率直に言うと、大変ショックなニュースでした。

 

クラウンってもはや自動車としての1ブランドという概念を超越した存在だと思うんです。

 

昭和30年に純国産設計で開発された乗用車第1号という偉大な史実は、後世文献で知った知識ですが、僕が車に興味を持ち始めた昭和49年(3歳)の時から、日本で一番高級な車(センチュリーは別格なので除く)の代名詞として、脳裏に焼き付けられる程のブランドでした。

 

ちなみにその頃の現行は5代目のMS100。年長くらいの時にマイチェンしてハードトップは威風堂々としたベンツマスクに、セダンはテールランプの真ん中にクラウンの王冠マークが入り、子供でも一目で高級車だと分かったものです。

 

MS105クラウンピラードハードトップ、通称ベンツマスク。

 

現代では当てはまらないかも知れませんが、現在49歳の僕が生まれ育った時代の中では、「クラウンに乗っている」という事だけで「社長・役員」なのか「個人事業主」なのか、サラリーマンでもそれなりに所得があるのか、いわゆる「成功の証」を自ら説明しなくても、表現してくれる代名詞でした。

 

小学生の頃、ちょうど親は30代後半くらいの家が多かったので、友達でクラウンに乗っているという家はほとんどありませんでした。せいぜいマークⅡ、ローレルくらいまでで、それでもお金持ちの家というイメージでした。

 

ちなみに僕の親父はずっと日産ばかりで、その頃はケンメリ1800、ジャパンのGTと乗り継いでおり、やはりクラウンやセド・グロにはまだまだ手が届かない世代でした。僕と親父は30歳違いなので、昭和53年、小1の頃で37歳、そんなもんですよね。なのでクラウンというともう少し上の世代、親父のおじさんみたいな人達が法事の時に乗って来る車というイメージでした。黒塗りのクラウンは法事を連想させ、子供心に少し怖いという印象もあり、トヨタの内装(タコメーターの無いインパネやタテのエアコンレバー、ベンチシートに半レースカバー等)も見慣れなかった為、正直あんまり好きな車ではありませんでした。

 

しかし、80年代を目前に、セド・グロが430で開放的な明るいデザインに一新されたのに少し遅れ、クラウンも110(鬼クラ)となりシャープで近代的なデザインに生まれ変わりました。

 

430グロリア。

 

MS110クラウン、通称鬼クラ。

 

それでも日本的な美しさを訴求しており、430よりも慶弔感が残ってはおりましたが、ここからは好きな車の1台として現在に至ります。と言っても新しいものを頭ごなしに否定するつもりはありませんが、好きなのは1コ前の210までです。現行クラウンのドイツで流行している4ドアクーペスタイルには必然性を感じませんし、同じ6ライトのアウディA7やA5スポーツバックに比べて大して美しくもありません(どちらかというとコロナSFに似ているのは車好きの皆様ならご存知の通りです)。クラウンはクラウンの世界観だからこそ若者も憧れるのであり、媚びる必要はなかったと思います。

 

現行クラウン。

 

 

コロナSF。よく似てますね。

 

鬼クラの次は「いつかはクラウン」で有名な120。今思えばこれくらいの若返りでちょうど良い位ですよね。ちゃんとクラウンらしさも残しつつ、パーソナル感溢れる、クリスタルピラーにグリルにビルトインされたフォグランプ、6M・7Mのツインカム6に、1Gのツインカム24。リップスポにアルミホイール、少しハードなサスで1~2世代前のクラウンから比べたら十分革新的でした。

 

120クラウン。5M-GEUを積んだ3ナンバー。

 

1G-GEUを積んだ5ナンバー。 

 

その後も130は3ナンバー専用ボディにマルチビジョン、エアサスで特別な車でしたし、140のマジェスタも国際車のセルシオとは違ったドメスティックな魅力がありました。150は時代的にバブルが弾けて豊かな時代に生まれませんでしたが、170で骨太なメルセデスのSクラス的なセダンスタイルとなり、ゼロクラウンではクラウンがメルセデスのEクラスとも肩を並べられる様な流麗なデザインとなり、走りもそれまでのクラウンとは一線を画した革新的なモデルでした。200はキープコンセプトでしたが、210もREBORNと銘打って、斬新なマスクでありながら、堂々としたデザインで十分にクラウンらしさを感じるものでした。

