――ごふようになったもの なんでもかいとります――
風の音がごうごうと鳴り響く真っ暗な森の中を歩いていると、目の前に立札が突然現れた。立札にはぼんやりと灯りがともっていて、月も出ていないこんな夜であっても、何が書いているのかがわかった。
「ほたる」
背をかがめて覗きこんでみると、その灯りはビンで出来たランプに入っていた小さな虫が発する光によるものだった。季節は夏ではない。むしろ、辺りは雪がふぶいていて、凍えてしまいそうなほど寒い冬であるのに、何故ほたるが存在しているのだろうか。
すっかり鈍くなっていた脳さえ、首を傾げるべきだと身体に伝達して来る。
「こんなところにリサイクル店……?」
「いらっしゃいませ」
「うわ!」
とても人が住んで暮らしていけるとは思えない場所で不思議に思っていた背後から、突然声をかけられた。オバケに遭遇したかのように、飛び上がって驚いてしまう。
「すみません、びっくりさせてしまいましたね。お客さま」
「いえ、僕は」
客ではありません、と言おうとして振り返る。すると、にこにこと微笑みを浮かべた老人がそこに立っていた。気配など何も感じなかった。
忍者の末裔か?
「ご不要なものをお持ちなのではありませんか? だからこそ辿り着いたのでしょう」
おや? と、洋服の胸ポケットを指して老人はまた笑った。老人は、夜なのに三角帽子を被り、年季が入った木の曲がりステッキを持っている。そして、白髪に白ひげ。着ているものが何故かアロハシャツだった。
ズタボロの布をポンチョ代わりに引っかけているだけの自分には言われたくないかもしれないが、それでもはるかにおかしい。しかし、衣服だけを除けば、いかにも魔法使いを意識しています、というような出で立ちだった。
「中でお話を伺いますよ。さあさあ、どうぞ。寒かったでしょう」
「僕は本当に客ではなくて、ここに来たのはたまたまなんです!」
慌てて事情を話そうとするも、綺麗に流され、背中を押されるまま案内されてしまう。
立札があった場所のすぐ横にある木のアーチをくぐると、真っ白なキノコのような形の家が建っていた。
「ここがお店なのですか?」
「はい。私は、長い間この店を営んで来ました。それはもう、年数を数えることも面倒になるほどです」
長い間、と言う言葉が信じられないほど、キノコの形をした店のなかは何もなかった。何もない、というのは少々語弊があるかもしれない。というのも、何もないわけではなくて、生活をしていくために必要な家具などはきちんと存在している。
ただ、立札に記載があったような不要なもの、という、いわゆるこの店で取り扱っているはずの商品らしきものが全く見当たらなかったのだ。
「驚かれましたかね」
コポコポと小さな音を立ててお茶をカップに注ぎながら、まるで見抜いたかのように老人は言い、ふたつのカップをテーブルに置いた。
「要らないものは、毎日毎日やって来ますよ。ですが、すぐにまた必要なものとなって売れてしまう。ですから、ここには今は何もないのです」
「需要と供給が、上手く成り立っているのですね……」
収支のバランスが取れていて、リサイクルショップとしては成功店だ、と思った。
「ははは! ええ、そうかもしれないですねえ」
いただきますとお礼を言ってお茶を口に含みながらキョロキョロと部屋を眺めると、老人は愉快そうに頷いていた。
「これは、ほうじ茶ですか」
「いいえ、紅茶です」
熱すぎずぬるすぎず、ちょうど良い加減であったお茶は、冷え切った身体をゆっくりと解凍していく。生きた心地とは、こんな状態をいうのだろう。素直にありがたかった。
「さて。では、そろそろ見せていただきましょうか。あなたの、不要なもの」
外で会った時と同じように老人は、胸ポケットに手の平を向けた。
「僕は、こんな、芽も出ない種しか持っていません」
そっと取り出したそれは、ふやけて腐ってしまった種、干上がってカラカラになった種。どれもこれも実になりそうなものではない。
「買取りをしていますので、代金をお支払いしても構いませんし、何か欲しいものがありましたらその対価でご用意しますよ。いかがいたしましょうか」
「こんなものに対価などあるのですか? 汚いし、売り物にだってならないのに」
「もちろんですよ。きちんと差し上げます」
老人はその種を受け取り、手の上でひとつひとつ指で確かめるように撫でた。
「では……お金は……今は、必要ないので」
地図を下さい、と言った。
