小田ちゃんの猫エッセイ『さくらと猫』が発売されたわけですが、わたくしはまだ入手できていません。
一刻も早く手に入れなければ。
それに伴い、小田ちゃんのインタビュー記事が出ています。
小田ちゃんって、普通に(人並みに)感情豊かだし、博愛主義的な面も多分にあると思うんですけど、決してそういったものに流されることがないんですよね。
理知的、理性的、冷静……どういう言い方が適切なのか迷いますが、強いて言うなら「本質を自然に見極められる人」というのが合ってるかなぁという印象。
一時の感情や目の前のことだけに囚われず、物事の本質を自然に見抜いて、何が大事で何が大事じゃないのかをちゃんと理解できる人。
この記事で言えば、猫は大好きだけど、害獣になりうることもある、ただ増やせばいいという考えはエゴじゃないか、などなど。
猫の可愛さだけじゃなく、猫を飼うことの大変さやデメリットにも言及している点。
その他諸々、小田ちゃんの言葉にはしっかりと地に足のついた説得力があり、広い視野を持って物事を見ているのが伺えるんですよね。
たいしたもんですよ。
まだ二十代前半。
この歳で(というかもっと前から)こんなふうにできる人はそう多くありません。
この歳じゃなくとも、もっと大人になってさえ、こんな立派な人は滅多にいないでしょう。
小田ちゃんのインタビュー記事はあとふたつほど出てるので、そちらも貼りましょう。
あと小田ちゃんのすごいなと思う部分は、自分に酔わないところですね。
「正しいことを言っている自分」に酔っていない。
これも、簡単なようでいてなかなか難しいことなんですよ。
ちょっと前に流行った某曲の歌詞に「説教するってぶっちゃけ快楽」というのがありましたけど、この快楽に溺れずに説教したり人を諭したり正しいことを言ったりできる人が果たしてどれだけいるか。
Twitterなんかではまずお目に掛かれない。
己の正しさを微塵も疑わず、その正義のためなら相手をどれだけ痛めつけても構わないと思っている連中の坩堝ですから。
なんて偉そうに言ってるわたくしも、おそらく例外ではないんでしょう。
自分が、小田ちゃんほど己を律して発言できている自信は正直ないです。気を付けてはいても、“正しさの快楽”にいつの間にか溺れてしまっている気がしてなりません。
その辺の塩梅はまぁ、難しいものではありますけどね。
でもこれまでの小田ちゃんの発言などを見るにつけ、そういった「自分に酔ってるな~」と感じたことは一度もない。
むしろ、これだけ冷静に、理性を見失わず、それ(小田ちゃんにとっての正しさ)を発信できるのはすごいなと感心するばかりです。
人間としての格が違う、という感じでしょうかね。
小田ちゃんだけじゃなくメンバーみんなそうですけど、なんていうか、魂が上等なんだよなぁ。
魂が上等。
前に読んだ本(小説)にそんな言葉が出てきて、印象的だったのでいまだに覚えてて。
その部分を引用してみましょう。
「〇〇を見ていると、この世の中には上等な人間がいるものなんだなと思う。資産家の生まれで、容姿が美しいからではない。同じような境遇でも、下品な人間は幾らでもいる。(中略)〇〇は、魂が上等なのだ。魂なんてめったに使う言葉ではないけれど、そんな言葉しか見つからない」
〇〇の部分は人名です。
なんとなく伏せました。
モーニング娘。のメンバーを見ていて思うのも、まさにこの「魂が上等」という言葉なんだよなぁと思ったものでした。
人としての品格、根っこの部分。
それがとても上等。質が違うというか、綺麗で、強靭。
特にフクちゃんや小田ちゃんのは発言なんかを聞くと、それを如実に感じることが多いです。
そんなふうな、上等な魂を持てるようになりたいもんだ。
最近ちょっと一部人間の愚かさとか幼稚さとか、そういう「下等な魂」を持つ連中のうす汚い言葉が目に入ることが多くて、少々気分が沈んでおりました。
でも小田ちゃんのインタビュー記事を読んで少し浄化された気がします。
やはり汚いものばかり見ているのは心の健康に良くない。
でもこんなふうに思ってしまうのも自分の魂が下等である証拠なのかもなぁとか考えちゃって、まだまだ修行が足りないね。