こちらは1週間くらい前に、2週間くらいかけて書きあげたブログです。
かなり長いし、内容も独りよがりな部分が多いのでお蔵入りにするつもりでしたが、他に書くことが全然思いつかないのでアップしてしまいましょう。
暇すぎるときにでもお読みください。
まーちゃんこと佐藤優樹という人間についてあれこれ考えるのはなかなかに楽しい。
いま一番の楽しみと言っても過言ではないかもしれません。
こちらの立場からできうる限りでの観察。からの想像。
普段はそれにセーブをかけて、過剰に評価しすぎないように注意しています。
でもそのセーブを取っ払って、ほとんど妄想といえるくらいまで想像の羽根を伸ばすのも、たまにはおもしろいものですよ。
なんでしょう……やはりあの子は天才的ですね。
天才かどうかはともかく、天才的ではある。
「天才」とハッキリ言えないのは、彼女自身がなにかを生み出した経験が(そしてそれを我々が見聞きする機会が)まだあまりないからです。
今年のバースデーイベントで披露してくれたオリジナル曲、ああいったものをもっともっと制作し、公開してくれれば、具体的な確証を得ることができるでしょう。
でもそんな確証が必要かというと、そういうわけでもない。少なくとも本人にとってはどうでもいいことでしょうね。そこにこだわるのは、評価をする(したがる)こちら側だけです。
すでに彼女が体現している諸々(ライブパフォーマンスだったり普段の言動だったり)だけで、天才と称するに充分だとも言えます。
そのオリジナル曲にしても、聞くところによるとデータも消して楽譜も捨てて、もう忘れちゃった、と言っていたとか。(握手会のレポで見ました)
素晴らしい。最高です。痺れるぅ。
周囲がどれだけ絶賛しようとも、それは本人にとってはすでに“昔のもの”なのでしょう。
凡人ほど、自分が過去に成し遂げた功績に執着します。
いや、自分の功績に限らず、例えばかつてのヒット曲、その分野の代表作としていつまでも語り継がれる名作。それらに拘泥し続け、新しいものを受け入れにくくなるのが平凡な思考です。悪いわけではなく、一般的という意味。
天才的な人ほど、それに執着しません。
自らつくり上げたものが人々の目や耳に届くころには、もう次の地点を目指している。もっとおもしろいものを探している。決して同じ場所に戻ってきたりはしないのです。
そういえばつんく♂さんなんかもそうですね。
ラブマや恋レボなどの大ヒット曲をたくさん生み出しましたが、その音楽性は常に新しいものを取り入れ、進化し続けてきました。
世間は「またラブマみたいな曲を」と求めますが、本人からすればそれは退行に他ならないわけです。「それはもうやったから」という感じなんだろうなと想像します。
まーちゃんの話に戻しますが、彼女がなにかを求める(生み出す)場合、他人に評価してもらうためではなく、自分のために追求する傾向にあるのではないかという気がします。
過去の成果に執着しないのは、そのためでしょう。
自分が満足すればそれでいいのです。ハイ次、という感じで。
そう思うと、バースデーイベントで『輪「rin」』というオリジナル曲を聴かせてもらえたのはとても幸運なことでした。
おそらく、まーちゃんなりのファンサービスというか、感謝の気持ちだったのでしょうね。
こちらとしては本当に良い曲だと思ったし、どうにかして形に残してほしい(売ってほしい)と願っていましたが、本人としてはあの場でファンに披露しただけで充分だったのかもしれません。
「自分のオリジナル作品として世に出したい。たくさんの人に評価してほしい」という欲求を、微塵も持ってない(ように見える)のが実にまーちゃんらしい。なかなかそう思えるものではありませんよ。そこが天才的だ、と思います。
みんなを楽しませるエンターテイナーというよりは、どちらかというと自らの深奥を追求する芸術家肌な部分が多いのかもしれません。
職人肌というよりは、芸術家肌。
