先日りほりほがインスタのストーリーに英文を載せていたので、足りない頭を絞り、なんとなくこういう意味かな~くらいのところを読み取りました。

 

 

 

その内容にちょい近い話を、わたくし1ヶ月くらい前にこのブログで書いて公開せずお蔵入りにしていたのを思い出しまして。

 

 

せっかくなんでそれについてちょっと書こうと思います。

ちなみにその頃はまだりほりほはインスタ始めていませんでした。

 

 

 

 

でもその前に、なんとなくで理解して誤解していたらマズいので、翻訳サイトに英文打ち込んでそれなりの訳を出してもらいました。

 

 

DeepL翻訳というサイト。

あくまでこのDeepL翻訳が出してきた文面です。それをお忘れなく。

 

 

 

 

 

“コメントやメッセージにいちいち反応したり、返信したりするのはかなり大変だということを知っておいてほしい。避けているわけではないことを知っておいてほしい。 頑張って全てのメッセージをキャッチアップしようとしています。あなたの言葉は良い意味でも悪い意味でも私に影響を与えてくれます。

 

応援してくださった方、本当にありがとうございましたニコニコ

 

 

 

 

 

「いちいち」という表現が若干やさぐれている訳文ですが、りほりほ的にはもっとソフトなニュアンスで書いたのだと思われます。

全体の意味合いとしてはまぁ大体こんなようなことでしょう。

要するに、たくさんコメントやメッセージくれるけど当然すべてに反応はできないし別に避けてるわけでもないよ。っていう。

 

 

そりゃそうでしょうね、と普通の人なら思うでしょうが、世の中には「なんで俺の(私の)コメントに反応してくれないの!?ひどい!」とご立腹なされる人々もいるらしいのです。やれやれ。

 

 

おそらく、インスタライブ中のコメントか、あるいはその後にそんな感じのメッセージを受け取ったのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、ここからはその1ヶ月前に自分が書いた内容を引用しながらそういう話をしていきます。

 

 

 

お蔵入り記事では、まず冒頭で「最近いろんな人がインスタライブやってくれてますね」みたいなことを書いてるんですが、その辺のダラダラ長い前置きはカットして、以降の文面を自己引用。

 

 

 

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(前略)

 

 

そんな生配信には、どの媒体であってもコメントというものがありますよね。ものによってはチャットとも言うのかな。

 

 

わたくしはこういうとき他人のコメントをあまり見たくない派なんですが、配信してる側がコメントを拾ってそれに応えたりすることが多いし、どうしても目に入るところに表示されるのでまぁちょいちょい見てしまいます。

 

 

あれってもう、そういうのが前提での配信ツールなんでしょうか。

配信する側とコメントする側。「見る側」じゃなくて「コメントする側」っていう前提で作られてるコミュニケーションツールなのかなって。

 

 

自分としては、ただ見ていたい。

好きな芸能人が配信してお喋りしたりなんやかんやしてるのを、テレビの視聴者みたいにただ見てればそれで満足なんですが、そう思って見てると、配信する側はいろんな人のコメントを拾って反応してしまうので、なかなか「自由にお喋りする」という感じにはならない。それが不満といえば不満かも。

 

 

だから、コメント機能とかなくてもいいのにな~と思うんですが、そう考えるのは少数派なんでしょうかね。

まぁ配信する側としても、一人でただ喋り続けるよりは、コメントとやりとりしたほうがやりやすいだろうなとは思いますが。(なので誰かと二人でやってる場合はオフにしてほしい)

 

 

 

 

そこである意味すごいなと思うのが、コメントを読まれる(反応してもらえる)のが当然、みたいに思ってる人がたまにいること。

 

 

「コメント拾ってよ!」とか「コメント見て!」と訴えたり、反応してもらえるまで一生同じコメントを連投し続けたり、「コメント読んでもらえない悲しい……」と嘆いたり、しまいにはスネて「今日は全然コメント拾ってくれないから見るのやめるわ」と“さよならアピール”をする人もいました。

