みなさんこんにちは!

さかたいつかです。
はじめましての方はコチラをお読み下さいますと喜びます⇒⇒⇒自己紹介

 

 

 

 

られる!!

今日から

私さかた いつかを知っていただく為

またまた自分のストーリーを

書いてみたいと思います

 

 

 

前にも書いたけど

『もう読んだよ!!』と仰っらずにw

私自身もところどころ

エピソードの捉え方が

違っているかもしれません

 

 

読み直しながら自分でも

思い出しています

 

 

【いつかストーリー 第1話 

幼少期 空想妄想ガール編】

 

 

1979年

食品会社勤務で卸業をしていた父と

専業主婦の母の元に私は生まれました

 

 

 

 

 

 

 

『濃いめの強面と美人』

という組み合わせに周囲や祖母からは

 

 

『結婚したら

子どもがブスになるから止めなさい』

と、反対されていたようです滝汗

詳しく知りたい方はコチラをみてね

 

 

そして私は幼いころから

その話を聞かされていた為

当然自分はブスだ

と思って生きていました

え~~~っとかれこれ

30年くらい 笑笑笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなに可愛いのに!!

 

自分がブスでは

なかった事に

気がつくまで

 

 

30年近く

かかったのです!!!

 

 

なのでね、自分の娘には

あなたは世界で

一番カワイイ!!!

何にだって

なれるよ~~~

と、呪いの様に

毎日言っていますデレデレデレデレデレデレデレデレデレデレ

 

 

 

今思うと

母は自分が美人だった事を

知って欲しかった

忘れないで欲しかった

本当は美しいままで居たかった。。。

のではないかと思います

 

 

 

自己肯定感の低さを

マイナスな言葉で

引き継いでしまった

冗談交じりに言われた言葉も

母親から言われて育った言葉というのは

本当に影響力があるのだと実感します

 

 

 

自分の子どもに

ネガティブな感情を引き継がない方法

それは、私自身が私らしく

幸せに満たされている事

 

 

 

自信を持って生きる事

それに尽きるのではないか

そう思っています

 

 

 


ホラね、美人でしょおねがいおねがいおねがい

 

 

 

 

 

は小学生の時に

父親を病気で亡くしており

(私のお爺ちゃんね)

祖母は女手ひとつで

3人の娘を育てあげました

(本当は4人姉妹でしたが、

幼いころに一人を亡くしています)

 

 

3姉妹の真ん中である母が

何故か祖母との同居をする事になり

平屋造りの二世帯住宅が我が家でした

 

 

台所と出入り口はそれぞれ2つ

廊下の真ん中辺りに

トイレ

洗面所

お風呂場

といった共有スペース

 

 

廊下を挟んだ奥に

祖母が暮らしていました

祖母の方には応接間や仏間があり

昔ならではの平屋の二世帯スタイルですね

 

 

母の3姉妹は仲が良く

みんな近くに住んでいたので

よく行き来していました

伯母たちにとって

実家でもある我が家に

集まる事はもちろん

伯母の家にもよく遊びに行きました

 

 

遊び相手は従兄弟のお兄ちゃんたち

母の妹の叔母はその頃はまだ独身でしたが

姉である伯母の家には男子が3人

女の子のいなかった伯母は

私をとても可愛がってくれました

 

 

男兄弟(いとこ)に囲まれ

帰りたくなければ

当たり前のように泊まるほど

近い存在でした

 

 

 

は兄一人、姉二人、

4人兄妹の末っ子でした

父の実家も隣の市にあったため

週末は父の実家で過ごすことも多くありました

 

 

 

 

ホラね、強面でしょ笑い泣き笑い泣き笑い泣き

ややや!!
選んでる髪型が悪いのでは???にやりにやりにやり
 

 

 

両方の実家が隣り合う市だったので

田舎に帰省という感覚がなく

新幹線や飛行機に

乗るという習慣がありませんでした

 

 

小学生くらいになると

『おばあちゃんの田舎に行ったんだ~』

などという友だちの言葉を

羨ましく思っていましたが

実はよく意味が分かっていませんでした

 

 

父方の祖母も母方の祖母も性格が強く

母がいつもどこか我慢しながら

帰っては愚痴をこぼしていた事を思い出します

 

 

祖父は穏やかな人だったので

早くに父親を亡くしている母も

おじいちゃんの事は純粋に

好きだった様に思います

 

 

 

わたしが生まれて3年後

妹が生まれました

プレッシャーとジェラシーからか

わたしは一時的に

吃音になった

と聞いています

 

 

 

 

 

 

私にはアトピー性皮膚炎があり

だんだんと悪化しました

治療のために母は

私を連れて何件もの病院を

渡り歩きました

治療の度に妹を祖母に

預ける事も多くなり

妹はよくおばあちゃんと

留守番をする様になりました

 

 

いつの頃からか母は

妹はおばあちゃん子で、

いつでもおばあちゃんの

味方だから

と口にするようになりました。

 

 

父方の伯母に私たちの従兄が生まれると

おばあちゃんは

Mくんと

いっちゃんたちを

比べているから

と言う様にもなりました

 

 

 

私は幼いころから感受性が強く

いつも妄想にふけっていました

 

 

みんなの前で歌ったり踊ったり

するのが好きな反面

心の中をじっくりと見つめる、

内省的な部分が大きかった様に思います

 

 

特に、何故か死に対する不安を

大きく抱いていて

寝ている人を見る度に

 

 

『もし今、この人が

死んじゃったらどうなるんだろうか?』

 

 

『バタバタとお葬式の準備がはじまるのかな??』

 

 

『お墓って、入ったらどうなるんだろう?

そこには身体も心もないのかな???』

 

 

『死んじゃったら今考えている事も

忘れちゃうのかな。。。

死んじゃったおじいちゃんの心は

今どこに居るんだろう??』

 

 

なんて事を一年じゅう考えていました

不安を抱えきれなくなると母に

 

 

『死んじゃったらどうなるの??』

 

 

と聞いていました

 

 

一度、祖母にもその疑問をぶつけてみた事があり

『気持ち悪い子だね』

と言われてしまったそうですチーンチーンチーン

(これは確か後から母に聞きました)

 

 

 

それから。。。。。。

私がよく意識していたのは

 

 

 

目を瞑ると

瞼の裏に現れる

万華鏡の様な世界きらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきらきら

 

 

暗闇とキラキラとした光に

宇宙空間に居る様な気持になり

ひとり宇宙旅行を楽しんでいました

 

 

 

 


 
 
 

 

『目を瞑ったら他の人にも

この暗闇とキラキラが見えるのかな??

でもきっと私の瞼に映るキラキラとは

違う模様かな。。。』

 

 

などと、一人でしか見る事のない世界で

物思いにふけりまくる子どもでした

(この光の世界、わかる方が居たら語らいましょうラブ

 

 

毎日毎日そんなことで頭の中がいっぱい

答えのない疑問をぐるぐるさせながら

空想と妄想の世界に生きていました

 

 

アニメのちびまる子ちゃんで

まるちゃんの妄想の世界が映し出されると

ついつい共感しまくってしまいますほっこり

 

 

 

 

 

生誕から幼少期

感受性の豊かさは産まれつきウインク

自己肯定感の低さを受け継ぎ

どこか大人の顔色を伺いながら生きていた

既に妄想癖と思考癖が強めな性格が

如実に現れて来ましたね…

 

 

 

 

最期まで読んで下さりありがとうございますヘアゴム

つづくきらハートきらハートきらハート

 

 

 

 

 

 

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