またさゆの話で申し訳ない。

 

 

前回に引き続き、心のリハビリ更新です。長いです。

 

 

8割方は2日くらい前に書いてアップしようか悩んでたものですが、まぁいいやという感じでアップしちゃう。

 

 

次からは娘。の話するからお許しを。

 

 

 

 

 

 

先日のさゆのブログを読みました。

 

 

 

 

 

 

なんという、愛。

 

 

さゆからファンへの、途方もない愛だ。

 

 

そして、ファンからさゆへの愛もちゃんと伝わっている。

 

 

 

素敵な愛があふれてるなぁと思うと同時に、この愛情と優しさに満ちた言葉が別れの挨拶(の始まり)のようにも思えて、勝手に切なくなってしまう。

 

 

 

 

 

わたくしの心は相変わらず、ぐるぐるとさゆのことばかり考え続けております。

 

 

 

もう決まったことなのに、なにを考えることがあるんだ?と自分でも思うんですが、考えても仕方がないことを考えてしまうのを、どうにも止められません。気づいたら勝手に考えてるので。

 

 

モーニング娘。の春ツアーどこに申し込むかも考えなきゃいけないんだけどなぁ。

いろいろと現役メンバーの話も書きたいのよ。えりぽんの卒業だって控えてるしね。っていうかさゆよりえりぽんの卒業のほうが先じゃんな。

 

 

 

 

なのに、心はさゆのことばかり考えている。

 

 

さゆがいなくなったあとの世界を想像して、早くも絶望と喪失感に打ちひしがれてしまってる。

 

 

 

うーん。

まさか自分がここまでダメージをくらうとは……

 

 

 

2014年にさゆがモーニング娘。を卒業したとき、なんなら「もうこの表舞台に戻ってこない可能性もあるよな」とか思ってたんですけどね。

 

 

さゆ自身はいずれ復帰するつもりだったと(復帰後に)言ってましたが、そのときは明言はしていなかったので、一応もう戻ってこない覚悟はしておこう、みたいな心境でした。当時のわたくし。

 

 

あのときのほうが、もう少し冷静にそのことを受け止められていた気がする。

 

 

いまのほうがしんどい。

これは自分のメンタルが弱くなったのか、それともあまりに長くさゆを応援してきた反動なのか。

どちらもありそう、というのがわたくしの見解です。

 

 

 

 

大切なものが増えすぎた。

失いたくないものが。

 

 

その数だけじゃなく、重さが。

 

 

それは一見良いことのようにも思えるけど、それが失われてしまったときのダメージは、十代二十代の頃の比じゃないなぁと、三十代も後半になったわたくしは日々感じております。

 

 

 

大人になればなるほど、恐いものが増えるね。

 

 

どんどん生きづらくなる。

 

 

生きづらいというか、生きるのがつらいというか。

 

 

そう言うとさすがに大げさなんだけど、つらいことすら人生のスパイスだったあの頃とは違って、いまはもうひたすらつらいだけなんだよなぁと思ってしまうのが悲しい。

 

 

 

 

 

 

なんの話だったかな。

 

 

そう、さゆだ。

 

 

 

さゆがモデルを務めたブランドのHP、見ましたか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美しすぎて。

 

 

美しすぎて、つらい。

 

 

 

 

 

(この写真、美しいけどなんか儚くて好き)

 

 

 

 

なにがつらいって、こんなに美しいのに、もうすぐこういった姿も見られなくなってしまうというのがつらい。

 

 

あまりにももったいないじゃない。

人類にとって、大いなる損失なんてレベルじゃないですよ。

 

 

なんて言うと、いかにもヲタク特有の誇大表現みたいだけど、わたくしは本気で言ってます。

 

 

 

こんなに、信じられないくらい美しいのにね。

 

 

このままこういうお仕事を続けていく未来は、ないんだよ。

将来も絶対にないとは言い切れないかもしれないけど、でも現時点では、それはもうすぐ終わるわけで。

 

 

 

そのことが、どうにも信じがたいです。

 

 

モデルのお仕事だけじゃなく、さゆが引退することで失われるすべての物事が惜しい。あまりに惜しすぎる。

 

 

そして世界は何事もなかったみたいに、別の誰かがそこに収まって、続いていくんですよ。

 

 

そんな世界が、わたくしは許せません。

そんなもの、見たくもないし、聞きたくもない。

 

 

子供のわがままみたいなそんな感情がふとした瞬間にほとばしる日々を、ここ数日は送っております。

 

 

 

そんなこと言ったってしょうがないんですけどね。

 

 

まったくもって、しょうがないとしか言いようがない。

 

 

どうやら人生は、“しょうがない”ことで満ち溢れているみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、あぁ……また悪い癖であれこれ考えすぎてしまうんですが、すべての活動を終了するなんて、結構な思い切った決断じゃないですか?

