悪役令嬢に憧れて 序章・2 | またゝびの妄想書庫

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 私を母体から取り上げた初老の男の名前はヴォルフといい、父親である翁の名前はガングといった。ヴォルフはこの村の長らしく、村民の総意を聞き、決定権を委ねられた。私のこれからの人生の一端をこのヴォルフが担っていると言ってもいい。ヴォルフとガングは家に帰ると、ヴォルフは私を連れて自分の部屋に籠った。彼の部屋はとても質素で、どこか物悲しさを感じる部屋だった。必要最低限の物しか置かれていないと思われたこの部屋は、まるでこの村の有り様を表しているようだ。家の外面は普通の田舎にあるような漆喰や煉瓦で造られたよくある家なのに、その内面は普通とは違っている。部屋には一人用のベッドが二つーーそのうち一つは使われていないらしく枠組みだけが置かれている。そして都合よくベビーベッドが置いてあったが、こちらは埃をかぶっている上、長年放置されているらしく今すぐには使えそうもない。仕事に使うであろう飾り気の無い机と椅子に、木目調のタンスが置いてある部屋は、男一人が使うには広すぎるように感じる。
 ヴォルフは自分のベッドに私をそっと寝かせると、その横に腰を落ち着け「はぁ」と大きな溜め息を吐いて頭を抱えた。時々私の様子を伺っては、顔を伏せてどうしたものかと困った横顔する。「はぁ」と二度目の大きな溜め息を吐く。ヴォルフの行動を見ていると私も溜め息を吐きたくなった。
 ヴォルフは村民の前で威張り散らすわけではないが、威厳を保とうと努力をしている。だから村民の話も熱心に聞いていたし、皆の前では言い切るような言葉遣いをして私を一晩預かることにしたのだ。しかし一人になった途端、こんなにも溜め息を吐き、私の扱いに困って頭を悩ませている。優柔不断ではないだろうが、長としての必要な決断力や判断力はまた未熟なように思えた。二人して黙り込みーー私は赤子だから泣くことしか出来ないが、重苦しい空気に包まれていると、それを払うように、コン、コン、コン、と軽くドアを叩く音が聞こえた。
「食事を持ってきた。ドアを開けてくれるか」と、しわがれ声が聞こえた。
 ヴォルフは急いでベッドから立ち上がるとドアを開ける。ガングは長方形の盆を持って部屋に入ってきた。盆の上にはパンの入った籠とマグカップ、そして縁の深い木製のスープ皿が二つ載っていて、どの皿からもゆらゆらと湯気が立ち上っていた。匂いからしてコーヒーとクリームシチューだろうと予想した。
「山羊の乳があったから温めた。なかなか泣かないが腹が減っているだろう」
 そう言って、心配そうに私に視線を向けると、ヴォルフも同じように私に視線を向けた。
「そうだな。産声をあげてから泣くことがないから、気が付かなかった」と、申し訳なさそうに言う。
「御湿も確認した方がいいかもしれんな」
「御湿など、家には……」
「私の部屋のタンスの奥に大事にとってあるよ。後で持って来よう」
 ヴォルフは何も言わず表情を曇らす。不甲斐無い自分に苛立っているように思えたが、私の気のせいかもしれない。
「生まれてから一度も泣かぬとは、芯の強い子なんだろう。頑固とも言うべきか。子育てをまともにしたことのないお前が気を配るのは難しいだろうな」
 ガングはヴォルフを慰めるように言う。机の上に盆を置き、ヴォルフの方を向いて
「お前も腹が減っているだろう。私がこの子にご飯を与えているうちに食べてしまいなさい」と言った。
 ガングもヴォルフ一人に私の世話を任せるのは心配だったのだろう。スープ皿の一つとスプーンを片手で持って、私の横に座った。
「まだ熱いかもしれんな」
 ガングはスープ皿に入った山羊のミルクをスプーンでかき回して冷まそうとする。時々、冷めるのを早めるように、ふう、ふう、と自分の息を吹きかけた。ヴォルフは椅子に座り、ガングの持ってきた食事を食べ始めた。無言の時間が流れる。シチューとミルクの良い匂いが部屋を漂っている。ヴォルフは何かに急かされるように、口に詰め込む様に食事を済ませ、コーヒーを一口、二口、ゆっくりと口に運んで、自分を落ち着かせる。そして、私をガングを方を見て、おもむろに口を開く。
「あの娘は一体何者なんだ。着ていた物は汚れているとはいえ上等な物だった。平民ではないとは思うが」
 ガングはスープ皿をスプーンでかき回しながら「さてな」と一言返す。そして、一呼吸おいてから手を止めて
「この国の東部の者ではないだろうな。東部で暮らす人間なら、このルト村に女が訪れるのは危険な事だと、田舎に興味の無い貴族ですら知っている」と口にした。
「考えたくはないが、修道院に用があったとは考えられないか?」
 ガングは少し考えるようにスプーンをゆっくりとかき回し、手を止める。
