「ただね、僕がそれよりもうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う〈うつろな人間たち〉だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ。つまり早い話、さっきの二人組のような人間のことだよ」

 

――村上春樹 『海辺のカフカ』

 

 

 

 

 

 

 

いきなりの引用で恐縮ですが、エピグラフみたいなものだと思ってください。

 

 

 

 

ところでふと思ったことがあります。

 

 

もし仮に、この世が「バカばっかり」なのだとすれば、インターネットの世界もまた、「バカばっかり」なのに違いない、と。

 

 

 

 

バカな人間とそうでない人間。

そもそも「バカ」の定義が曖昧なので正確な測定は不可能でしょうが、果たしてどちらが多いのか。

 

 

もしもバカのほうが多いのだとすれば、必然的にインターネットにもバカが溢れているということになりますね。

 

 

そんな「バカばっかり」の世界を毎日のように眺めて、いったい自分は何をしているのかと自問することが最近増えました。

 

 

 

SNSを見ても、いろんな動画を見ても、そこにある言葉の無価値っぷりにはいつもながら呆れます。

 

 

Twitterで呟かれる言葉。

コメント欄に書き込まれる言葉。

 

 

それのなんと空疎なことか。

もちろんすべてがそうではないけれど、自分が思っていた以上にそういうものが多すぎて、軽いショックすら受けてしまっているような気持ちになることもあります。いまさらながらに。

 

 

 

人間とは、こんなにもバカばっかりだったのか、と。

 

 

 

 

 

インターネットが普及して、誰もが、たとえどんな愚か者であっても、そこに簡単に言葉を書き込むことが可能になりました。

 

 

最初の話に戻りますが、もし世の中が、賢いまともな人間よりも、愚かでバカな人間で溢れているのなら、インターネットに書き込まれるその言葉もまた、愚かでバカな人々の産物ばかりなのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

ああもちろん、自分自身もそのうちのひとりであると思っています。

自分だけはバカじゃないと言えるほどバカではないつもりです。

しかし、そんな自分さえ呆れてしまうほど、“想像力の欠如したバカ”が多いことに愕然とするのです。上には上がいるのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

インターネットが普及したことは、果たして人類にとって喜ぶべきことだったのでしょうか。

 

 

ありていに言ってしまえば、こんなものはバカにバカなことを大手を振って言わせる場を提供しただけなんじゃないのか?と思ってしまうこともあるのです。

 

 

 

 

なんにもわかってない、想像力の欠片もない、自分の頭で何も考えない、無感覚で無価値な人間たちの言葉の集積場。

 

 

ネットの言葉なんて便所の落書き同然だ、とも言われてますが、それがたくさんの人の目に触れるものと捉えると、便所の落書きのほうがまだマシだとさえ思えます。

 

 

 

本当に賢い者は、便所に落書きなんてしません。

 

 

ネットの言葉が便所の落書きなのであれば、じゃあそこに価値ある言葉なんてほとんどないということになるじゃありませんか。

そこに落書きをするのは、バカばかりなのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁここまでは一般論というか、抽象的な話ではあります。

 

 

ハロヲタ……ではないから娘。ヲタとして、SNSや動画のコメント欄などを見ていると、こういった気持ちになることが多いです。

 

 

想像力を欠いたバカな人間ほど、わかったような顔をして空疎な言葉を書き込んでいる。

 

 

 

なかには誹謗中傷のような、悪口のようなものもありますが、そちらはまだはっきりとした悪意が見えるのでわかりやすい。(良くはないけども)

 

 

しかしバカな人間がなんの気なしに書き込むバカなコメントほどげんなりするものはありません。

 

 

いったいこいつは好きなアイドルの何を見ているんだろう?そう思わせられるような、空疎な言葉たち。

 

 

応援の仕方や、どこをどう楽しむかは人それぞれ自由だけれど、あまりにも、あまりにも「なんっだよそりゃ」と思うようなコメントを見つけてしまうと、本当に心からげんなりします。しかも彼らはそれを大真面目に言っているのです。自分がトンチンカンなことを言ってるなんて微塵も思っていない。それどころかそれがとても重要なことであると思っている節がある。

 

 

本質を掴むなんていうほど大げさなものでなくとも、もう少しまともな感想はないのか?もう少しまともなことは言えないのか?と思ってしまうのです。

お前は、この動画を見てそんなことしか思わなかったのか?と。

 

 

 

 

 

少し具体的な例を出すと、最近のモーニング娘。ヲタク(の一部)界隈でトレンドなのは、“歌割り”のようです。

 

 

なにかにつけて、歌割り歌割り。

歌割りさえあればすべて上手くいくと言わんばかりに、誰々にもっと歌割りをよこせと、彼らはそればかりを書き込むのです。

 

 

 

誰々にもっと歌割りを、と言うだけならともかく、現状、歌割りが多いメンバーを批判的に書き込む人間も少なくありません。

 