とはいえステージでの彼女を見ると、エンターテイナーとしても特異な才能を持っていることは誰の目にも明らかでしょう。
そこがまた凄い。あれだけ内省的な資質を持っていながら、それを外部に向けてとても魅力的なかたちで発信できるのが驚異的です。
自分の内から生み出されるもの。その追求。
いまのまーちゃんにとって、その対象は音楽なのかな、と思います。
確信があるわけではないですが、たぶんそうでしょう。そうであったらいいな、というこちらの願望込みで。
よく、モーニング娘。の活動のなかで何が一番楽しいですか?的な質問に、「コンサート」や「レコーディング」と答えていますよね。
どちらも“自分で生み出す”ものではないかもしれませんが、自分自身の追求という意味では、まーちゃんにとって関心が強いものなのではないでしょうか。
それがあるからこそ、何年もモーニング娘。を続けてくれてるんじゃないかという気もしますね。
苦手な握手会を頑張るのも、そのため。
「仕事だから」というより、モーニング娘。として音楽に携わるためにはそういう(音楽以外の)こともしなければならないという認識。我々が、お金をもらうために嫌な仕事を頑張るのと同じように。
まーちゃんが「お金のために握手会も頑張る」と思ってるとは考えにくいですが、「モーニング娘。として音楽をやっていくために握手会も頑張る」ならしっくりきます。まぁこれはまーちゃんに限ったことではないかもしれませんけど。
まーちゃんは他のメンバーに比べて、自分自身のパーソナルな部分をあまり発信しない傾向にありますよね。
「わたしを見て」「わたしを聞いて」「わたしを知って」という欲求が極端に少ない。
これらの欲求は“自らの内奥の追求”とは正反対に近いものです。(そしてアイドルや芸能人にとっては不可欠であろうものでもあります)
ブログや握手会など、自分を発信することが苦手なのは、そういう性格/資質のためなのかなぁと思ったりもしました。
ところで、佐藤優樹という人間において、特筆すべきはその精神の自由さにある、というのが今回一番書きたいことです。
一般的に「自由人」と言われて思い浮かべる奔放なイメージ。
それもあるといえばありますが、それだけではなくて、思考が自由なのです。
世間の人々の大半がほとんど無意識に囚われていることに、あの子は囚われない。
まだ幼かったデビュー当時ならともかく、成人した現在もそうでいられるのは驚異的です。そこが天才的だし、多くの一般的な人々との違いだと思います。
思考、発想、行動、そのすべてが天才的に自由。
失礼ながら、語彙力がそれほどあるとは思えないのに「そこでそのワードが出てくるか」と驚かされたことがファンなら何度もあるでしょう。これは思考の自由さによるものだと思います。
特に発想が天才的で、予測ができません。
デビューから8年間ずっと応援してきて、佐藤優樹という人間の思考パターンをそれなりに(データとして)知っているにも関わらず、いまだにまったく予想もしなかった角度から鮮やかな一閃を喰らうことが多々あります。この才能は貴重ですよ。芸能界を見渡してもそうそういないでしょう。
思考というものが、例えば普通の人がみな地面に足をつけて歩いているとすれば、まーちゃんは常に大空を羽ばたいているようなイメージ。
そして地に足をつけて歩いている人々は、無意識に大空への憧れと畏怖の感情を持っています。
誰もがその翼を欲し、だけどほとんどの人が持ち得ずに大地で生きている。
だから人は彼女の持つ自由に憧れ、時に嫉妬するのでしょう。
アンチの大半は、彼女のそんな自由さを批判します。
「みんなそれを我慢して生きてるのにアンタは……!」と言います。
ハロヲタの場合は、「みんな」が「私の推しは」に変わる場合もあるのでしょうね。
「私の推しは我慢して頑張ってるのに佐藤は……!」と。
「だったらあなたも(あなたの推しも)もっと自由になればいいのでは?」と反論されたら、アンチはどうするでしょう。