「ほう、地図を」
「はい。地図が良いです。道に、迷ってしまっていたので」
もうずっと、さまよい続けてあてもない旅をしていた。入口に戻ろうにもここまで深みに入り込んでしまってそれも出来ずにいた。
こんなに温かいものを飲んだのも、舌が紅茶というものの味を思い出すまで時間がかかるほど久し振りのことだったのだ。
「承知いたしました。では、すぐにご用意いたしましょう」
それ以上会話をすることはなく、老人は席を立った。
「騙された!」
――これは完全に行き止まりだった。違う、正確には追い詰められていた。
道は三本あって、左は険しい茨道、真ん中は見るからに恐ろしい獣道、そして右がジ・エンドしてしまう崖っぷちコースだ。
地図を見ながら進んできたというのに、これは一体どういうことなのか。分かれ道で立ちつくしたまま、地図をぐしゃりと握りしめる。
「騙された!」
悔しさに思わず二度叫んだ。
いや、一文の得にもならない種の対価なのだから、それは騙されたということにはならないだろうが、この地図を頼りに歩いてきたというのにこれはないだろうと言いたい。
「引き返して正しい地図をもらうしかないか……」
体力も気力も限界に来ていたが、手元の地図にはあの奇妙なリサイクルショップまでの道のりが示されている。戻るしかない、と踵を返すことにした。
「――なんだ、これ」
重たい足を引きずってようやくあの店にたどり着いたはずが、立札もキノコの家も見つからない。ところが、代わりに視界一面に広がっているのは花畑。いや、これは花園だ。
考える。確かにこの店を出発してから長い時間が経過してはいたが、決して季節を飛び越えるほどではない。まだ、冬であるはずなのだ。間違っても花が咲き乱れるような時期ではないし――
「おや、いらっしゃいませ。またお越しいただけましたか」
茫然と佇んでいると、いつかのように背後から声をかけられた。
「あの、この花はどういうことで」
「ああ、これはあなた様から買い取った種から育ったものですよ。あまりに見事な庭園になりましたので、こうして開放しております」
そんなバカな。腐ったり干からびた種から花など咲くものか。と、口に出すことも出来ないほど、この現象が受け入れられない。
タイムワープした? それともパラレルワールドに迷い込んだとか?
美しいでしょう、と自慢げに横に並んだ老人は、今度は燕尾服を着ていた。今となってはとてもどうでも良いことなのだが、アロハシャツよりはましだとはいえ、この老人のセンスが理解できない。
「ご案内いたしましょう。さあさあ中へ」
これもまたいつかのように背中を押され、ぐいぐいと足を進められる。木で出来ていたはずのアーチは、物語のなかのお姫さまでも飛び出してくるのでは、と思うような薔薇のアーチに様変わりしていた。
「――知らないうちにあの世に来てしまったのかな」
「ははは。いいえ、生きておられますとも」
フルーツのような、甘く芳しい香りが広がる庭園をぐるりと見渡しながら歩くと、そこは別世界かと思うほど色鮮やかな景色が目に飛び込んで来る。
「かわいい、お花ですね」
「そうでしょう。ですが、愛らしい姿とは異なって、とても勇ましいのですよ」
ふと、目にとまった花壇で立ち止まった。
わたしはみていた
あなたのがんばり
ゆずれぬしんねん
まげずにいきる
しんじていいよ そのきもち
それがあなたのうつくしさ
それがあなたのすばらしさ
歌が聞こえてきた。
それは、細かいうす紫色の花弁を持った花から紡がれている。
「タイムはいつもこうして称えています。誇りを見失った人々は、この花に触れて、勇気を取り戻していかれましたよ」
いただくよ、と一声かけるようにして、老人は根から一本タイムの花を抜いた。
「次に参りましょう」
花がどうして歌を歌っているのか。そもそも本当に何故咲いているのか。この老人は真実魔法使いだとでも言うのか。疑問が次々と頭に過るが、勢いが良すぎて突き抜けていく。
「はい……」
今度は大きな、濃い桃色の花弁をつけた木々が見えてきた。
タイムの時のように、また歌声が耳に届く。
だれになんといわれても
まもるそのうできずついて
いたむこころがなこうとも
ねがうはしあわせ ひとびとの
だからわたしがねがうのは
あなたのしあわせ ただひとつ
「モクレンになりました。この木の傍に来ると、何だか温かい想いが溢れて来ると誰もが言いましてなあ……花言葉が、慈悲だからでしょうか」
