宝地図は潜在意識とイメージの力を利用して
夢を実現させる働きがあります。

たとえば「梅干し」という言葉を聞くと、
実際に目の前に梅干しがなくても
丸くて赤い梅干しが目に浮かび、
すっぱい味が口中に広がって
唾が出てきませんか?
これも潜在意識とイメージの力です。

「イメージ」と「言葉」が綱引きをすると
どちらが強烈だと思いますか?

言葉で「頑張らなくちゃ!」と自分に指示を与えると、
体が緊張でこわばり、本領発揮できず、
うまくいかなかったり、
かえって失敗してしまったとかいう経験が
誰にもあることでしょう。

だからオリンピック選手は
イメージトレーニングを大切にしています。
自分のパフォーマンスがうまくいったところを
イメージする方が
「頑張らなくちゃ!」という言葉より
成功につながる効果が大きいのです。

トリノ・オリンピックの女子フィギュアスケートで
金メダルを取った荒川静香さん。
金メダル候補の他の強豪選手が
「頑張らなくちゃ!」というプレッシャーに負けて
転倒したり、ミスを連発する中、
荒川さんは他の選手の演技を気にすることなく
出番まで、お気に入りの音楽を聴きながら
イメージトレーニングに集中し、
本番でも自分の演技に集中して、ミスもなく
観客を惹きこむ流れるような見事な演技を披露しました。

昨日の「潜在意識ちゃん」に続き、
かめおかゆみこさんが今日のメルマガで
「イメージを使う」というタイトルで書いていらっしゃったので、
ご紹介します。


★今日のフォーカスチェンジ♪
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「イメージ」を使う


人間と、ほかの
生きものの最大のちがい。

さまざまな見かたが
できると思いますが、

私は、そのひとつに、
「想像力」(イメージ)を
あげたいと思います。


たとえば、ここに
薔薇の花が一輪あったとして、
それは、好きなひとから
もらったものだとしましょう。

すると、私たちは、
その薔薇の花の美しさを
愛でるだけでなく、

そこに添えられた想いをも、
ともに堪能することが
できるのです。

そして、仮に薔薇の花が
枯れたとしても、その想いが
あせることはないのです。


でも、猫が、いくら
好きな飼い主から
かつおぶしをもらったから
といって、

ああ、これはあの愛する
飼い主の…などと思って、
いつまでも愛でるなどと
いうことはありません。

あっというまに
食べちゃいます。(^^ゞ


そして、もっと言うと、
それをくれたのが、
愛する飼い主だろうが、
知らないおっちゃんだろうが、

かつおぶしがうまければ、
問題なく、即、食べます!

そこには、かつおぶしに
たいする愛はあっても、(笑)
それをくれたひとの
イメージを重ねることは
ないのです。


たとえが、はげしくゴーイン
だったかもしれませんが、(爆)

  しかも、いまどき、
  猫はかつおぶしなんて
  食べないよ、という
  ツッコミもきそうですが。

言いたかったことは、
人間だけが、この
「イメージ」を使える
ということなのです。


たとえば、私は、
「イワシの頭も信心次第」
ということばが好きです。

このことばはあまり
いい意味で使われることは
ないようですが、

でも、客観的に考えて、
すごくないですか?


だって、イワシの頭が、
神さまに見えちゃうのですよ。

いや、そうは言ってませんが、
見えちゃうくらい、信心の
対象にできちゃうのですよ。

しつこいようですが、
猫に、鉛筆を見せて、
「これがかつおぶしだ」と
言っても、絶対に
相手にされませんからね。(^^ゞ


それは、私たちのこころには
イメージがあって、

私たちは、事実そのままを
見ているのではなく、

このイメージのちからを
使って、見ているという
ことになるのです。


だから、はたから見ると、
「なんでそんなひとが
 いいの?」と言いたく
なるようなひとを、

「このひとこそ運命のひと!」
と、主張してやまないなんて
ことが起きるのです。


だから、あとで、
「だまされた!」というひと
も、ときどきいますが、

そうではなく、そのときには、
あなたにとって相手は、
イワシの頭だったのです。

あなたがそのときにいだいた
イメージのままに、相手が
見えていただけなのです。


前置きが長くなりました。

(すみません、前置きでした)

だとしたら、私たちは、
この「イメージ」を、
もっと有効活用したら
いいのではありませんか?


イメージすれば、
どんなことも、現実と同じ
ことになってしまうのですよ。

そして、ひとは、
イメージしたとおりにしか
受け取れないのですから、

それが正しい・正しくない
という論議は、まったく
意味がないのです。


先ほどの「運命のひと」も、
たまたま、途中で
そのイメージが途切れたから、
「だまされた」
となるのであって、(^^ゞ

これが一生つづいたら、
「私は最高にしあわせだった」
と、涙ながらに感謝しながら、
人生をまっとうすること
だってできるのです。

  どっちが幸福なのか、
  私にはわかりませんが。(爆)


私は、ワークショップのなかで、

たとえば、てぢかにある
ペンケースでもコーヒーカップ
でも、なんでもいいのですが、

直接、相手と対話するのではなく、
このペンケースなり
コーヒーカップにたいして、
話しかけるというワークを
やることがあります。


ちょっと言いづらいことでも、
そんな、モノを介することで、
ふっと伝えられちゃったり
することがあります。

つらい気持ちを、すんなり
ことばにすることが
できちゃったりもします。


そのとき、私たちは、
ペンケースやコーヒーカップ
にたいして話しているのでは
なく、(それでは、あやしい
ひとになっちゃいますから)

そこに、イメージを託して、
相手に語りかけているのです。


だから、自分の気持ちをうまく
表現できない子どもたちでも、

そんな、モノを介しての
コミュニケーションをとる
ことは、可能だったりします。


子どもに直接語りかけるのでは
なく、子どもの好きな人形に
語りかけることによって、

子どもが、間接的に、話を
聴いてくれたりするのです。

  もちろん、個々によって
  対応のしかたは変わります。


さまざまな例を挙げれば、
ものすごく長ーい話に
なっちゃいますので、
このへんにしておきます。(^^ゞ

でも、これらは、すべて、
「イメージ」なのです。

「イメージ」をどう使うかが、
かなめとなるのです。


この無限の可能性に満ちた
「イメージ」を、

未来に対する不安とか、
過去に対するうらみばかりに
使うのは、もったいないですよ!


あなたが人間であれば、
この「イメージ」を使うことが
可能なのです。

ええ、いかようにも
使うことができるんです!


自分が前向きになるために、
自分が楽しくなるために、
自分が幸福になるために、

どうぞ活用してください♪