モーニング娘。は永遠の愛の形。

 

 

 

 

当時モーニング娘。のファンだった人みんなの心に刻まれたであろう言葉を、また反芻している。

 

 

 

 

 

 

あのときほどではないけれど、なんだか妙に切ない。

9月になって一気に秋らしくなったせいかしら。

 

 

これは個人的な印象だけど、彼女は秋がよく似合う。

 

 

 

 

 

 

 

 

先日さゆがリミスタとインターネットサイン会をしていて、その動画のなかで少しだけ名前が出て。

 

 

曰く、さゆがいままで見てきた女の子のなかで仕草がめちゃめちゃ可愛いと思うのは「亀井絵里ちゃんと鞘師里保ちゃん」とのこと。

 

 

「絵里はいま会っても変わらんな~って思うもん、仕草」

 

 

 

 

そうか、変わらないか。

 

 

それは可愛いな。うん。間違いなく可愛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、10年も経てばさすがに少しは“いない”ことにも慣れてきたけれど、またこうしてその名前を聞いてしまうと、“いない”ことに改めて気付かされてしまう。

 

 

以前と違うのは、“いる”ことがわかったこと。

どうやらきちんと生きていて、幸せになっていたことがわかったこと。

 

 

いないけど、いる。

いるけど、やっぱりいない。

 

 

 

だけどそうね、これからは一応の繋がり(というか所在?)は感じられるのかもね。だいぶ間接的ではあるけど。

一応そこに、好きなバンドのボーカルの近くに、あの子がいるというのはわかったから。

 

 

不思議な気分だ。

いつも聴いてるアーティストの曲。

これからは「奥さんが亀ちゃんなんだなぁ」と思いながら聴くというのは、なんだかすごく不思議。

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁ特にこれといって書きたいことがあったわけじゃないんだけど、亀ちゃんがモーニング娘。だった頃のこととか、卒業間際のあれこれとか、やたら思い出してセンチメンタルになってしまったので書いてみた感じ。

 

 

 

 

こういう、なんとも言い難い心の内とか、あの当時の思い出とか、ダラダラ書こうと思えばいくらでも書ける気がしてきた。

 

 

だけどもちろん、そんな文章は何もおもしろくないと思うのでそろそろ終わる。