いただくよ、とまた囁き、枝をぽきりと手折った。さあ次へ、と肩を静かに押される。
はずむこころがおしえてくれる
あなたはとてもすてきだと
おそれがあってもいいじゃない
できなくたってきらわれない
よりそうことはこわくない
ふれあうことはこわくない
あなたのすべてをいつくしみ
あいしてくれるひとがいる
「アザレア……」
「はい。この場所で愛を伝え合うと、二人は強い絆で結ばれるともっぱらの噂です」
かわいらしいピンク色の花びらが、歌いながら揺れる。アザレアも仲間に加えると、また歩き出した。
マリーゴールド、ユキノシタ、アルメリア、ヒマワリ。センブリ、サザンカ、ユキヤナギ。プリムラ――。
春夏秋冬、気候や土地柄を全く無視して、種類様々な花たちが、温室でもないただの土の上で見事に咲いていた。
「いったい、何をしたのですか」
身体全体がすっぽりと甘い香りに包まれ、歌はまだ続いていた。これは夢なのだろうか。
「特別なことは何も。ただ、水をあげたのです。こうやって、声をかけながら」
どこからか取り出したのか、子どもが使うようなゾウのジョロで、老人が水やりをしている。
「偉かったな。ありがとう。君の好きなときに咲きなさい。ああほら、また咲きましたよ」
スローモーションのようにゆっくりと、閉じたつぼみが動いた。それは、誰もがどの場所でも見つけることができる、野花。小さな黄色い花びらが広がっていく。
「いつも、人の顔色ばかり伺っている弱さが嫌で」
「その種は、優しさの意味を持つアイリスになりました」
「叶わない夢を追いかけることに疲れて」
「その種は、満たされた希望を持つダイコンソウに」
「縛られることに耐えられなくて逃げ出したのに、不安から逃れられない」
「その種は、カキツバタという幸福な贈り物に」
「人を好きになんてなれないし、なってもらえないと思ってた」
「先ほどのあのアザレア、話題のパワースポットですよ」
今咲いたばかりのタンポポの花を一本手にして、老人はこれでよし、と笑った。
「あなたが汚いと言ったので、さぞや黒々とした何かになると思ったのです。まるで地獄の底にはびこるカビのようなね。ですが、地獄どころか天国のような花園になってしまいましたよ!」
リーンゴーンリーンゴーンと鐘の音が響いた。どこかで結婚式でもしているのだろうか。
「あなたの心は、不要なものですか?」
摘んで回った花たちが、ブーケになって差し出された。
「いいえ、いいえ……っ」
視界がぼやけて、もう何も見えなかった。首を横に一生懸命振ることしか出来なかった。
要らない、と思った。
捨ててしまいたい、と願った。
いちいち傷つく弱い心なんて、躓いては立ち上がれなくなる臆病な自分なんて、誰も信じられない、自分を愛することも出来ない嘘っぱちの笑顔なんて、みんなみんな、手放してしまえたら楽になる。
もう、どの道に進んで良いかすらわからないけれど、生きてきた意味も一緒に失くしてしまったけれど、それでも、重たくて苦しくて、抱えていたくなかった。
それでも、手放しても何一つ苦しみは変わらず、道には迷ったまま。からっぽな自分だけが存在していた。
「必要です……ひとつ、残らず、全部」
ブーケを受け取って、胸に抱えてぎゅっと力を込めた。
「はい。だから申しあげたでしょう? ここには、要らないものは毎日山のように来ますが、すぐに必要なものになると」
指をパチンと鳴らし、老人が地図をお返しください、と両手を差し出した。
「買い取りですから、この花の対価をいただかなくてはいけません」
これ、何の役にも立たない地図だったのですが、と文句を言いに来たはずが、その言葉は全て喉の奥に引っ込んで、ただ言われるままポケットから地図を返した。
「また、ご不要なものがあればいらしてください」
地図も、老人も、花園も消えていた。
ただひとつ、青い薔薇のアーチだけを残して。
「奇跡は、僕が起こします」
ためらうことなく、真っすぐそのアーチに向かって歩き出した。
――ごふようになったもの なんでもかいとります――
森の奥深く、季節はずれのホタルの光に照らされた立札がもしもあなたの目の前に現れたなら。
ちょっと胡散臭い……いえ、風変わりな魔法使いらしきおじいさんに招かれたなら。
その時は、ちょっと立ち止まって考えてみてください。
貰える地図はでたらめです。
あのお茶やっぱりほうじ茶です。
あなたはこの世に 必要です。
【捨てる神も 拾う神も同じ】