 

 

180クラウン。通称ゼロクラウン。 

 

大人になって分かったのが、どこからクラウンオーナーの道に入るか、という事も人生や時代を示している様で面白いと思いました。若者が無理して買うクラウンでは無くて、きちんと働いてそれなりの立場になってから乗るクラウンの事です。

 

人生で仕事が軌道に乗り、それなりの立場となり、それなりの収入が得られる様になった時に、たまたま新車で売っているクラウンがその人にとってのクラウン道の入門だったりするんですよね。少し前なら役員になり、社有車として与えられた時に乗る誇らしいクラウンがその人にとってのクラウン道の入門であったりする訳です。

 

サラリーマンの僕も、新人の頃から上層部の方々が乗るクラウンをたくさん見て来て、時にはその様な方々を後席に乗せて運転させて頂く事もありましたが、そのクラウンはお金を出せば買えるクラウンとは少し違うんですよね。仕事で成功を収め、その立場になったからこそ乗れる車、それは商品の1ブランドでは無く、人生の誇りや歓びを表現するブランドなのだと思いました。

 

そういった成功された方々にとって、初めて乗るクラウンは鬼クラだったかも知れませんし、ゼロクラだったかも知れません。仮にそういう昔話を聞くだけで、その人は何歳くらいにどの様な立場だったのか、どんな人生を歩んできたのか少し見えて来る気さえしてきます。

 

少し話はそれますが、鬼クラ後期の「はじめてのクラウン」のCMも良いですよね。それまでの山村さんと吉永小百合さんをメインキャラクターとした重厚なCMに比べ、随分若返りを図ったイメージですが、社会人になってそれなりに収入が得られる立場になった時に買った5ナンバーのクラウンという設定で、OBとして大学時代のクラブ活動を見に行くというストーリー。ちょっと誇らしいですよね。

 

 

 

実は僕も僕の親父もY32くらいまではクラウンよりも少し尖ったセド・グロの方が好きでした。親父がセド・グロクラスに初めて足を踏み入れたのはY31グロリアのV20ツインカムターボのブロアムでした。クラウンで言うと130の頃ですね。そんな親父も現在79歳の高齢となり、200からクラウンに乗り出しました。日本の道路事情に合った高級セダンと言えばほぼクラウン一択です。今は210の3.5アスリートに乗っていますが、良く似合っていると思います。いつまでも元気に高性能な車に乗っていて欲しいです。

 

Y31グロリア。

 

 

Y32グロリア。

 

210クラウン。親父のはプレシャスシルバーですが。

 

日産は早々とセド・グロの名を捨ててしまいました。今では、やっぱりクラウンだけが本物の日本の高級車だったのかな、という気さえして来ます。セド・グロはとても格好良く、オーナーカーとして走りも魅力的でしたが、肩書や立場、人を語る代名詞とまでは言えなかったのかなと。クラウンと同じ道では敵わないから、違う路線を歩むしか無かったのではないかとも思えて来ます。クラウンとはそれ位のブランドです。

 

それはやはり続けてきた事、その時代の人々の夢や誇りや人生を乗せて歩んで来た事に他なりません。歴史は簡単には作れないんですよね。そこを日本が世界に誇る企業であるトヨタには理解して頂きたいですね。

 

近年、自動車を取り巻く環境は激変し、トヨタも危機感を持っている事が各種ニュースでも見て取れます。もはやトヨタは自動車という商品をプロダクトアウトするだけの会社では無く、地球規模、宇宙規模で人類にとってのモビリティの在り方を考えて変化を続ける企業であるという事は理解しています。しかし日本が世界に誇る企業だからこそ、日本人の心に刻まれた景色や文化は大切にして欲しいものです。

 

何とSUVの様な車になるのでは無いかとも噂されておりますが、いくら何でも節操がありません。何でもかんでもSUV化される今のトヨタの現状を見て、冗談でクラウンクロスも出るんじゃないかと思っておりましたが、まさか本当にこんなニュースが世に出るとは思ってもみませんでした。車としてのカテゴリーまで見直すのでは無く、クラウンとはどの様な存在か?今一度見つめなおし、自動車の1ブランドとしてだけでは無く、人を語るブランドとして歴史が継承される事を切に願います。

 

-僕の好きな車達-[http://zenswd.g1.xrea.com/]