今日はモーニング娘。久しぶりの盛りだくさん会が行われてるんですねー。
今日と明日、土曜日抜いて、日曜日にも。
それはいいんだけど、本当にいいのか?今日も東京の感染確認者数が360人を超えたらしいけど?という心配も、ないと言ったら嘘になります。
いまやってるバラードハロコンと違って、不特定多数のお客さんがメンバーとかなり近い距離で(握手など直接触れ合うことこそないものの)コミュニケーションをとるわけで、リスクとしては決して低くはない。
メンバーはもちろん、参加するお客さんもそれなりのリスクを負うことになります。まぁそれくらいじゃないともう何もできない状況だというのもわかりますがね。
ふと思ったんですが、こうした情勢でイベントが行われるなかで、それに参加する人としない人の境界ってなんなのでしょう。
リスクを負ってでも楽しみを得るのか、リスクを回避するために楽しみを我慢するのか。
その判断とは。
誰がどういう基準で決める?そしてそれは本当に正しい判断なのか。だとすればどういう基準で「正しい」と言えるのか、その判断とは――という明確な正解のない問答。
自分自身に関して言えば、個々の判断が自分への責任なわけなので、まぁ自由にどうぞと思います。
では「万が一にもメンバーに感染させたくない」という名目ではどうでしょう。
この場合、参加することで自分自身のみならずメンバーをもある程度の危険にさらすことになり得ます。
それを良しとする/しないの判断とは――。
Twitterを見てると、「やっとメンバーに会える」と歓喜している人もいれば、「行きたいけどリスクを鑑みて泣く泣く諦めた」と参加を我慢してる人もいて、その違いってなんなんだろうなぁと思ったんですよ。
場所もあるでしょう。
いま自分がどんなところに住んでいるのか。
感染確認者が多い地域ならば、余所への移動はリスクが高い。だから諦める。
でも東京は。
東京も感染者が多いです。っていうか(人口密度の問題もあるけど)人数としては一番多い。
でも、東京に住んでる人でこの盛りだくさん会に参加する人も多いはず。会場には近いですからね。
であるならば、東京以外に住んでいるファンが参加を自重することに意味はあるんだろうか……という疑問が生じます。
「メンバーを感染させたくない」という動機に絞って言えば、そうやって自分が参加を自重したところで、他の誰かが参加すればその我慢はあまり意味がない。自分という一人の媒体からの感染リスクをなくしただけであり、他のたくさんの参加者の誰かがそのリスク足りえるかもしれないわけで、果たして自分の我慢とはなんなのか……と思っても不思議ではないでしょう。
だったら自分が我慢したって意味ないじゃん。
という意見に対して、それは違うと言えるでしょうか。
(自分自身とその周囲(家族とか)への感染リスクを防ぐため、という理由にはなるし、効果もある)
もちろん言うまでもなく、事務所がイベントを行うと言った以上、それに参加することに罪はありません。しっかり感染対策してるなら、ですけど。
参加するなと言ってるわけではまったくない。
参加するのが悪いわけでも、全然ない。
誤解なきよう。
結局のところ、個々の裁量次第ということなんでしょうか。
どう思うか。どう判断するか次第。
参加して楽しそうな人と、泣く泣く参加を諦めた人。
どちらが正しいのでしょう。
「こちらが正しい」というよりも、「どちらも間違ってはいない」と言うべきなんでしょうねきっと。
正しいかどうかはさておき、間違ってはいない。
それなのに、場合によっては天と地ほどの差が生まれてしまうのが切ないなと思ったのでした。
参加する人と、したいけどしない人。
どちらも(いま現在コロナに感染してない限り)条件的にはそう変わらないのに、片方は笑顔になり、片方は涙を流す。
何がこの違いを生んだんだろう、と思いませんか。
個々の裁量次第だというのなら、心配性な人、慎重な人ほど損をする、とも言えます。
あるいは「真面目な人ほど」とも。
なんて言ったら、参加した人は不真面目だってのか!とお叱りを受けてしまいそうです。
もちろんそんなことはない。だけど、ある一定の線で「大丈夫だろう」と判断した人ではありますよね。
その「大丈夫だろう」と判断できるかどうか次第で、泣くか笑うかが決まるわけです。
なんともやるせない話ではありますが、そもそもコロナがなくともそういったイベントなどに参加するしないは個々人の判断力や行動力によって違いが出るものなので、その延長線上だと思えばまぁ普通のことではあるのかもしれません。
なんにせよ、参加する方はくれぐれもお気をつけて。
自分自身とその周囲の人への配慮。
相対するメンバーとその周囲の人への配慮。
それらをお忘れなく。
ちなみに自分は盛りだくさん会には興味がないので参加しませんが、各バースデーイベントへの参加(応募)は自重しました。
これも同じで、「参加したい」と思う人々のなかから、「大丈夫だろう」と「危険だろう」のふたつの判断に分かれることになりますね。
その“判断”というのは、国が明確に定めた基準とかではなく、結局は各々の素人判断でしかないというのが、若干モヤモヤさせられるところではあります。
「自分で判断できる」という意味ではいいのかもしれませんけどね。
その代わり、責任もすべて自分にあるわけなので、判断は慎重にしなくてはいけません。
めんどくさい世の中になったものです。
早くコロナ消えてくれ。(結局これが言いたい)