「そうかもしれないし、そうではないかもしれん。死んでしまった人間の意思は誰にも理解することはできん。そういう魔法でも使わない限りな」
「修道院に用があったなら、さっさとこの子を預けるべきだ」
 ヴォルフは厄介ごとには関わりたくないという言い方だった。
「まあ、修道院に用があったとは考えにくいものだな」と、ガングは首を横に振る。
「修道院に用があったのなら、浮浪者然としてこの村に留まる理由がない。手紙の一つでも書けば修道院の方から迎えを寄こす。手紙が書けない理由があったとしても、東部に住まう人間に要件を伝えれば、逸早く奴らの耳に入るだろうさ。奴らが、あの娘に手を出さなかったのは、あの娘がルト村にいることを感知していなかったと考えるのが自然だろう」
 ヴォルフは「はあ」と落胆するような息を吐いた。
「だが、もし、修道院の目的が子供だったらどうする。この村の娘ではない女が、ルト村で子供を産むのを待って、生まれた子供が女の子なら修道院が手を出すなんて筋書を考えている可能性も」
「生まれるのが男女どちらか不確かな妊婦に監視の目を向けるほど、奴らは頭は回らない。ルト村で生まれたというだけで天恵を持っているかどうかもわからない女の子を攫う程、奴らは危ない橋を渡らない。奴らは確実な情報を得て、確実な方法を使ってくる。もしかしたら、なんて仮定で動く連中じゃないよ。安心するんだな」
 ガングはまた、スプーンでミルクをくるくるとかき回す。
「それに、妊婦を監視していたのならば、この子の出産の時に慈善活動だとか妊婦の保護と称して、修道院の手の者が既にこの村を訪れているはずだ」
「それもそうかもしれないが。あの娘がこの村を訪れてから二週間は経っていない。早くここから立ち去れと忠告しても、あの娘は立ち去らなかった。きっと、目的地は他にあって、運悪くこのルト村で産気付いたんだろう。そう考えれば奴らの耳に情報が入っていないと思ってもおかしくないかもしれない」
「ふむ」とガングは頷いた。ヴォルフが落ち着きを取り戻したので安心したのだろう。
「あの娘について知りたいことはたくさんあるが、目下の問題はこの子をどうするかだ」ヴォルフは困惑した口調に戻る。
「浮浪者然とした娘が外で、しかも村人たち皆の前で女の子を出産したんだ。これはどうしたって変えられない事実だ。いくら村人たちの口が堅くても、修道院の奴らがこの事実を把握するのは時間の問題だ」
 そう言って、椅子から立ち上がり、窓辺に近づく。そして窓の外の何かを憎々しそうに睨み付けて
「いつ、奴らがこの村に来て、この子を奪っていくかわからない。俺は、あの時ほど、自分を恨んだことはない」
 ヴォルフは「はあ」と深く息を吐いて「悪い。嫌なことを思い出してしまった」と落ち着きを取り戻した。
 ガングは「よいよい」と気にしていないとでもいうように、慰めるように微笑んで答えた。
 ガングは皺くちゃの手の平で皿越しに伝わる熱を確認すると、念のため、自分の手に一滴ミルクを垂らして温度を確かめる。大丈夫と安心したのか、ガングはスプーンを掬い、私の口元へとそっと運ぶ。彼は無理矢理には飲ませない。私が口を開けるまで、辛抱強く私の口元でスプーンを添えて待っていた。温まったミルクの良い匂いが鼻腔を刺激する。その刺激によって、私は自然と口を開けていた。ガングはそっとスプーンを傾けて、少しずつ私の口の中に山羊のミルクを注ぎ込む。牛乳より強い乳の独特な臭いが口の中に広がる。しかし牛乳よりさっぱりとした舌触りと味をしていることに、私は驚いた。思ったよりも味は濃くはなかったのだ。私は自分の身体の状態に鈍感だったらしい。自分が感じているよりはるかに腹が減っており、口の中のミルクがなくなると、すぐに口を開いてミルクをガングに要求する。ガングは手を休ませることなく、ミルクを掬ったスプーンを運び続け、私は夢中になってそれを飲んだ。バングが用意したミルクは一滴残らず飲み干す結果となった。その様子にバングは満足そうな笑みを浮かべていた。私も満腹具合に満足して、襲ってくる眠気と闘いながら二人の様子を窺う。まだ、寝てはいけない。自分の行く末がどうなるか、見届けなければ安心して眠れない。眠りたくない。ガングはベッドから立ち上がると、盆にスープ皿とスプーンを戻し、私を抱き上げて背中をポン、ポン、と軽くたたいておくびを出すように促す。ガングは男だというのに子育てに手慣れているような気がするのは、私の気のせいなのだろうか。それに比べると、息子のヴォルフは子育ては不慣れなようで、私を扱う時はおっかなびっくりな手つきだ。
「イナが出て行って、もう何年経ったのだろうか」
