最近、深夜更新が多くてすみません。

 

 

 

それはそうと、モーニング娘。'16はただいま韓国に滞在中とのこと。

 

 

そうか、もう韓国行く日だったのか。

 

 

 

空港に着いたときの様子を現地の(と日本からの)ファンが撮影してくれてたので、拾わせて頂きました。

 

 

 

 

 

おお。私服ですね。

 

 

ファッションセンスに自信がないわたくしは、誰がオシャレであるとかそういうのは恐ろしくて言えませんが、好みで言えばまーちゃんのが好き。

 

 

白と黒のシンプルな色合い。

珍しいパンツスタイル。

首元のヒモ?リボン?が良い。

 

 

しかもこれ、網目模様の透け素材ではありませんか。

 

 

 

 

ほら、腕の部分とか透けてる。

 

 

大人っぽくて、カッコかわいい。

主張は控えめだけど、さりげなくオシャレな感じ。

 

 

まーちゃんってそうよね。

「オシャレ!」という感じでもないんだけど、部分部分のセンスが良い。

こんなファッション無知なヲタクでさえわかるくらいに。

 

 

前に、まーちゃんは「好きなファッションがない」だったか、「自分に似合う服はない」だったか、とにかくなにかファッションについて哲学的なことを言ってた記憶があります。

オシャレに敏感というよりは、直感や嗅覚で自分が着るべき服を見定めているようなイメージですね。

 

 

いや可愛い。

シンプルなのが良いよね。白と黒なのも好きですわ。

 

 

 

 

でもファッションってさ、オシャレだとかオシャレじゃないとか、ぶっちゃけ境界なんてないも同然じゃないですか?

 

 

最低限のラインはあるにしても、「これはオシャレ」と言ったもん勝ちみたいなところがある気がする。

 

 

例えば最近の愛ちゃんとか、世間ではすごいオシャレな存在として人気らしいけど、たまーに「これはオシャレ……なのか?ダサくないのか?一周回ってオシャレということになったのか?」とか思うことがあったりしちゃってごめん。

 

 

雅ちゃんとかもそうよ。

「わざとダサくしたり、ダサい物を身につけるのがオシャレ」みたいな価値観が出てくると、素人にはお手上げです。

「ダサいものはダサいんじゃないのか?なぜダサいものがオシャレになるんだ?」という根源的な問いが頭に去来して、ダサいのがダサくないんだったらこの世にダサさなんて存在しないのではないか……とか考えてしまう。

 

 

ダサいはオシャレ。

オシャレはダサい。

 

 

まるでシェイクスピアのマクベスだ。

 

 

「きたない」と「きれい」が互いに同一たり得るもののように、「ダサい」と「オシャレ」も境界などはなく、互いが互いであるという倒錯性から逃れることはできない。

 

 

誰かのファッションを見て「ダサい」と思っても、それはオシャレなのかもしれない。

また、「オシャレ」と思っても、それはダサいのかもしれない。

 

 

それを決めるのは誰だろう。

 

 

自分――。

 

 

それは正しいが、同時に間違ってもいる。

 

 

そもそも、決められるものではない。

いや、決めるべきものではないのだ。

 

 

この世には、「オシャレ」もなければ「ダサい」もない。

「オシャレ」と思った瞬間、それはダサくなり、「ダサい」と思った瞬間、それはオシャレになるのだから。

 

 

昇ると同時に下っている、エッシャーの騙し絵のような概念。

 

 

オシャレとは……ダサさとはなんなのか……。

 

 

 

 

ファッションって深いですね。

 

 

 

 

 

 

 

なーんて話をするつもりじゃなかったのに、なぜかこうなりました。