
昨日、リハーサルに出かけるついでに、ちょいと早めの出発で桜を見に行こうかと考えていた。何のことはない、ここしばらく、全くの缶詰め状態で制作ばかりやっていたから、たまには心の洗濯をしようと思っただけのことである。ん?洗濯?ということは、心が汚れているということか?曲を制作して心が汚れる?酷い話だな・・・。

ソメイヨシノは、すでに遺伝子的にも限界を迎えているという説を聞いたことがある。全国一律に、同じ遺伝子が分布しているのは、生物学的に異常な状態だと思うのだが、過去の人々はそれを求めたということだろう。古い樹木だから、いろいろなところから花を咲かせている。

個人的に、桜というと思い出すのが、今はなき『スタジオ壱之助』の前にあった樹である。スタジオで使われた建物はまだ残っていることを知っていたので、ついでに立ち寄ってみたが、ほかの樹木同様、傷んできた枝を払われて、寂しい姿を見せていた。

かつては、こんなに見事な花をつけていたのだが、これも時代の流れなのか。せめて、心の中にだけでも花を咲かせ続けたいものである。

上記写真を探すときに、皇居のお堀にある桜の樹を思い出した。2年前のこの時期の写真である。

その時、『おそらくこの樹と会うのも今年までかな・・・』と心にしまい込んだ思いが蘇った。そうだ、あの時は、まだ自分は壊れていなかった。

だが、改めて会いに行くこともないだろう。多分、あの後に完全に壊れてしまったのは、自分の中にあった一つの自分なのだ。ただ、大切な自分に、そのあとに会うことができた。だから、この桜は思い出ではなく、過去なのだ。あそこに置いていこう。
Editor CABEZÓN