椎名林檎と浜崎あゆみについて (令和元年) | ラフラフ日記

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主に音楽について書いてます。

三ヶ月半ぶりの更新になってしまいました。いろいろとあってブログを書けないでいました。その間に年号も変わりました。また書いていきたいと思いますので、令和もどうかよろしくお願いいたします。


4月に浜崎あゆみのライブ ayumi hamasaki 21st anniversary -POWER of A^3- (以下、エーキューブ)に行ってきた。
私は、会場が同じさいたまスーパーアリーナなのもあって、昨年 11月に行った椎名林檎のライブ (生)林檎博’18 -不惑の余裕- (以下、林檎博)を思い出していた。なぜそう思うのか、自分でもよくわからないが、あゆのライブを見ながら、林檎よ!これを見ろ!と思った。
ちなみに林檎博は 400レベルの席まで埋まっていたけど、エーキューブは 400レベルは使用していなかった。

エーキューブも林檎博も WOWOW の放送で見た人に話したら、「林檎ちゃんすごいと思ってたけど、今回あゆのライブ見て、楽しい!最高!ってなるのはこっちだなって思った」と言われた。

ああ、それかと思った。椎名林檎確かに凄いけど、では、これが楽しいのかと言ったら? 生きている感じがするのは?

そして、以前ある人が言っていたことを思い出した。その人は、あゆのライブ映像を見てローリング・ストーンズを思い出したという。その人にとってストーンズは「祭り」だと。ストーンズが好きと言っても時代によって音は違うし、あの下世話感が良い。下世話と言っても下品ではない。スーパースターなのにサービスが凄い。いつも庶民の祭り。そう話していた。

庶民の祭り。確かにあゆもいつもそうかも知れない。

ある友達は、椎名林檎(東京事変)のライブを見て「これ観客必要?」と思ってしまったという。

そして私は林檎博に行ったとき……

宮本浩次が出てきたとき、楽しい!となったのではないか?

宮本浩次が登場したときの大歓声。それを聞いて私は、「お客さんいたんだ!」と驚いたのではなかったか。観客の存在に(そして自分自身の存在に)気付かされたのではなかったか。

11/25 椎名林檎 @さいたまスーパーアリーナ

さながら、貴族の宴に身一つで乗り込んでいく宮本浩次。一気にライブの空気になる。



「林檎というのは、作る方のコンセプトを演じる人が全部分かってる世界じゃないですか。ぼくはそこにつまらなさを感じるんですよ。(中略)好きなんでずっと気になってるんだけど、最終的にはまり込めないものにすごく近いなという感じ」(安田謙一 『ミュージック・マガジン』 2001年1月号)

椎名林檎がいろいろな人とコラボするのを、自分のファミリーにしていっているような感じがするといった意見を見た。結局、コラボレーションになっていないと感じる、話題性があるだけ、と。
確かに、林檎博でもゲストが椎名林檎の世界の住人になっているように見えた。宮本浩次が登場するまでは。しかし、宮本浩次はもちろんのこと、Mummy-D もトータス松本もレキシも、椎名林檎の世界の住人になっているわけではないだろう。一見そう見えてしまうかも知れないけど、そうではないはずだということに宮本浩次によって気付かされたというか。

椎名林檎は以前はひとりの人間としての存在だったけど、存在が大きくなりすぎて、個人的な思いを託せなくなったという意見も見た。

今や椎名林檎は 2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックの式典に携わるほどの存在だ。「偉くなってしまった」と言うなら、それはそうだろう。
しかし私は、国の行事に関わるから偉くなってしまったとか、そういうことを言いたいわけではない。前述の意見だってそういうことを言いたいわけではないだろうと私は思っている。

例えば、椎名林檎って「歌舞伎町の女王」とか歌っていながらお嬢さまじゃん!なんてことを私は思ったことがない。そんなことじゃない。

大体、「椎名林檎ってお嬢さまじゃん」なんて言いながら、浜崎あゆみのことはヤンキーだのギャルだの言って聴こうともしないくせに。下記のツイートの言う「そういうとこだぞ」というのはそういうことだと私は思っている。
そういえば、浜崎あゆみもいまだにヤンキーだかギャルだか言われてるか知らないけど、バレエとかピアノとか習ってたみたいですよね?



