エレカシ野音 からの MUSIC STATION ウルトラFES 2016 | ラフラフ日記

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主に音楽について書いてます。

土曜日と日曜日、エレファントカシマシの野音ライブに行ってきました。
それはもう素晴らしくて、エレカシから少し離れていたのに、一気にこう、自分を取り戻すというか、やっぱり私はエレカシだわ!と思うようなライブでした。

ライブの数日前くらいから、「この世は最低!」な気分になっていたのに、それが点火して爆発して光射して、「この世は最高!」になっていました。すごいや、エレカシ。

エレカシを見ながら、ああ、「勝ちに行こうぜ!」なんて、勝ち戦しかしない人には歌えないんだって思った。戦って、戦って、敗れる。その繰り返し。

そして、翌日の月曜日。『MUSIC STATION ウルトラFES 2016』が放送されました。あゆが出るというので、私は自宅待機していました。

この日は、宇多田ヒカルが復活後はじめてテレビ出演をする日でした。それは録画ではあったのですが、今でも心臓がドキドキしています。

それが終わった後、何か記さなければと思い、私は書きました。カキマシタ。

「宇多田ヒカルの歌がはじまる前、浜崎あゆみが一瞬映り、私は息がとまりそうになった。宇多田ヒカルの歌を、あの場で聴いていたのは司会の二人をのぞくと、浜崎あゆみ一人。おかえり、ヒカルちゃん。それを見守っていたのは、あゆだった。」

「震えながら涙を滲ませながら(ように見えた)歌う宇多田ヒカル。その宇多田ヒカルの歌が終わったあと、浜崎あゆみが映ると、浜崎あゆみもまた心を震わせて涙を滲ませてるのがわかった。」


タモリさんと宇多田ヒカルの対談が終わって、いよいよ宇多田ヒカルの歌というときに、一瞬スタジオが映り、そのときタモリさんの横には浜崎あゆみがいました。

あのとき、宇多田ヒカルの歌をスタジオで聴いていたのは、司会の二人やスタッフの方をのぞくと、浜崎あゆみただ一人だけだったんです。宇多田ヒカルの復活を最初に見届け、そして見守っていたのは、浜崎あゆみだった。

それはただ見守っていたのではありません。浜崎あゆみは次の自身の出番にスタンバイしていたのです。

宇多田ヒカルの歌が終わったあと、カメラがスタジオに切り替わると、あゆはあきらかに震えていて、それを隠そうとしながら、その目には涙が滲んでいました。コメントを求められるも、やっとの想いで言ってるように見えました。宇多田ヒカルもまた、震えながら涙を滲ませながら歌っているように見えました。

次は、浜崎あゆみの出番です。

あゆは、宇多田ヒカルとアルバム同日発売!と言われていた時代の曲で、その『A BEST』にも収録されている代表曲、「M」(自身がはじめて作曲した曲。タモリさんもうなったという曲)、続いて、「SEASONS」を白いドレスで歌いました。

しかし、その「SEASONS」をぶった切ると、バイオリンを持ったパフォーマーが表れ、斬新なアレンジで「evolution」がはじまり、白いドレスを脱ぎ捨て、黒い(なんて言ったら良いかわからない)服になり、「evolution」を歌いました。

“君に出会えたよ” のところで、カメラを探す仕草からの、笑顔で指差しカメラ目線。

見惚れる暇もなく、「歓喜の歌」が鳴り響き、ダンサーとの舞?振り?

そして再び、「evolution」のサビへ。

(最後、ヨッちゃんのピース)

なんかもうすべてがもうすべてでした。

宇多田ヒカルの復活を誰よりも喜び(そしてきっと、誰よりも待ち望んでいた)、しかし、その感傷を吹き飛ばしたのも浜崎あゆみだった。

あれは、宇多田ヒカルの復活を祝う意味でも、浜崎あゆみ自身の「歓喜の歌」でもあったのかな。
あの「Movin' on without you」のカバーから、いや、あの歌姫対決から、こんな「歓喜の歌」につながるなんて。
今日はちょっと、感情的で感傷的になることを許して欲しい。

呆気に取られた人もいるでしょう。ダサい? 悪趣味? そう感じた人もいるかも知れない。

しかし、私はこの言葉を思い出すのです。

「かっこいい人とは「ダサい事をしない」人ではない。「ダサい事を怖れない」人である。回避でなく克服。それが出来るからかっこいい。回避なら誰でも出来る。人間のみならず、見事な音楽や映画はそれをやる。クサさやかっこ悪さを経験し、切り抜け、正攻法で意義あるものに変えてみせる。」
https://twitter.com/toshnakano/status/209650507411759108

ダサい? いやいや、浜崎あゆみは最初からダサかったんだよ!!

“ダサかっこいい” とか “逆にかっこいい” とかそういうのでもない。

そして、懐メロ大会になっていたところに喝を入れたとも思っています。

大体、宇多田ヒカル復活!のあとに誰が歌いたがるのか。

同じ曲しか歌わせてくれないのなら、それを受けて立った上で、今の私を、新しい私を見せてやるという、浜崎あゆみはとてもぶざまで、とてもかっこ良かった。
戦って、戦って、敗れる。私はエレファントカシマシを思い出した。

いつでもこうして「矢面に立つ」あゆはかっこいいなぁ。
あの人なんて、出てきもしないよ。それはそれでいいのだけどね。
ま、あゆだって、好きで矢面に立ってるわけじゃないかも知れないし、立つ気はあっても立つ機会がないだけの人もいるだろうけどね。
でも、結果的にそうなってる。

もちろん、忠実に曲をやる良さもある。「M」「SEASONS」ではそれをやった。

この日のMステを見て、「あゆヤバい。色々最前線過ぎる」と言っている人がいて、最前線――はじめてわかった気がした。

最先端かどうかはわからないけど、浜崎あゆみは確かに最前線に立っている気がした。だって、なんか、「風」が吹いているんだもの。はじめて感じたんだよ、その「風」を。

フランク・オーシャン、チャンス・ザ・ラッパー、ボン・イヴェール、ジェイムス・ブレイク……そんな人たちと浜崎あゆみが同列に語られることはないかも知れない。けれど、浜崎あゆみは必要な人なんだね。そう思ったよ。

同じくMステを見て、浜崎あゆみのことを「Japanese Soul」と言っている人がいた。ジャパニーズ・ソウル――。

つい最近、浜崎あゆみは「ブラックミュージック」なんだなという思いを強くしたばかりだった。
日本にも、ジャンルやスタイル的に「ブラックミュージック」の人はたくさんいるだろう。でも、浜崎あゆみほど「ブラックミュージック」の人を私は知らない。そう思ったばかりだった。

ありがとう、ミュージックステーション。

やっぱり、タモリさんは「港」なんだな。
そして、あゆもまた、「港」なのかも知れない。
一座においてはもちろんだけど、Mステで Cocco 活動休止前ラストも、KAT-TUN 4人最後のパフォーマンスも見守っていた(「Cocco すごかったね」とタモリさんと話していたのを覚えているし、KAT-TUN かっこよかったとインスタに綴っていたっけ)。そして、今回の宇多田ヒカル復活もタモリさんと共に。