幸せにするために何ができますか?」と
常に自分に問いかけながら、前進して行きたいと思います。
今日もお読みいただき、有難うございましたm(_ _)m
みーこからの魔法の質問
「ターニングポイントになっている出来事は何ですか
」