最近、安斉かれんというアーティストがエイベックスからデビューした。



これを見て、浜崎あゆみの生まれ変わりだのリバイバルだのと言っている人がいた。それも、浜崎あゆみのことが好きで浜崎あゆみについて熱いコラムを書いている人だったので、私は吃驚してしまった。いや、もっと正直に言うと、がっかりしてしまった。

椎名林檎に対する「お嬢さまじゃん」という突っ込み(そんなものがあるとしたらだけど)にがっかりする感じに近いだろうか。

そう考えてみると、その方が書いたコラムにしても(そして、浜崎あゆみについて書かれたコラムのいくつかに対しても)、わかる!とか良い!とか思う一方で、心の奥に引っかかるものを感じていたことを思い返す。その正体がわかったような。

私は昔椎名林檎が大好きだったのだけど、「浜崎あゆみのような “avex的なもの” が大嫌いだという人が高く評価しているのが椎名林檎だった」という説を見て、私がまさにこれだ!と思ってしまった。まさに、浜崎あゆみが大嫌いな私が椎名林檎を高く評価していた。

しかし、いつからか椎名林檎に「私はそこに入れない(入れてもらえない)かも知れない」というように感じるようになってしまった。椎名林檎はそういうものを吹き飛ばす存在だったのに。
そんなとき、大嫌いだったはずの浜崎あゆみが「ど真ん中」を歌っていた。椎名林檎が歌わなかったこと、歌えなかったこと(かつては歌っていたかも知れないこと)を浜崎あゆみは歌っていた。椎名林檎にないものがすべて浜崎あゆみにはあった。

だから、浜崎あゆみに対する文章で「私はそこに入れない(入れてもらえない)かも知れない」というように感じてしまったら、それは私にとって本末転倒なのだと。
そして、ここで言う “avex的なもの” なるものがあるとしたら、浜崎あゆみはその対極にいたし、安斉かれんをそう捉えるならそれこそ “avex的なもの” であり、そういうものにずっと抗ってきたのが浜崎あゆみではないのか。
(その安斉かれんがエイベックスからデビューしているところにアイロニーが潜んでいるけれど)

古参ぶらないで。永遠の新参者。いわば我ら永遠のチャレンジャー!

そういった私の気持ちに大きなヒントをくれるツイートを拝見した。



2017年のツイートだけれど、

「女は器量」的な抑圧

という言葉に私ははっとしてしまった。リプライで紐付けられているツイートも全部読んで欲しい。

そして私は以前書いたこのブログを思い出した。

終わりと始まりが重なるとき

『ザ・フェミニズム』(2002年)で、上野千鶴子(先日の東大祝辞が話題)が椎名林檎について言及するのに対し、小倉千加子が「私やったら、浜崎あゆみを評価する」と言った。その中で「問題意識はものすごーくわかるけど、答の出し方が絶望的なまでに正反対」と。
ということはつまり、椎名林檎にも浜崎あゆみにも共通している「問題意識」があると認めているのではないか(小倉千加子もそこは両者を評価しているのではないか)と私は考える。

私は、椎名林檎からも浜崎あゆみからも共通する「問題意識」を感じる。だから私は両者を「同志」だと思っているし、それは今でも。
しかし、いつからか、椎名林檎から「女は器量」的な抑圧を感じるようになってしまったのではないか。

椎名林檎がそうしたいと思っているわけではない、とは思う(上記ツイートでもそれに対するアンビバレントな感情とある)。しかし、椎名林檎自身が「問題意識」を持って戦っていく中で、その厳しさのあまりに、「世の中はこう」という前提に回収されていくというか、例えば、「林檎ちゃんかっこいい!」という声に「世の中を変えようとはしていない」と感じてしまうときがあるというか。

器量があるのは素晴らしいこと。努力もしない人が何を言っているんだという話かも知れない。けれどやはり私は、「世の中を変えようとしている」人やものが好きだ。それがどんなに華麗なものであっても、「世の中こうでしょ?」と見せつけるものを器量だとは言いたくない。何度も言うけれど、椎名林檎にそのつもりがあってもなくても、そこに回収されているような気がしてしまうということだ。

「林檎ちゃんかっこいい!」と言う人は、浜崎あゆみが何かにつけ「劣化」だのなんだのと言われることをどう思うのだろう。浜崎あゆみが 2018年の東京レインボープライドに出演して「自分もマイノリティーとして」と発言したら、「浜崎あゆみのどこがマイノリティーなんだ」という批判があったことをどう思うのだろう。

上記ツイートにあるように、怒りも諦めも沸いてくるだろう。しかし、それを世の中だかなんだかに回収させてたまるものか。

浜崎あゆみは東京レインボープライドで「まだまだ日本はコンサバティブですから、マイノリティーが間違い、社会的弱者というイメージが拭えないという部分はあると思います」と言った。しかし、だからといって「日本はこうでしょ?」と責めるでも諦めるでもなく、「この日のことを思い出してください」と。「ずっとずっと自分に誇りを持って進み続けていってほしい」と。そして、「私もマイノリティーのひとりとして、みなさんと一緒にこれからも一緒に歩ませていただきたいと思っています」と語った。

世の中は変えられない。だけどその中でタフに生きていく。
ではなくて。
世の中は変えられる。

近いうちに、椎名林檎の『三毒史』を聴いてみようと思う。