「そうしたくてもできない」「それは健全ではない」と思い込んでるのはなぜかのか、気付くことができるでしょうか。
(ついでに言うと、推しメンに変わってまーちゃんに義憤を燃やすのは完全に余計なお世話だし、筋違いです。それは推しメンの怒りや悲しみではなく、100%あなたの個人的な嫉妬です)
でもこの自由さというのは、もちろん現代社会の一般常識的に見れば特殊なものではあるでしょう。
だからこそそれが「個性的」として目立つのだし、好かれもすれば嫌われもするわけです。芸能人としてはこれ以上ないほどの資質ですが、それを受け取る一般人のほとんどは“常識的なるもの”にがんじがらめにされているので、異質に感じるのです。
だから人々は、自由な大空へ憧れを抱きつつも、心のどこかではそれを恐れてもいる。
もっと自由に生きたいと思いながら、いまの不自由さに安心してもいるのです。
まーちゃんのような人間は、その恐れを知らない(あるいは関心がない)から特異なわけです。良くも悪くも異質なのでしょう。
前々から、まーちゃんは(本人の意思とは無関係に)他者の人心をかき乱すおそろしい子だな……と感じていました。
常識的に見ればかなり特異なため、その言動や振る舞いに、ファンとして大きな悦びと、形容しがたい不安を同時におぼえることになるのです。
ある者はそれにどうしようもなく、もはやそれなしでは生きられないほど魅了され、またある者はその不安と戸惑いに恐れをなし、忌み嫌うようになるのでしょう。
わたくし自身、佐藤優樹という人間を心から楽しみつつ、時にどう受け止めればいいのかわからずに困惑することがあります。
どうにか理解しようと努めるも、それは理屈ではなかったり、また我々の盲点を突く立派な理屈であったりもして、最終的には「これはそういうものなのだ」とほとんど諦めに近い納得で妥協するしかないのです。
ファンはもちろん、アンチにしたところで、佐藤優樹という才能にどうしようもなく惹かれてしまった人々であり、そのなかでアンチはなんらかの歪んだ(多くの場合身勝手な)理由で、その魅力を好意的に受け取れないだけの連中に過ぎません。
恐いもの見たさのような感覚で近寄り、嫌ってるわけですね。
魅力を感じないのなら、最初から興味すら持ちませんから。
さて、まだこの記事をお読みいただけているでしょうか。
何を言ってるのかよくわからない部分もあったと思いますが、わかるところだけ拾っていただければ結構でございます。
そしてまだ話は続きます。
ここで考えたいのが、彼女のこれからについてです。
ちょっと前にまーちゃんが大学に行っていたことが判明して、その件でわたくしもブログを書いたんですが、そこで「また佐藤だけ特別扱いかよ」といったコメントをいただきました。(それをわたくしに言われても困るんですけどね)
それに対する反論はすでに(当該記事のコメ欄で)したのでここには書きませんが、まぁ雑音以下の戯言なので気にすることではないでしょう。
しかしふと思いました。
むしろ本当に特別扱いするべきなんじゃないか?と。
アップフロントという、お世辞にも有能とは言いがたい事務所は、佐藤優樹の才能をどれだけ理解しているでしょう。
彼女の才能の大きさ、将来性の高さをを正確に把握し、具体的にはソロになった鈴木愛理ちゃんと同等かそれ以上のリソースを割いてサポートしていくべきだろう、と思います。
「プロデュース」ではなく「サポート」と言ったのは、あまりその辺をアップフロントに期待していないからです。
むしろプロデュースに関してはまーちゃんが自分でやっていったほうがいい気がします。あるいは有能なプロデューサーを見つけてやってもらうか。
まーちゃんの大学進学を許可したのはグッジョブだったと思います。
だからサポートとしてはまぁ見込みがないわけではない。もちろん「できうる範囲内で」ではありますが、あの子のやりたいようにやらせてあげる環境を整えるのがまず大事なので。
まーちゃん自身にも、どうかその才能にブレーキをかけないでほしい、と願います。