 

 

心の具合が良くなるまで(これまで以上に)制限しながら活動するとか、しんどそうなお仕事はしばらく休んで出来そうなものだけしていくとか、なにも全部スッパリ辞めなくたって、続ける道はあったと思うんですよ。

 

 

 

ほんとこれは野暮で無粋な、まともなヲタクさんからは眉を顰められてもおかしくない戯言です。それを承知で書いてます。

 

 

 

で、引退という、いわば“最終手段”を選択するに至ったからには、強迫性障害だけじゃない、なにか他にもそう決めるだけの理由や要素が少なからずあったんじゃないか、なんてことを頭は勝手に考えてしまい。

 

 

別になにか変な邪推をしてるとかそういうことでは全然なくて(当然ですが)、でもあえて公表はしないこと、言わないこと、できれば言いたくないこと、そんなことが多少なりあったとしても、驚きはしません。

 

 

人がなにか大きな決断をするとき、理由や原因はひとつとは限らないですから。

 

 

もちろん大きなきっかけは強迫性障害であり、それさえなければまた違った未来があった可能性はあるでしょうが、他にもいろいろと「引退」という道を選ぶ理由はあったのかもしれないなぁと、ぼんやり思っただけです。根拠とかはないです。単にそう思いたかっただけかもしれない。

 

 

 

 

あるいは、引退を決意しなければならないほどに、強迫性障害によるお仕事への支障が大きいのか。

 

 

「いや、あるいはっていうかそうなんでしょ?」と思われそうですが、あくまで可能性をこねくり回してるのだと思ってください。

 

 

 

強迫性障害によって支障をきたすお仕事は、主にライブ関係のことだとなんとなく思っていたんですよ。

 

 

書き物だったり他のグッズだったり、その他ステージに関する拘りや、どうしても気になってしまう部分、それらがどんどん肥大していって、支障をきたすようになったのかなと。(素人の勝手な想像ですが)

 

 

でももしかしたら、ステージ以外のお仕事でもそのことが障壁になり、たとえ歌手活動を休んだとしても、他のお仕事を続けるのも難しいような症状なのであれば。

 

 

それはもう、本当に「仕方がない」と納得せざるを得ない決断で。

 

 

そこでようやく、積極的にその背中を押せるくらいの気持ちになれる気がするなと、いまさらのように思ったりもしました。

 

 

おいおい、お前はそこまで言ってもらわないと背中を押せないのかよ。受け入れられないのかよ。と、自分で自分に盛大に呆れながら。

 

 

 

 

 

 

 

つまりなにが言いたいかって、引退という結論以外の道を「こうしたらどう?」「ああすればいけるんじゃない?」と並べ立てて、もちろん本人にそんなことを尋ねるわけにはいかないから、自分で言って自分で返信してるわけです。

 

 

そうやって、自分自身を納得させている。

受け入れがたいものを、少しずつ受け入れさせていく。

 

 

これの虚しいところは、あくまで自分自身と対話するしかないという点です。

肝心のご本人、さゆとやりとりすることは当然できないので、本当の答えを聞けないまま、自分でどうにかそれらしい答えを作り上げて自分を説得するしかないのです。

 

 

 

 

なにを言ってるんだか、自分でもよくわかってませんよ。

なので、「こいつはなにを言ってるんだ?」と思っても大丈夫です。それが正解です。

 

 

 

 

 

 

 

いろいろ言いましたが、そもそもさゆが娘。卒業後、どうしてまたこの世界に復帰したかというと、「また歌が歌いたくなったから」という理由だったのを、ふと思い出して。

 

 

そうなんですよね。

さゆは歌が歌いたくて、ソロで活動をはじめたんですよ。

 

 

ならば、それが(強迫性障害のせいで)難しくなってしまったのならば、他のことをするとかそんな道ではなく、活動を終了すると決意してもなんらおかしくはなかったんですよね。

 

 

一番やりたいことが上手くやれなくなってしまって、じゃあそれはやめて他のことをやろう、とか、きっとさゆは思えなかったんじゃないかな。(あるいはさっき言ったように、他のことさえも難しくなったのか)

 

 

 

そのプロ意識と決断がカッコいいと、小田ちゃんもブログで書いていたんじゃないかな。

 

 

ステージに立つ道重さゆみとして、それにずっと真摯に向き合ってきたからこそ、中途半端にそれを続けることをよしとしなかった。

 

 

それが、カッコいいのだと。

 

 

 

まぁ小田ちゃんがそう思ったかどうかはさておき、わたくしはそう思うことでどうにかこの“引退”という受け入れがたい現実を受け入れようと奮闘しています。

気を抜くとすぐに、「いや、でも……」とまた新たな屁理屈をこねくり回してしまいそうになるけど。

 

 

 

 

 

 

とまぁ。

 

 

さゆのご報告以来毎日、こんなことを1日中考えております。

本当に1日ずっとこれしか考えてないまである。

なかなか重症です。

 

 

はっきり言って、生活に支障をきたしているw

 

 

なにもかも全部自分のせいですけどね。

さゆはずっと長い時間ファンを楽しませてくれて、そんな人が苦渋ともいえる決断を下したというのに、すぐに受け入れることもできず、ウダウダと不毛なことを考え続けている。

