赤いC32ローレルの修理はあとエアコンを残すのみとなりました。
これまでに交換した部品の数々。
ブレーキフルード漏れは解消。ジャパン、R30用の社外ホイールシリンダーで正解でした!
ドライブシャフトブーツはハズレ、同じ品番相当品なのに径が小さかったです・・・。
非常に複雑な構造で交換に苦心されておりました。ドライブシャフトとブーツが一体型になっており、根っこから削り取って綺麗に整形してから径の合う社外ブーツを取り付けて頂きました。
エアコンも社外のリキタンはバッチリ合い、エキパン交換、エバポ洗浄で効くようになりましたが、エアミックスが動いていないとの事で謎を解いて頂いている所。エアコンユニット(アンプ)かセンサー類か?あと一歩の所で未完成となっております。
そんなこんなで長く離れていると恋しい気持ちになり、2004年頃、かつて赤いC32ローレルの制作に至った経緯を思い起こしました。
C32ローレルが好きになったのは昭和59年デビューの中1の頃からですが、赤に憧れたルーツは1991年頃の福岡仕様ブームがキッカケでした。
これは1993年頃乗っていたC32ローレル、ヤ○グオート誌からオ○トファッション誌に趣向が移ってからの仕様ですが・・・。
1991年頃はGX71に良く見られる当時のハイソカー風でした。地元には福岡仕様に乗っている友人もおり、さらに過激な仕様への憧れもありました。
1991年頃のヤ○グオート誌では福岡仕様が真っ盛り!
GX61世代がドンピシャといった感じですが、ちょっと新しめのGX71でレーシーなのもカッコ良かった!
しっかり艶やかな赤一色でオールペンされたGX71にも惹かれました。やっぱり綺麗で高品質じゃなきゃダメですよね。モールは取っ払いながら、残すべきメッキ類はしっかりと残している所が良いですね!
数少ないですが、兄弟車R31の福岡仕様もイメージを掻き立てました。
その後、時は過ぎてVIPカーやアメリカン、ヨーロピアン等、様々なムーブメントがあり、2000年頃、僕は旧車になりたて位のジャパンに乗ってました。しかしその頃、福岡仕様を起源とした引っ張りタイヤとツライチで魅せるネオクラシックが静かなブームの兆しを見せ始めていたのです。
ボディはストックのまま足回りのみで魅せるスタイルは現在でも主流ですが、このスタイルが脚光を浴び始めたのはこの頃からでしょう。
ちなみに誤解を恐れずに言えば、1990年当時、このスタイルは中途半端でドレスアップ途上といった感じでした。福岡仕様にするなら、モール類は取っ払いますし、カラーリングも変更したい所です。マスクもグリルレスにするか網にするかロングノーズにするか、そしてチンスポや板っパネも付けますよね!しかし、このやり過ぎない感じとベースの良さを活かしたイジり方は、元々これらの車そのものが好きだった僕にはグサリと刺さりました!
とは言え、2000年頃、その最高峰にいるのはまだカラーリング変更された仕様でした。(と思っておりました)
しかし1990年当時と違い、グリルもノーマルっぽくしっかりと残し、恐らく足もノーサスでは無く車高調、ステッカー類も上質なメーカー系チューナー(トムス・TRD系)のものと、メーカーがメイキングした様なレーシーさが、ベースとなるハイソサエティーカーGX71とのギャップの魅力を醸し出していました。
そして2003年頃、仕事の事情でジャパンを降りてから約2年間のブランクを経て、念願のC32製作を決意します。詳しくはこちらをご覧下さい。
2004年頃、イメージを膨らます為に描いたスケッチ。
モロ福岡仕様では無く、スカイラインと兄弟という事を活かしたレーシーさを採り入れる事にしました。
拾い画等を使ってフォトショップで様々なシミュレーションを行いました。カルソニック仕様はチンスポ・板っパネではなく前後R31のGTS-R風スポイラーになっている所もご注目。
だんだんとイメージが固まってきました。
ベージュのがベース車、赤いのが最終イメージ画ですね。リアスポは無し、チンスポはR31のGTS-R風にして現代流解釈としました。
赤もどの色にするかかなり迷いました。nap factoryの中野社長と遠隔で相談していた際に使った資料!ネット通販ドレスアップ!
そして中野社長がおすすめしてくれたのがロッソコルサ、いわゆるフェラーリレッド。
こんな感じで塗って頂いて
2005年7月に完成!当時は今よりも福岡チックで14インチですね。
その後、18年が経ち、年齢相応にコンプライアンスも気になる様になり、ハミタイをやめ、より近代化とレーシーさを向上させるべく15インチ化した現在の姿がコチラ。
修理完了までもう少し!早く乗りたいです。
-僕の好きな車達-[http://zenswd.g1.xrea.com/]