元々、かなり自己評価の低い性格をしていることはファンなら周知でしょう。人間は、賢い人ほど自分を愚かだと思う傾向があるらしいですよ。
慎重さや冷静さ、客観的な視点は必要だと思いますが、慎重(あるいは臆病)になりすぎるあまり自分自身にブレーキをかけてしまわないかと少し心配です。
どうかその才能を、十全に解放してほしい。
そのことで何か軋轢が生じるならば、それをサポートしてくれる人や環境を見つけるのがいいでしょう。(簡単ではないでしょうけど)
大人になれば、自己責任になる分、自由にもなれます。ある程度は。
いまはまだモーニング娘。なので制約は多いでしょうが、いずれ一人立ちしたとき、もっといろいろなことができるようになるはず。
それがなんなのかは我々にはわかりませんが、望みとしては、やはり音楽を続けてほしい。どういう形でもいいです。シンガーソングライターなのか、作曲専門なのか、あるいはつんく♂さんに近いプロデューサー的な立ち位置なのか、なんでもいいけど音楽に携わっていてほしいなというのが個人的な願望です。
そのための環境としてアップフロントが役不足なら、そこから離れるのも手です。
勝手知ったるところのほうがやりやすさはあるかもしれませんが、逆にやりたいようにやれないこともあるでしょう。
そこを離れて、もっと良い環境を探し、身を置くのもアリなんじゃないかと思います。(なんて、思うのは簡単ですね。実際やるのは大変なんですけどね)
できることなら今後も歌い続けてほしいものです。
こないだのバースデーイベントでしみじみ感じましたが、歌もどんどん上手くなっている。安定感もだいぶ出てきました。
作詞作曲を自分でやって、最近で言うと米津玄師さんやあいみょんさんみたいなソロ歌手として活動してくれたら言うことなしです。(どちらもほとんど聴いたことなくてすみません)
「そんな上手くいくわけないでしょ」と思われそうだし、自分でもそう思いますけど、夢は見なけりゃ始まらないのです。(懐かしのセンチュリーランド)
完全なる理想に過ぎませんが、理想は高くいきましょう。
でもわたくしが理想を掲げたところで意味はありません。
すべては本人次第ですからね。もちろん。
佐藤優樹さんならば、(言いかた古いけど)ビッグになれると思ってます。その素養は充分にあります。
あとは本人がどうなりたいと思うか、それだけです。
いや、それだけではないけど、そこが出発点です。
そのままスッといなくなってしまうという不安もなくはないから、まーちゃんの今後を考えると落ち着かない気分にもなるんですよね。
あれだけの才能が、モーニング娘。として以上の活躍を見せずに消えていくのはあまりにももったいない。大きすぎる損失です。
期待と不安が半々。
これもあの子の思考と同じで、予測できないから困る。
とまぁ、長々とまーちゃんについて語ってきました。
「褒めすぎだろ」とか「飛躍しすぎだろ」とか思われたかもしれませんが、それはその通りです。最初に書いたように、普段はある程度セーブしている部分を外して、ほとんど妄想の粋まで広げた個人的な意見です。
なのでどうかそのつもりでお読みください。フィクションだと思ってもらっても構いません。佐藤優樹ちゃんを題材にしたフィクション。
こういうのを考えるのが存外楽しかったので、ブログにも書いてみました。
でも実際に文字にすると、考えたことの10分の1くらいしか書けてないような気がします。書いたことだって、おそらく半分も伝わっていないんじゃないでしょうか。(読み手のせいではなく、文字伝達の限界と、わたくしの文章力の低さのせいです)
なので最初はお蔵入りになる予定だったんですが、他にネタもないし、まぁいいかと思ってアップしてみましたよ。
内容はともかく、時間だけは潰せたのではないでしょうか。(無駄になったとも言えます)
最後までお読みくださった人はどれだけいるかわかりませんが、わたくしの妄想にお付き合いいただきありがとうございました。