前回の記事で、自分の内側の優しい意識を育てていくと、4ヶ月目のある日から突然、執着していたいろんなものが、どうでも良くなって来た。



ということを書きました。




で、それは自分の中の優しい意識を育てて来たという点ともうひとつ、あれをやってました。



ホ・オポノポノ。



ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛してます



の四つの言葉を淡々と言って、

自分の中の意識もできない記憶を消去してもらい、

本来の流れ(本質)に戻っていくというもの。



僕はこのホ・オポノポノの漢方の様な効果に

どれだけ助けてもらったかわかりません。



地味だし、変わってんだか、変わってないんだか。



そんな感覚があっても淡々と、

ホ・オポノポノ(クリーニングと言う)を

続けていくと、不思議と自然な流れが生まれます。



滞っていたものが、流れ出すように。



引き寄せの豊作関連で、

自分のエネルギーを調整さえすれば、

なんでも実現する!的な



コントロール性の高いものではなく、



クリーニングしたとて、何がどうなっていくか、

わかりゃしないというスタンスをとります。



だから、最善の見方も


私の望むものをまんま実現させること

そもそも、何が最善かわからない



くらい違います、と。



で、引き寄せの法則に限らず、

最善を前者で定義していると、

どうしても、不平不満に満ちる可能性が、

高くなっていきます。



余程の引き寄せマスター、高能力の持ち主でしか、

狙い撃ちを繰り返すのは難しいでしょう。



最善を自分がわかっているので、

そうならない自分や現実や他人を否定し始めます。



不幸の原因って大方ここがきっかけじゃないの?



と、思います。



たとえば、本来の自分に戻ったら、

思ってもない様な潜在能力が開花して、

バリバリ活躍して、周りからも尊敬される



という望みというか、最善を待ってたとしましょう。



でも、


本来の自分は、そもそもが、

大した潜在能力もなく、バリバリ活躍資質には欠けていて、周りからも尊敬されない。



だったら、いくら本来の自分に戻っても、

楽しくないし、こんなはずじゃないと、

ずっと、エネルギー調整してなきゃいけなくなります。



つまり、自己否定と現実否定が続く、と。



ここが、執着がとれていくと、



本来の自分は大した潜在能力もなく、

バリバリ活躍は出来ないけど、毎日小さな好きなことをしている。会いたい人に会う様にしている。

尊敬はちっともされないけど、相性の合う人と一緒にいるのが嬉しい。いなくても楽しい。



と。自分の限界がある中で、選べる範囲で

楽しいとか、好きなことを選択するが故に、

客観的な制約を大して気にしなくなる。



が、成立し始めます。



これ、十分成功だと思うんですが、

全然派手じゃないし、広告に使えない。笑



1番初めに挙げた本来の自分に戻るケースが、

大概の成功のモデルケースだし、捨てがたい望みですわ。



ここを僕はクリーニングしましたね。



まあ、出てくるから。強烈な執着が。



でも、自分の中の優しい意識を育てているので、

執着がすごい自分がダメとも思いません。

そんなに執着しちゃって「かわいいね」ということです。




否定はせず、淡々とクリーニングする。

こんなことも繰り返してました。




そしたら、突然どうでも良くなった。



もちろん今も1番初めの望みも執着も出て来ます。



それはそれで良し。それもクリーニング。

で、最終なにかやってみたいことが出て来て、

それに挑戦していくこともOK。

仮に1番の望みが叶ってもOK。



どっちも否定はしません。



こうじゃなきゃダメを1番気をつけます。



どっちでも良い。

どうでも良い。



その感覚を定着させるためにも、

地味にホ・オポノポノは続きます。



あと、もう一つはやはり身体でした。