エレカシはいつも通りだった | ラフラフ日記

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主に音楽について書いてます。

エレファントカシマシ CONCERT TOUR 2011 “悪魔のささやき~そして、心に火を灯す旅~”
2011年5月10日(火) 戸田市文化会館


エレカシはいつも通りだった。

2011年 4月から始まったライヴハウス&ホールツアーの後半戦、ホールの初日。(前半はライヴハウス)

間に、JAPAN JAM という素晴らしいイベントを挟み。このイベントで、エレカシは、泉谷しげる、仲井戸 “CHABO” 麗市と RCサクセションを歌ったというのだから。私は行かなかったけど。

そして、戸田市文化会館。
通勤快速や快速は停まらない、各駅しか停まらない「戸田駅」から、普通の街中を歩いて、猫に遭遇しながら歩いて。

私がこのツアーに行くのは初めてで、新春ライヴ以来ってことになる。

その間に、色々あった。

私、エレカシの姿を見た瞬間、泣いてしまうのかと思ったよ。

そうしたら、ちょっと時間が経ったからなのか、落ち着いて観ることができた。

エレカシなのに、落ち着いて観ることができたよ。

腰を据えたツアーは久しぶりだからかな? 席のあるホールだからかな?
このあと何回か行く予定なのでその余裕からかな?

わからないけど、私は落ち着いていた。

エレカシはいつも通り。

と言ったって、最新アルバムからは全曲やるし、初めてライヴで聴く曲もやったし、進化かつ深化してる。

「ココロのままに」やったんだよぉー!
ここ参照 → http://ameblo.jp/laugh-rough-blog/entry-10783591496.html

でも、いつも通り。

考えてみれば、エレカシって、特別なことはな~~~んもしてきてないんだよね。

ただ曲作ってライヴするだけ。

それをずーーーっと続けてる。

今も「珍奇男」やってんだよ!? あのテンションでだよ!?

私も、特別なことじゃない、しつこくしぶとくやり続けようって思った。

「珍奇男」もしぶとくやり続ければ武道館に立てるんだよ!

いや、ここは戸田市文化会館だ。

エレカシはいつも通りだった。

そのことにすごく救われた。

いやぁ、「いつも通り」ってすげえね。

ミヤジが言った言葉がある。そうだ。ミヤジはいつもこう言っていたんだ。どの歌でも。どんなときでも。

「楽しもうぜ!」

******

と、ここまで書いてみたものの、な~~~んもライヴのこと書いてないのでどうしようと思っているうちに、この戸田の 2日後の神奈川公演に行ってきた友達やブログでやり取りしてる方から話を聞いて、またウズウズ(笑)。

「おまえとふたりきり」やったって何?
私が初めて買った CD が『愛と夢』で、そのときから恋に落ちて、いつか生で聴いてみたいと夢見ながら、でも「ひとりきり(おまえとふたりきり)」で聴きたいから聴きたくない!いや聴きたい!とかなんとか言いながら、10年以上ライヴに通い続けてるのに、未だにライヴで聴いたことがない、というあの曲ですよ!?
またまたここ参照 → http://ameblo.jp/laugh-rough-blog/entry-10783591496.html

も~~~うこうなったら、ずーーーっと追い続けてやります!

いや、わからないけど(笑)。

だけど、他にも、「生きている証」だとか「Sky is blue」だとか、戸田ではやらなかった曲をたくさんやったらしい。もちろん、戸田でやって神奈川ではやらなかった曲もたくさんある(「遠い浜辺」とか「武蔵野」とか「地元のダンナ」とか)。つまり、最新アルバムからの曲以外は、どんどんバシバシ変えてるということだ。
最新アルバムの曲で自分達の現在であり最新型を見せながら!

これだから、エレカシファンは止められない。毎回見逃せない。

でも、当然のことながら、ツアー全部とか行けないよ? それどころか、ツアーも毎回行けない人もいるだろう。私も神奈川行けなかった。でも良いんだ。

「ライヴなんて、いつだって自分が行ったのが一番だ!」

それを忘れないようにしよう。全部観れば良いってもんじゃない。

それと、神奈川に行ってきた友達からのメールに(その友達と戸田に行った)、「エレカシは昔からポップだったんだね!」とあった。

その友達は最初、エレカシに「こわい」というイメージがあったそうだ。初めてライヴに行っても、やっぱりどこかに「こわい」というのがあって、ずっと抜けなかったそうだ。昔の曲を聴いてもやはりそうで、「ポップ」だなんてものとは程遠く感じていたかも知れない。「アヴァンギャルド」ぐらいに思ってたと思う。

だけど今、その友達が「ポップだ!」と言い、戸田も神奈川も行って「感動した!」と言っている。

うん。エレカシはポップ。それこそ、ずーーーっとポップ。

でも、本当にそうかな?

なんたって、その友達と私は、「珍奇男」に “真のポップ” を感じてしまう人間なんだから。

というのも、最近、「珍奇男」みたいな気持ち、わからない人にはわからないんだなっていうのをまざまざと感じてしまったことがあったから。悲しいというか空しいというか切ないというか悔しいというか、そんな気持ちになって。

だけど、そういう人にだって、あると思うんだよね。「珍奇男」みたいな気持ち。心の奥深くにいけば。潜んでいるだけで。

それに気づかない人もいれば、気づく人もいる。
自分の中の「珍奇男」に出会う人もいれば、出会わない人もいる。

だから、エレカシは「ポップ」だけれども、そこでずーーーっと戦ってんだなって。

うまく言えないけどさー、そう思ったんだよ。

それが「真のポップ」だって。

友達だって、最初は「こわい」って思ったんだよ。そしてそれが今も、抜けたわけじゃないと思うし、それがあったからこそ、「ポップだ!」って出会えたわけだよね?
私だって、落ち着いていたって言ったけど、おそらく心の中ではこんなにも熱い気持ちが渦巻いてたんだろう。
何言ってるかわかんなくなってきた(笑)。

大衆的なものが一番かっこいいってミヤジ言ってたなぁ。

いや、私だって、わからないよ。エレカシがポップかどうかなんて。ポップが何たるかなんて。
でも、ポップってそういうものなんでしょう?

私は昨日、こんなことをつぶやいていた。

“浜崎あゆみは「不思議ちゃん」でも「不思議ちゃんぶりっこ」でもない。これって今は割と普通かも知れないが(かな?)、貴重な存在かも。浜崎あゆみは「普通の人」だ。けど、ほんとに普通の人がやっちゃうとほんとに「普通の人」になっちゃうんだよな。普通であることがいかにとんでもないことか!”

“エレカシも「いつも通り」だった。それがいかにすごいことか! そう、これなんだよ。”


普通であることの凄み。
いつも通りであることの凄み。

それこそが「ポップ」だ!