久しぶりに舞台のDVDを見返しました。
というのも、去年モーニング娘。の舞台がないと(3月に)知ったときから憤怒と絶望に心を蝕まれ、いろんな意味で“舞台”というものを避けていたのです。
まぁ10月にどぅーの舞台は観に行ったんですが、2019年に見た演劇作品は(観劇・DVD含め)そのひとつだけ。
これは極めて珍しいことです。
別に演劇ファンでもないし、いろんな舞台を観に行ってるわけでは全然ないけども、いつもならもう1~2作品くらいは観に行ってるし、DVDでも定期的に見返してるのに、去年はとにかく見なかった。
見たら心がザワつくから。
そもそも見たい気分にならなかったというのもあります。
あの腐れ事務所が娘。の舞台をやらなかったせいで。
ところが先日あゆみんのバースデーイベントで一人芝居を観たことで、その蝕まれた心の一部が溶かされ、癒され、救われました。
純粋な「舞台が観たい!」という気持ちも蘇り、久しぶりにDVDでも見返そうかな~という気持ちになれたのです。
すべてあゆみんのおかげ。
いつもいつも、事務所にズタボロにされた心をメンバーが救ってくれる。
そんなわけで『ファラオの墓 ~蛇王スネフェル~』を見たわけですが、悲しい結末になるとわかってると見るのも(メンタルが)ちょっとツラい。
いや、結末自体はむしろスネフェルにとっては救いだったのかもしれないけど、そこに至るまでがツラい。
知ってても……というか知ってるからこそ。
2人には黄泉の国で仲睦まじく暮らしててほしいな。
古代エジプトの死生観ではむしろ死んでからが本番みたいなところあるから、あっちで今度こそ結ばれて幸せに暮らしてほしい。母上とも一緒にね。
しかしファラオの墓のナイルというか小田ちゃんがまぁ可愛いこと。
もちろんいつもいつでも可愛いんだけど、ナイルでは思いっきり“愛らしい美少女”になってるから可憐さが増し増しで超可愛い。そりゃあスネフェル様もメロメロになるさ。
そんなスネフェル様はとにかくカッコよくて、でも不憫で、とはいえ結構悪いこともやってるから一概に同情することはできないんだけどそれでもカリスマ的な魅力があって惹かれずにはいられない。
バーイベでの一人芝居でやった女の子と死神も良かったけど、スネフェルも本当に素晴らしかったなぁ。
あゆみんの芝居ホント好き。
これまで芝居やる機会なんて数えるくらいしかなかっただろうに、なんであんなに魅力的なんだろう。上手いのはもちろんだけど、それだけじゃない才能みたいなのがやっぱりあるんだろうか。
惜しむらくはこの作品、もう少し時間があったらもっと良くできたと思うんですよね。
なにしろハローの舞台は(大体どのグループにも18歳未満がいるので)21時前に絶対終わらせなければいけないという縛りがあり、結果として最大でも2時間弱しか時間を取れないのがつらいところ。
あと30分あれば、スネフェルとナイルの親密さとか、ナイルや母上を失ったあとのスネフェルの心情とかをもっと丹念に描けたんじゃないかと思ってしまいます。
メインではないとはいえサリオキスパートも結構あるので、駆け足になっちゃってるのが惜しい。
かといってサリオキスパートをカットするわけにもいかないし、作品の内容に対して使える時間が短すぎた気がしますあの作品は。
そこだけがちょっともったいない。
あぁそれにしても、やっぱり舞台はいい。
物語があって、そこにモーニング娘。のメンバーがそれぞれの登場人物となって生きている。
わかりますかねこのワクワク感。
大げさに言えば、彼女たちがもうひとつの世界を生きているようなものです。違う人間として(時には人間じゃないものとして)、違う世界を生きている。
その世界はなにかしらドラマチックな物語が展開され、現実ではまずありえない(あっちゃまずい)状況になって、生きたり死んだりしているわけです。
その物語を見ているときの、他では味わえない感情。
見終わったあとも、頭のなかで思い返せばそこに物語が生きている。各キャラクターたちも生きている。
それが好きなんですわたくしは。
パンフレットを見返したり、サントラを聴いたりしたときに脳内で蘇るもうひとつの“あの世界”を感じるのが。
観ている最中、大好きなモーニング娘。のメンバーが違う誰かになって波乱万丈の物語を生きているのを感じるのが。
あの感覚を言葉にするのは難しいですが、あえてするならそんな感じです。
全然そんなの感じないという人も世の中にはいるんだと思いますが、わたくしは感じます。だからこんなにも舞台舞台言ってるのよ。あれは(自分が娘。ヲタなので)モーニング娘。の舞台でしか感じられないものだから。
何度でも言いますが、今年こそモーニング娘。の舞台をやってください。
去年、貴重な1作品を無しにした罪は重いぞ。