普段はあまり考えないようにしてるけどふとしたときにやってくる喪失感。つまりはまーちゃんの卒業について。

 

 

 

 

だってもう11月だよ。

あとひと月ちょいで卒業とか嘘じゃん。

 

 

 

受け入れたというより、“諦めた”に近いこの感情。

 

 

だってどうしようもないもんね。

たとえば仮にこの1ヶ月でまーちゃんの病気がすっかり治ったとしても、たぶん卒業キャンセルとはならないでしょう。たぶん。

 

 

理由はそれだけじゃないみたいなことをブログでも書いてたし。

まぁそうだよな。もう10年やってるんだもんな。

 

 

 

たまーに、病気のことも忘れて「まーちゃん本当にいいのかよ、もう少し待てばまた単独ツアーとかできるかもしれないよ?いま卒業しちゃっていいの?」なんてことを心のなかで思ったりしちゃうけど、そんな風に思うのはまーちゃんの決意と覚悟に失礼かもしれないなと反省したりもする。「バカヤロウ!」と心のなかの自分を殴ったりもする。

 

 

 

そうなんだよ、まーちゃんはモーニング娘。に加入してもう10年も活動してるんだよ。

 

 

あのまーちゃんが。

前にも言ったけど、加入して3~4年経ったくらいからは、いつなんどき急に「辞めまーす」とか言ってフッといなくなるかわからんなと思い続けていたんだった。

 

 

ある日急にいなくなって、我々ファンはもうまーちゃんがどこで何してるのかもわからなくなるんじゃないかって。

 

 

 

そんな風に思ってたのに、気付けば10年。

 

 

アイドル10年やってれば、それはもうベテランと言っていい。

 

 

たとえ身体の不調がなくたって、このタイミングで卒業を決めるというのはむしろ自然というか、少なくとも「早すぎる」ということはない……んだろうなと思う。

 

 

だからこうして10年間モーニング娘。で頑張ってくれたことに大いに感謝すべきなんだ。「本当にいいの?」とか思うのは失礼だし、いまはとにかく体調が良くなることを祈り、これまでの10年に感謝すべきなんだ。

 

 

 

と自分に言い聞かせて、この卒業をどうにか消化しようとしている。

 

 

 

 

 

あとはそう、卒業後のソロ活動も楽しみだな~とか考えて、前向きになろうともしてる。

 

 

でも当の本人が卒業後のことを「応援してね」どころか「一度まさきから離れてくれ」とか言っちゃってるから、その辺のことはまだあんまり期待しないほうがいいのかなと思わざるを得ないw

 

 

聞いたことないよそんなの。

一応は卒業後も音楽活動続けるって発表してるのに、一旦わたしから離れろってファンに言う芸能人いる?w

 

 

「まだどうなるかわからないのに付いてきてなんて言えない」ってのはまーちゃんらしい考え方だなと思うけど、ファンとしては建前でもいいから「応援してね」とか「期待しててください」とか言ってほしいぜ。

まぁそんな考え自体が軟弱というか凡人の戯言なんだろうね。

まーちゃんがそんなありきたりなことを言うわけないんだよ。

 

 

これは勝手な思い込みだけど、まーちゃんは卒業して歌手とかアーティストとかになりたいんじゃなく、もちろん女優やタレントになりたいわけでもなく、芸能人でいたいとすら思ってなくて、ただただ「音楽をやっていたい」んだろうなと思う。

 

 

まぁそんなことはファンならみんな感じてるか。

 

 

そうだからこそ、まだこの段階で「付いてきて」とは言えない、と思うのかもしれないね。

具体的にソロアーティストとしての活動や展望が開けてるわけじゃないから、と。

 

 

 

 

 

 

みたいなことを一人で考えている真夜中。

 

 

 

 

 

まーちゃん自体は一筋縄ではいかない人だからこちらの気持ちもあれこれ浮き沈みするけども、それはともかくメンバーがひとりモーニング娘。を卒業するということ自体に目を向けると、これはもうただただ寂しいに尽きる。

 

 

卒業も何気に久しぶりだしね。

まーの前だと飯窪さん。'18の秋ですよ。そこから誰も卒業してなかったんだなぁ。

 

 

 

いまのこの14人のモーニング娘。、めちゃめちゃ良い。

 

 

歌もダンスもパフォーマンス全体も、年齢もビジュアルもそれぞれの関係性も、何もかも最高と言えるくらい素晴らしい14人なのに。

 

 

それが少し変わってしまう。

欠けてしまう。崩れてしまう。

 

 

 

でもそうやって24年やってきたグループなんだよなぁ。

 

 

どこかが欠けても、また新しい輪になって輝く。

形が崩れても、また別の形になって煌めく。

 

 

不死鳥のように――という例えはちょっとベタすぎて恥ずかしいですね。

 

 

 

 

モーニング娘。の歴史は、始まりと終わりの歴史でもある。

 

 

モーニング娘。が始まってから、何度も終わり、何度も始まってきた歴史。その集積。

 

 

 

 

ファンにとっては、喜びと寂しさの歴史でもあるね。

 

 

寂しさは、諦めと同義に近い。

 

 

でもこれを諦めと呼んでしまうのはちょっとあんまりだから、とりあえず寂しいと言い換えておこう。

 

 

いずれその寂しさが、諦めになってしまうとしても。