「しかし、この島国に残る我々は?」問題 (あゆのライブについて語り足りない!) | ラフラフ日記

ラフラフ日記

主に音楽について書いてます。

※ あゆのライブについて語り足りない!という話ではありますが、メインは違う話になっていますので、あゆに興味ある人もない人も読んでくれたら嬉しいです。特にエレカシファン必読!笑(「メットガラに殴り込みにいきましょう!」から本題に入ります)

 

あゆの 25周年ライブ、良かったなぁ。

「Just the way you are」、素晴らしかった。
この曲、ライブで歌うの初だよね? それなのに、ずっと歌ってきたかのようなオーラを放ってた。あゆの歌声が代々木体育館の隅から隅までに響き渡って、会場が一つの塊のように見えた。代々木体育館の屋根も越えて行くような。

「Heartplace」「alterna」、バンドめちゃめちゃカッコいい!
何かこう、ゆっくりに聞こえるというか、その分、いつまでも音が体に残る。

「End roll」「As if...」からの、「Dolls」。
あゆ自身のフライングがあり、一部分しか歌わなかったけど、一部分しか歌わなかったというより、その部分をあえて歌ったのだろう。

“あなたは今何を想うのでしょう
私には何が出来るのでしょう

私はうたを歌いましょう
あなたの側で歌いましょう”

「Tell All」は、あゆの中で一番凄い曲かも知れない。歌詞の凄みが。(そんな曲がオリジナル音源、限定盤にしかないのですが…)その曲を核の位置に持ってきた。
 

「Song 4 u」、良かった!

 

このように、語っても語っても語りきれないが、今日はその話をしたいのではなく。いや、これもあゆのライブで気づかされたことだから、つながっているのだけど。

あ、そうだ! 前回の記事で、あゆのライブはドラマチックなのに「いつも通り」という話をしました。そもそも私はこういうドラマチックなライブは好きじゃないはずなのにって。エレカシ35周年ツアー有明の記事でも書いてました。「過剰な演出はしていない」って。そういうエレカシが好きだと。それでいえば、あゆは過剰なはずなんです。だけど、不思議と、過剰じゃないんですよね。それで思ったんです。


あゆは「ドラマチックなのに、いつも通り」

エレカシは「いつも通りなのに、ドラマチック」

なのではないだろうか?

 

あーだから私は両方好きなんだ! と一人で勝手に納得してしまいました。

というわけで、今回したい話は、前回の記事で書いた「メットガラに殴り込みにいきましょう!」についてもう少し話したいと思いまして。

 

前回の記事 → 「あゆ、デビュー25周年おめでとう!」

私は、宮本浩次が 2000年に書いていたこの話を思い出した。

 

 ところで、俺は、大リーグ中継を時々、NHK衛星放送で見ることがある(あなたもたまに見ることがあるかも知れない)。それは、パワーとスピードに溢れるプレイ内容からいって、日本のプロ野球とは明らかに異質なもののように俺には見える。(中略)今日の日本は、ライフスタイル全般、西洋文明に取り込まれている現状がある。そういう観点から見ると、大リーグの持っているプロスポーツとしての、より自然な佇まいの方が、どこか絶対的に「正しいもの」のように見えなくもない。
(中略)
 アメリカおよび欧米諸国の栄枯盛衰は、その文化からして必然。
 日本の不景気(混迷)は、根本的な気がするので、抜け出すのに、大変な時間を要すると思う。
 ここで、俺は、日本の景気が昔日の如く、バブル景気の如く “復活” する日は二度とやって来ないと断言して憚らない。
(中略)
 平板な言い方だが、新たな秩序を構築してゆかなければ、どうにも立ち行かない所に立っている気がする。
――災い転じて福と成す――。
 今の俺は、このことわざが精一杯の所である。
 サッカーの中田選手や、プロ野球のイチロー選手、野茂投手らが、新たな世界へ向けて旅立って行くのを、我々は諸手を挙げて喜んだ。それはかつて無かった新しい息吹を、間接的に彼らが我々に送り込んだからに他ならない。
 しかし、この島国に残る我々は?
 恐らくは、この国で骨を埋めるであろう我々は?
 俺は『ガストロンジャー』『ソーメニーピープル』という曲の中で提起したその問題に、いまだはっきりとした答えを出せずにいるのである。
(宮本浩次『明日に向かって歩け!』 2000年10月掲載分より)

 

これを読んだときのことを思い出した。

 

海外で評価されたり活躍している日本人アーティストは本当に凄いと思うし、新しい扉を開き、とても意義のあることをやっていると思う。

 

しかし、このとき宮本が綴った「しかし、この島国に残る我々は?」という問いかけが忘れられない。気持ちではない、問いかけだ。つまり、問題提起。

 

海外で活躍する人の足を引っ張りたいのではない。ガラパゴスに閉じこもりたいのでもない。

 

しかし、「海外進出」ばかり考えてても、この「島国に残る我々は?」の問題を解決しなければ、一向に前に進まないんじゃないのか?という問題。

 

いや、この問題は解決しないのかも知れない。けれど、解決はせずとも、向き合わなければ……。

 

海外で評価されたり活躍しているという誰々がこの問題を解決してるようには残念ながら私には思えない。今のところ。

 

アーティストに限らない。

 

評論家にだっている。「日本終わってる」みたいなスタンスの人。もしくは、「海外での評価」ばかり考えてる人とか。

そういう人の本音はどうだか知らないけど、あなた達が「日本の音楽」をちゃんと見たり語ったりして来なかったからでは?って思うときもあるよ。(特に日本のメジャーな音楽をね)

まぁ、私が偉そうに言えばの話だけどね。

 

だから私は、この「島国に残る我々は?」の問題をなかったことにしてない人、この問題に向き合ってる人、この問題を抱えている人が好きなんだなって思った。

 

あゆの「47都道府県ツアー」は、あゆがその問題をちゃんと抱えて内包しているアーティストなんだなって思って、いや、そんなのとっくに知ってたはずなんだけど、改めて好きって思った。

 

上記の宮本浩次の連載は 2000年のものだから、今はどう思ってるだろう。WBC の日本優勝もあったし、今だとまた違う言葉や視点が出てくるかも知れない。答えは出せただろうか。

 

けど、宮本浩次(およびエレファントカシマシ)もまた、「しかし、この島国に残る我々は?」という問題を抱えているアーティストに違いないだろう。