それはひとえにすべて、わたくしの精神の未熟さが招いた結果。

 

 

そんな未熟さをここでこうして長々と文章にして他人様に読ませてしまっているのも、すべてわたくしの不徳の致すところです。

もしここまで読んでくださっている方がいるとすれば、「なんかすみません」と謝っておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

といったことを、2日くらい前に書きました。

 

 

 

 

ここからは今日のわたくしですが、ここまで自分本位なことばかり好き勝手のたまってきたからには、さゆ自身の抱える苦しみについても深く考え理解しなければなるまい、と思い。

 

 

もちろんこれはさゆの心の問題なのであり、他人が勝手にあれこれ考えていいことではないだろうし、そもそも何がどうさゆを苦しめているのか具体的なことまではわからんだろという話なんですが、抽象的にせよ考えることでさゆの下した決断をより理解し受け入れるというプロセスにも繋がるわけで……とにかくまぁ、そういうことです。

 

 

 

 

 

この手の精神疾患というのは本当に、そういった状態になった人にしかわからない苦しみがあり、しかもそれは(同じ病気でさえ)人それぞれに様々な原因や症状がある、ということは素人ながらに理解してはいて。

 

 

わたくし自身、数年前にまあまあしんどい状態になったことがありまして、あのときは大変でした。

 

 

それでもたぶん、症状としては軽いほうではあったんだと思います。わからんけど。

医者に行ったわけではないので病名なんかもわからないですが、不安障害とかそんな感じだったんじゃないかと、いまなら推察できます。

 

 

そうなった直接的な原因は割愛しますが、1日のなかで、とんでもない強迫的な不安が精神を襲ってくるんですよ。それに押し潰されそうになる。

それはまさに「波のように」周期的で、「あ、いま大丈夫かも」と思える時間もあれば、「あ、やばいまたきた」と思う時間もあるという厄介なものでした。

 

 

自分ではどうしようもなくて、ただ波が通り過ぎるのを耐えるしかない。

なるべく気を逸らそうとして、不安に繋がらないような内容のもの(本とかアニメとかゲームとか)を探し、必死に考えまい考えまいとしていた記憶があります。

 

 

 

それが結局1ヶ月くらい続いたような。

ああいう状態になったのは初めてだったので、わけもわからず(誰にも言わず)ただひとりでどうにか耐え忍んだという感じです。

 

 

わたくしは子供のころ若干病気がちな人間で何度も入院とかしてたくらいなので、身体的な苦痛というのは馴染みがあったんですが、精神的な苦痛(疾患)というのがあんなにしんどいものだとは思いませんでしたね。

 

 

治った(というのか、まぁ当時ほどの強迫的な不安は去った)からよかったものの、またああなりたくはないなぁという思いはずっとこびりつき、いまでは日常のなかで「これをしないと悪いことが起こる」みたいな強迫観念が定着してしまったところはありますね。

自分にしかわからないちょっとした行動とかを、願掛けかジンクスのように、絶対にやらないと不安に駆られて落ち着かなくなる、みたいな。

 

 

 

 

 

 

わたくし自身のどうでもいい話を長々と語ってしまいましたが、要するに精神疾患はかなり厄介なものである、ということくらいは(症状の大小はあるにせよ)肌で理解している、という話をしたかったのです。

 

 

さゆの苦しみはさゆにしかわからないものだけど、そのつらさの一端くらいは想像できる。

 

 

そんな状態でさゆが芸能活動をずっと頑張っていたのだと思うと、何も言えなくなってしまう。

 

 

いや、言えるのはもちろん感謝の気持ちと、これからどうかその苦しみが少しでも和らぎますようにという願い、それだけです。

 

 

症状の具体的なことはわからないけれど、このお仕事から退くことで心の平穏を取り戻せるのなら。

 

 

そのためなら、引退という決断も受け入れられるだろう、と自分自身に言い聞かせつつ。

 

 

さゆが、大好きなライブを辞め、大好きなファンたちから離れる決断をしなければならないほどの苦しみを感じていたのなら、なによりもまずそれを取り除くこと、そのためにすべきことをすることに、異議などあるはずもなかろう、と。

 

 

 

ほとんどのヲタクさんたちがすぐに辿り着いたであろうそのゴールに、わたくしはこれほど遠回りしないと本当の意味でゴールできない、ダメなヲタクなのです。

 

 

もちろんそのゴールは、すぐに見えてはいたんですけどね。

 

 

でもそこに一足飛びに辿り着いて、すぐさま受け入れられるだけの強さを、自分は持っていなかった。

 

 

だからこんな文章を長々と書いてしまったというわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

はい。

 

 

ここまで苦行に耐えて読まれた方がいるのか甚だ疑問ですが、もしいたのなら、もう一度「なんかすみません」と謝っておきましょう。

 

 

 

次からは普通の更新をします。

 

 

 

たぶん。