 ガングは無意識に呟いたようだった。私を抱き上げ、私を見つめ、思わずといった様子だった。気まずくなったのか、ガングの瞳はさっと机上の写真立てに移された。写真立てには両親と子供の映った家族写真が飾られている。子供は十歳くらいの男の子だ。顔つきから、きっとヴォルフの幼い頃だろう。じっと、写真立てを見つめるガングの瞳が少し潤んでいるのが横目に見えた。ヴォルフは気まずそうに黙ったまま、床に視線を落とした。
「あの娘は、元気でやっていると信じたいものだな」
「親父、その話はやめてくれ」ヴォルフは忌々しそうに言った。
「もう、自分を責めるのはやめよう。村人も皆、自分を責めている。あの時の自分たちの行いを後悔していない奴なんていない。あの時、親父は村長で、ルト村の代表としての立場もあって、人一倍責任を感じているかもしれないが、皆、気持ちは一緒なんだ。ルト村が地図から消えることになったとしても、あの時と同じ過ちは犯したくないと思っている。親父も村民の総意は聞いただろう」ヴォルフの口調は強い。
「だからこそ、この子をどうするか、しっかりと考えなければ」
「そうだな」ガングは頷いて、零れそうだった涙を手の甲で拭った。
「お前を含め、村の者たちは皆、この子を修道院へ送るのは反対していたが、どうするつもりでいるんだ」
「俺は頭がいいわけじゃないから、いい考えがある訳じゃない。でも対策は考えている」とヴォルフは苦々しい顔をして答えた。
 ガングは「ふむ」と頷き「言ってみろ」と威厳に満ちた態度で言った。この言い方は、昔、村長だったときの名残なのだろう。
「この子に男児の名前を付け、その上で女ということを隠して男の子として育てる」
「あまり、いい策とは言えんな」
 とガングが言うと、ヴォルフは自分の考えの浅はかさを悔いるような顔をした。
「いい策ではなかもしれないが、この村で生まれたのが男児であると周りに誤認させる必要があると思う」
「ふむ。この村で子どもが生まれたという椿事は、幾ら村人に箝口令をしいたとしても近隣の村にすぐに伝わるだろう。だが、男児の名前をつけることは賛成だ。それだけでも、他人の興味を逸らすことができる。だが、この村に置いておくのは反対だ。修道院の奴らがいつこの村に慈善活動という名目で偵察に来るかもわからん。しかし」と続けようとしたが、ガングの口からその後の言葉は出てこなかった。
「近隣の村でも、望んでこの子を引き取って育てたいという奇特な人物はいないだろう。もし、居たとしても出生を知ったら金と引き換えに修道院へ送るに決まっている」

 全ての人間が同じことをするだろうと、決めつけたようにヴォルフは言う。
「はあ」とガングは溜め息を吐いた。考えあぐねた結果、諦めたような溜め息だった。
「お前は気が進まんだろうが、一つ、考えがある」
「なんだよ」
「あの御方に、この子を預ける」ガングは静かに言った。
「あの、御方……?」ヴォルフは少し考えてから、はっと顔を上げて
「俺は反対だ」と声を荒げた。
「あいつは俺たちの敵だぞ」
 ガングは少し黙ってから、「はあ」とまた溜め息をついた。その溜め息は息子の言葉に呆れたためだ。
「帝都で治療師として学んだお前には敵であろうな。ルト村から女たちがいなくなってから世話になることもなかったし、元々男どもは世話にはなっていなかったからな。余計にそう思うだろう。だが、ルト村の人たちがあの御方を頼っていたのも事実だ」
「アルエラは呪いの魔女と呼ばれるほど悪い魔女なんだぞ。その魔女が俺たちに手を貸してくれるとは思えない。ましてや、子供を預かるなんて無理に決まってる」
 険しい顔をするヴォルフを後目に「はっ、はっ、はっ」とガングはおかしそうに明るい笑い声をあげた。
「何がおかしいんだ」
「あの方はそんな恐ろしい魔女ではないよ。ただ……」ガングはそれ以上は恥ずかしそうにして何も言わなかった。
「ただ、なんだよ。親父にも躊躇う理由があるんだろう?」
 ガングは照れたような困ったような顔をして、気まずそうに笑うだけだった。
「今の私たちにはあの御方に頼るほかはない。早速、明日の朝から出かけることにしよう」

 と、ガングはヴォルフの言葉に耳を貸さずに結論を出す。部屋を出て行こうと歩む足はどこか嬉しそうに軽い。
「おい親父、話はまだ終わってないぞ」
 ヴォルフは必死に抵抗しようとしたが、ガングは気にすることなくドアノブに手をかけた。ふと、その手を止めて、私とヴォルフの方を振り返り
「あの娘が必死に呟いていたルドヴィークという名前はどうだろう」と唐突に言った。ヴォルフは唖然としている。
「男児の名前だが、今のその子には都合がいい。ありがたく仮名として使わせてもらおう」
 そう告げて、ガングは部屋を出て行った。ヴォルフは心配そうな、不安そうな、複雑な表情で私を見つめる。私には彼らの不安や心配の種が何なのか理解することはできないが、ヴォルフを励ますように声を出して笑いかけた。ヴォルフは少し表情を崩し、
「ルドヴィーク、お前に神樹の加護がありますように」と祈り、私の額に自分の額を軽く押しあてた。