“情熱の歌人” 与謝野晶子について、こんな風に書かれていた。
「情熱といえば “情熱の歌人” 与謝野晶子ですけど、この人の情熱っていうのは色々ある。 (中略) しかしこの人は、実はなにを歌うんでも情熱的に歌っちゃったっていうところがある。 この “君死にたまふことなかれ” っていうのは、反戦の詩なんですよね。反戦の詩を書いてた人がとんでもなく情熱的な人だったから、これが一種のラブレターみたいになっちゃったけれども、これってとんでもなく高級なイヤミなんですよ。こういうことをレトリックっていうんだけど、ストレートに “戦争がいやだ” なんてことを言わずに、『一体こいつはなにを言いだしたんだ?』っていうぐらいの、突拍子もないトーンで、この人はいやみを言ってる。」
(橋本治『青春つーのはなに?』より)
高級なイヤミ!
そうか! これだ!
私が好きなのは “高級なイヤミ” なんだ!
私は “高級なイヤミ” が好きなんだ!
って思わずガッツポーズをしちゃうくらいに、ガッツーーンと衝撃を受けました。もう大発見のつもりで!
エレファントカシマシなんて、“高級なイヤミ” ありまくるもんね。
「なにを歌うんでも情熱的」ってところはエレカシにも当てはまるし、「『一体こいつはなにを言いだしたんだ?』っていうぐらいの、突拍子のないトーン」っていうのも当てはまる。うんうん。
最近良いと思った、FoZZtone にも世界の終わりにも andymori にも、“高級なイヤミ” を感じるし、あゆだって、“高級なイヤミ” を含んでいると私は思っている。ビートルズだってキンクスだってデヴィッド・ボウイだってレディオヘッドだって…。うんうん。
好きなものに限らなくても、そう考えていくと、あのバンドはイヤミではあるんだけど高級じゃないんだなとか、あのアーティストは高級すぎるんだなとか、あれはイヤミが足りないんだなとか、自分の中で勝手にどんどん腑に落ちていく。
目から鱗が落ちるってこういうことを言うんだって思った。
イヤミなのにラブレター。
ラブレターなのに残酷でもある。
突拍子もないトーンから、ちゃんとどこかに着地する。
そしてそれが「情熱」に基づいている。
そしてそれを支える「技巧」。
上記の著作でも、「与謝野晶子っていう人は情熱の人であると同時にとっても技巧ということにも長けた人」とある。
高級なイヤミ――。
私が書きたいのも、こういうものなんじゃないかなぁと思った。書けてるかどうかは別として。
でもそれはきっとすごく、「紙一重」なんだろうな。
とにかく衝撃だった。
最近、強く惹かれた表現もまた、“高級なイヤミ” であった。
容赦なく、私の胸を撃ちまくる。
そんな表現に対して、私もまた、情熱的なラブレターを書いてみよう。
「あんなに威張りまくってんのに、人から言われたことにすぐ影響されちゃう素直さと繊細さがあって、実は誰よりも人を想ってたりして、鬼のように高いプライドがあるのに、守るべきもののためにそれを捨てることも自分を犠牲にすることもできて、めちゃくちゃ不器用だが、カリスマ性は半端なく、実はひた向きで、情熱に溢れ、知性とユーモアがあって、何気に面白かったりして、かっこよくてかわいい。」
ああ、まだまだ言い足りません! もしくは、言い過ぎている!
(すみません、意味がわからないかも知れませんが、真夜中の独り言というかラブレターというか…です!照)
【追記】もう隠してても仕方ないから、そしてもったいないから、書きます! このラブレターの相手は、韓流ドラマ『ベートーベン・ウィルス』のカン・マエです!
いやぁ、言葉は人を酔わせますね。
胸を撃ちまくられた後は、灰に(ハイに)なっちゃって、しばらくは抜け殻の放心状態になってしまいます。
でも、気付くと、すっごい力になっている。
“高級なイヤミ” に撃たれて眠りたい(バカ)。