 

 

 

それを批判するわけじゃないですけど、自分のコメントに反応してほしい、反応してくれるのが普通、みたいな感覚なのがすごいなぁと驚いたりはします。

 

 

自分はそういうとき滅多にコメントをしないし、万が一しても「拾われなくて当然」と思っているので、反応なんてされてしまったら逆にあたふたしてしまうことでしょう。

 

 

反応してもらえて嬉しいという気持ちはわかるし、向こうも「コメントください」みたいなことを言う場合が多いから、それ自体はたぶん悪いことではない。

ただ、「もっとコメント見て」とか「コメント拾って」と催促するようなコメントをしてしまうくらい、「配信する側は(たとえ誰であれ)コメントは拾うものである」という前提な視聴者が一定数いるということにカルチャーショックをおぼえたのでした。

 

 

 

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といったことを書いてました。

 

 

これはインスタライブに限らず、ストーリーでよく見る質問返しや、その他SNSで頻繁に観察できる現象です。

質問返しなんてやると、必ずといっていいほど「読んでもらえないよ~泣」というコメントがあって、それに対して「はいはい読みましたよ」と渋々(?)答えてもらってるのをよく見かけます。

 

 

 

「私の言葉を聞いて!それに反応して!」という欲求、あるいは要求。

 

 

わかるよ。わかるけどさ、こっちからすれば“自分対相手”かもしれないけど、相手からすれば“自分対何千何万の人々”なのを忘れちゃいけないよね。

 

 

りほりほのインスタライブなんて1万人以上見てたわけで、仮にその半分がコメントしたとしても5000。

そんな数のコメントを一人で全部見て拾ってそれに応えるなんて、人間には不可能でしょう。聖徳太子だって無理だ。

 

 

なかには答えにくいコメントだってあるでしょうし、しかもそういうこと書く奴に限って「拾ってくんない!ふざけんな!」とか文句言うんだからもう……バカ。

 

 

 

 

 

 

烏合の衆であるところの我々一般人は、何万人とファンのいる有名人の配信やSNSにコメントできる(させていただける)ことに感謝すべきだし、もしも反応してもらえたらそれは人生に一度きりかもしれない奇跡なんですよ。

 

 

だから、「俺様のコメントは拾ってもらって当然」というバカな王様みたいな思い込みはいますぐ捨て去ってしまいなさい。

 

 

反応してもらえたら奇跡。それを肝に銘じておきましょう。

宝くじがそういつもいつも当たるわけないだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにお蔵入りした記事では、その続きとして「これは握手会のような接触イベントにおける認知厨とも似てる感情なのかもしれない」みたいな話も書いてました。

 

 

接触イベで「俺の顔覚えてる?」とか「私の名前もう覚えてくれたよね?」とか要求する人が本当にいるのか、非接触派の自分にはよくわかりませんが、そういった好きな相手からの承認欲求(認知欲求?)というのも、コメント拾われたい勢の欲求とかなり近いものがあるんじゃないかと思います。

 

 

 

握手会なんかはまだお金を払ってるだけマシですけど、無料でSNS見てそんなこと言ってる人というのはさすがに図々しい。

 

 

 

だからどのSNSでも動画でも、あんまりコメントとかメッセージとか書き込んだり送ったりできる仕様なのは好きじゃないのです。

りほりほ、基本的にストーリーのメッセージ機能はオフにしてますよね。賢明だと思います。

 

 

 

 

 

 

自分のコメントを拾ってほしいとか、送ったメッセージに反応してほしいと思う気持ちそのものはファンとして自然なことだけど、そうしてもらえなかったからといって相手を罵ったり叩いたりするのは良くないよね、あんまり催促するのもどうなんだろうねという話でした。

駄々っ子が許されるのは小学校入学までよ。