仙台~②大崎八幡宮【御朱印】 | ☆流るる景色~その時々☆

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仙台駅→青葉神社→大崎八幡宮
 
続いて訪れたのは大崎八幡宮。
 

【住所】宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6-1
【電話】022(234)3606

 

 

駐車場は神社の正面ではなく裏側にありました。この鳥居は裏側の鳥居です。

八幡宮の『八』に注目!はてな可愛いきゃっ

 
 
【国宝 大崎八幡宮】
 

東夷征伐に際し、坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく武門の守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請、鎮守府八幡宮を創祀しました。その後、室町時代に奥州管領大崎氏はこれを自領内の現遠田郡田尻町に遷祀し守護神として篤く崇敬した為、世に大崎八幡宮と呼ばれました。

 

大崎氏の滅亡後は伊達政宗公が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地に祀られました。

 

この際に旧領の羽前国米沢にて代々崇敬しておりました成島八幡宮と共に祀られました。 社殿の造営にあたっては、当時豊臣家に仕えていた当代随一の工匠が招聘され、その手に成った御社殿は豪壮にして華麗なる桃山建築の特色が遺憾なく発揮されており、仙台六十二万石の総鎮守として伊達家の威風と遷宮当時の絢爛たる息吹とを今に伝えております。

 

藩政時代を通じ歴代藩主の篤い尊崇を受け、明治以降は大崎八幡神社と称しておりましたが、御遷座四百年を間近に控えその歴史的経緯を考慮し、平成九年六月、社名を大崎八幡宮に復し、現在に至っております。

 

尚、当社殿は安土桃山時代の我が国唯一の遺構として国宝建造物に

指定されている。

 

※案内板に書かれています。

 

 
手水舎 
裏側でお浄めをしましたが、表側にもありましたよ。
 
 
この時期の一大イベントが見えてきました。
 
 
七夕祈願祭!
 
仙台では8月に七夕祭りをすると言う事は有名だと思います。その仙台七夕飾りには7つの飾りの形があり、願い事によって形が違うとか。
 
因みに、
 
短冊→学問や書の上達を願う。
 
紙衣→神に捧げると言う意味で、竹の一番上に吊るし、お裁縫の腕が上がるように願いながら縫われる。病や災の身代わり。
 
折鶴→長寿を願う。
 
投網→豊魚を願う。
 
屑籠→飾りを作り終わってくずを籠の中に入れ、物を無駄にせず、清潔と倹約を願う。
 
吹き流し→織姫の折り糸の象徴。
 
色々と意味があるのですね。
 
 
折角なので、短冊も書かせていただきました。
願いがないますように!
 
それはそうと・・・伊達正宗公、やはり凄い人だなぁ~と思うのです。この神社も、政宗公の命により12年もの年月をかけて造営されたようですし、短冊にも書かれているように、七夕祭りも政宗公の時代に、より盛んに行われるようになったようです。
 
地域に根ざしていると言うのかな?この辺りの事を追ってみると、地域の事を良く考えていると言うか、民の事を良く見ていたのだろうな~。と感じる事が多いのです。
 
 
野球の選手も祈願されたようです。
 
 
バスケの選手も祈願されたようです。
 
その他にもたくさんの絵馬がありました。
 
 
がーーん嘆!!
 
残念ながら、社殿は工事中ガーンタイミングは悪かったけれど、修繕工事は必要ですもんね!仕方ない汗
 
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でも、やはり諦めきれず、横っちょから撮らせていただきました。
!!7豊臣秀吉!!7って感じがしますきらきら
 
安土桃山時代の文化を今に伝える我国最古の建造物ということですもんね。
 
政宗公は、元々派手好きのようですし、こういう作りだったり、色だったりも好きだったのでしょうか?
 
秀吉公との繋がりやらも垣間見れます。
 
 
こちらは正面側の鳥居です。
表参道のずーっと奥。長床や社殿は見えませんね。
本当広かったです。
 
 
この鳥居の後ろ側は・・・これ↓
 
 
まだ階段があって、その先に薄っすらと鳥居が見えます。時間があればゆっくりお散歩をしたかったのですが、計画よりも時間がかかってしまったので、ここまでにして先を急ぎます。
 
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戴いた御朱印はこちら。
人によっては、『八』の部分が鳩になっているようですが、普通の『八』でした。
 
 
:..☆.。.:*・°☆.。.:*・°続く☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆*