もうその話はいいよ、という方はスルーしてほしいんですが、ちょっとだけ補足みたいなものを。
(※ちょっとだけと言いつつまたくっそ長くなりました)
ちなみに途中までは最新の小田ちゃんブログ(『ファンの皆様。』のやつ)を読む前に書いたものなので、そのつもりでお読みください。
なんていうか、やっぱり今回の件でハロプロの実態をまざまざと思い知った感があって、それが少なからずメンバーもファンも悲しかったんじゃないかなぁと思ったりするんですよね。
いや、わかってはいたことなんだけど、やっぱりそうなんだよなぁって思ったといいますか、再確認。
きっといまは歌の上手いアイドルなんてたくさんいるんでしょうが、それなりに名の知れた、一定数のファンを持つ集団としてはハロプロは良い位置にいるんじゃないかと思うわけです。
そのなかでもさゆきと小田ちゃんは「ハロプロの歌姫」と呼ばれ、同じ曲のカバー動画をアップしたり、それでテレビに出て歌ったり、その曲とは関係なく歌番組に呼ばれて他のアーティストと一緒に歌ったり、「歌の上手いアイドル特集」みたいな企画で紹介されたりもしてたじゃないですか。
アイドルというカテゴリーでも、こうして歌で勝負できるんだ!と感じ始めてきた時期だった気がします。ファンも、たぶんメンバー(特に小田・高木のふたり)も。
でも結局、そんな歌姫でさえ、恋愛が発覚したらもうそこにはいられなくなってしまうという現実があって。
小田ちゃんの悲しみというのはつまりそういうところなんでしょう。
ファンだってそうですよね。
「恋愛したって別によくない?」というのは、そんなことで彼女の歌が聴けなくなるのは嫌だってことでしょ?
恋愛禁止ルールの必要性を説く人だって、気持ちとしては惜しみ、悲しんでいる人がほとんどのはず。
小田ちゃんが自分たちの存在価値や求められていることを改めて問い直したのも頷けるというか、いったい私たちは音楽をやるべきなのかアイドルをやるべきなのか、本当に重要なのはどっちなんだろう……?みたいに思っても不思議はないよなって。
そもそもアイドル自体が矛盾を孕んだ存在である、という部分もある。
恋愛の歌を歌うのに恋愛しちゃいけないという時点で、矛盾なんですよ。(別に恋愛しなけりゃ恋愛の歌が歌えないわけではもちろんないけども)
ハロプロの場合、事務所もメンバーもファンも「歌やダンスのスキル」を求めるのに、必ずしも歌やダンスが上手い子が加入するとは限らない。そしてそれらが苦手な子にもファンはつき、実際に応援してて楽しい気持ちになれる。
人による、と言ってしまえばそれまでなんですが、全体的に見るといろいろ矛盾を抱えてるといいますか、ある種の共同幻想的な後ろめたさみたいなものを内包してるよなと思います、アイドル(ハロプロ)って。
真面目に考えれば考えるほどわからなくなりそう。
おまけにこの矛盾は必ずしも欠点であるとは限らなくて、矛盾があるからこそ成り立ってるところもあって。
騙し騙し、時には矛盾に気付かないふりをしながら、活動したり応援したりしているのがアイドルという特異な存在なんじゃないかと、たびたび思います。
そしてこういう事態が起こってしまうと、その矛盾が浮き彫りになる。
その実態もね。
だから「ハロプロは音楽を一番に活動してると思っていたけど、実際そうではなかった」というギャップに苦しむことになる。
いや、「そうではなかった」というのは正確じゃないかも。
たぶんハロプロが音楽を一番に活動してるのは本当なんだけど、重要なのは一番だけじゃない、ってことなんじゃないかな。
音楽「だけ」で問題なくやっていけるほどではない。
一番以外の、いろんな(アイドル的な)ものもないがしろにはできない、と事務所は判断している。そういう現実。
ハロプロは歌手であるとか、地球を守る戦士のようだとか、気持ちとしてはそういう風に思っていたけど、良くも悪くもハロプロはアイドルだった(でもある)んだなということを、誰もが痛感したのではないかなと。
……なんか同じようなことを繰り返し言ってるだけの気もしてきましたが。
でもこの、ハロプロにおける理想と現実のギャップ。これが埋まる日が果たして来るのかどうか。
そもそも埋めるべきものなのかどうか、それすらはっきりしたことは言えないのがモヤる。
アイドルが本当に矛盾を綺麗さっぱりなくしてしまったら、その商売は成り立つのでしょうか。
人間ひとりひとりでさえ、誰もが矛盾を抱えて生きているというのに。
そういえば昔、『矛盾の上に咲く花』というタイトルの曲があったなと、いま急に思い出しました。
MONGOL800でしたっけ。モンパチ。
高校の頃流行ってたな~。正直わたくしは全然聴いてなかったんですが、友達とかめっちゃ聴いてたしカラオケでも歌ってた。
歌詞を見てみると別にそうでもないんですが、このタイトル。
まさにアイドルって、矛盾の上に咲く花なんじゃないか、という気がしなくもありません。
矛盾なしには成り立たない存在であるとすれば、そう言っても間違いではないでしょう。
「矛盾があるから人間なんだ」というセリフを、とある本で読んだこともあります。
矛盾があるからアイドルなんだ、っていうね。
個人的には矛盾というのは悪いことではないと思ってるので、この考えはしっくりくるんですけど、他のみなさんはどうなんでしょう。
少なくとも小田ちゃんは、この矛盾から目をそらさずに、いろんな意見や反発も覚悟のうえで、感じた違和感を自分なりの言葉にして伝えてくれたのでしょう。
それを素直に称えたい。
いまのところこの件にここまで深く言及してるのって小田ちゃんだけですもんね。すごい勇気だと思いますよ。(もちろん、あえて触れないというのもひとつの選択ではある)
ああ。
こういうの、できることなら真面目に考えないほうが幸せにヲタクやれそうだなとは思います。ホントに。
……っていうところまでが、昨日の小田ちゃんブログを読む前に書いた部分。
で、それを読みまして。
なんかよくわかんないけど泣きそうになっちゃった。
「なぜ」とか「どの部分が」とかは、あえて考えないようにする。
とりあえず、立派だなぁと思ったし、それに感動したということで充分。
それと、なんかまるで小田ちゃんが何かやらかしたみたいだな、という不思議な気持ちにもなりましたw
なぜオレは小田ちゃんブログにこんなにも揺さぶられているのだろう、当事者はさゆきなのに……っていう。
まぁそれはいいとして。
案外さ、恋愛も(OKと明言はしないまでも)なんとなく容認、見て見ぬふりをするみたいな感じにしても、変わらずやっていけちゃったりしないかなハロプロ。
実際やってみたら意外といけちゃう……?とか。
どうだろうね。こればっかりはなんとも言い難いか。
ハロプロって女性アイドル界では歴史が長いほうだから、ある種のブランド性とかを帯びてるところがあって、軽く神格化じゃないけど、ファンもメンバーも「ハロプロたるもの高潔であれ」みたいなプライドが少なからずある気がして。
これがまだスタートして間もないグループだとか、最初から恋愛等への制約がないコンセプトで売ってるグループとかだったら話が変わってきたんでしょうきっと。
ハロプロももう少し歴史が浅い時期であれば、その辺をうやむやにする方向へ舵を切れたかもしれない。
でもここまで長く続いて、アイドル界のエリート的なブランド性を帯びてしまうと、そこから急に制約を緩めるというのは難しいんだろうなって思うのよ。
人気があればあるほど、有名になればなるほど、自由は減っていくから。
有名になるというのはそういうことでしょう。
無名ならば問題にならないことも、有名であるが故に問題になってしまうこともある。
(ハロプロの場合、世間的な“有名”というより、やはりそのブランド性なんだと思う。ハロプロの歴史とファンの意識によって創られてきた、独自のブランド性)
そういった諸々が根付いてしまっているハロプロが、いまさらそのブランド性を脱ぎ捨てることになるかもしれない方向に舵を切れるかどうか……うーんわからんな~という感じです。
ある程度のファンを失う覚悟があるのなら、試してみるのもいいかもしれません。でも一度試して、上手くいかないからやっぱ元に戻そうってのはたぶん無理な気がする。
難しく考えすぎでしょうかね。
もうよくわかんなくなってきた。
ヲタクがこんなこと考えてもしょうがないのに!(これが一番の真理かもしれない)
こんなこと書いてる暇があったら本でも読もうぜ。
最近読書のペースがみるみる落ちてきて、積読ばかりが増えていくのよ。
なにもかも忘れて本を読もう。それがいい。
ちぃちゃんのおたおめブログはまたあとで書きます。