 

最近新たに見かけたのは、「(ベテランメンバーは)年功序列で歌割りが多くもらえている」といった意味のコメントでした。

 

 

とうとう歌割りが多いことの理由に「年功序列」を持ってきたかぁ、と半ば感心してしまいました。

ありとあらゆるいいわけを駆使して、歌割りが多いメンバーを批判したいようです。(それを、歌割りの少ないメンバー本人ではなくそのヲタクが言っているというのがなんとも滑稽な喜劇のようではありますが)

 

 

 

 

あぁ、モーニング娘。のヲタクもとうとうこんなことを言いだすマヌケが出てきてしまったのだなぁと、世も末な気持ちになりました。

(彼らが本当にモーニング娘。のヲタクなのかどうかはわかりませんけどね。あるいは別グループのヲタクだからそんなことを言うのかも)

 

 

モーニング娘。は年功序列で歌割りがもらえるような甘っちょろいグループだと、彼らは思っているのでしょう。
まともに娘。を見ていればそんなことはありえないとわかりそうなものですが、想像力もなければまともにものを見る目も持たない彼らには、それがわからないのでしょうね。

 

 

歌割りが多いメンバーは、これまでの活動のなかで、頑張って頑張って、努力してそれを勝ち獲ってきた人たちです。(言うまでもなく、持って生まれた才能も無関係ではないでしょうが)

人数が多いので、そして彼女たちはプロのアーテイストであるので、メンバー全員みな平等にというわけにはいかない厳しい世界ではありますが、だからこそあの素晴らしいパフォーマンスを生み出すことができるのでしょう。

 

 

そんなこともわからずに、ファンをやっているとは。

いや、別にそれがわからなくてもいい。でも、わからないのにわかったような顔で「年功序列ガー」などとコメント欄に書き込むのは、あまりにも厚顔無恥であると自覚していただきたいものです。

 

 

 

 

歌割り厨のバカっぷりも、とうとう来るところまで来ましたね。

 

 

年功序列で歌割りがもらえてるんですってよ。

あんたそれ生田さんの前でも言えんのか?(これはジョークです)

 

 

 

 

 

 

やれやれ。

 

 

こういう連中を見ていて、冒頭に掲げたエピグラフの文章を思い出しました。

 

 

なににおいても、想像力の欠如した人間というのは害悪です。

 

 

それを自覚しない人間は特に。

 

 

 

 

 

こんなものばかり目にしてしまうと、インターネットなんてバカがバカなことを書き込む場を提供してやってるだけじゃないか、なんて思ってしまうのです。

 

 

以前サイレントマジョリティーの話を書きましたが、多くのまともな人間は、普段から当たり前に思っていることをわざわざネットに書き込んだりしない(人が多い)です。

 

 

 

嬉々としてそこに書き込むのは、自分が想像力を欠いた空疎な藁人間だと自覚しないバカが大半、ということになってしまうわけですね。

 

 

 

 

 

 

 

ネットなんてなるべく見ないに限る。

ここ最近は、そう感じることが増えました。

 

 

実際、先日3日間ほど遠出したときはほとんどネットを見ていなかったんですが、そのときの心の平穏といったらもう。

たいへん素晴らしいものです。普段、いかにネットに毒されていたかがわかりました。

 

 

 

しかし、日常のなかで暇な時間があると、つい見てしまう。

これがネットの恐ろしいところです。そこにはまったくたいしたものなんてないし、それどころかげんなりさせられるような無価値な言葉が並んでいるとわかっているはずなのに、手は勝手にそれを開いてしまう。

 

 

 

いっそのことスマホもWi-Fiも契約を切ってやろうかとも思いますが、現代においてそれはさすがに不便が過ぎる。

そこまでいくなら、人里離れた辺境の地でひとり静かに暮らしていくような生活を送りたい。(でもまださすがにそこまで踏み切れない)

 

 

 

それに、自分がそれを見なかったところで、それ自体がなくなるわけじゃないという気持ちもあります。

 

 

余計な考えではありますが、自分が見る見ないにかかわらず、バカは日々バカなことをネットに書き込み続けているという現実があって、自分の好きな人たち(わたくしの場合はモーニング娘。)が少なからずその影響を被っているのだということを考えてしまい、落ち着かない。

 

 

 

なんにせよどうしようもないことではあるんですけどね。

 

 

人類がある日突然みな聡明にでもならない限り、そのインターネットのゴミ集積場(諸々の書き込み)は精力的に動き続けることでしょう。

 

 

 

せめて自分の愛する人が、そういったゴミの言葉に惑わされることなく、楽しく生きていってくれればと願ってやみません。

 

 

 

あなたは、あなたが信じる人たちの価値ある(と思える)言葉だけを信じて、強く生きてください。

 

 

 

これを自分自身にも言えたら良いんですけどね~。