すごーくいまさらなんですが、研修生の『テーブル席空いててもカウンター席』がめっちゃ良い。








こういうの聴くたびに、「やっぱつんくだわ~」って思っちゃうのも無理ないでしょうって。



先輩も「ひま子」とそう呼んでる



とか、



子犬(ワンちゃん)ならおしっぽグルグルだよ



とか、常人には思いつかないこの発想。


思いついたとしても使わないよね、普通。


ひま子て。
おしっぽグルグルて。


ハンパじゃねぇよ。天才とかそういう次元ですらねぇッスよ。


そんな歌詞に負けない完璧なメロディー。


いや参った。




つんくさんの作った楽曲すべてが傑作だとは言わんけど、良し悪しに関係なく、他の誰も作れない代物であることだけは間違いない。






なんだかんだ言っても、やっぱりこういうつんく♂成分こそがハロプロなんだよな~と思い知らされてしまうわ。


つんく♂成分がない、いまのハロプロ楽曲も悪いわけじゃないよ。


どっかのお店とかでふいに流れてきたりすると、ああ良い曲だわーカッコいいわー可愛いわーなんて感心しちゃうし。
もちろん歌ってるのはハロメンなわけだし、これはこれで悪くない。本当に。



でもそれはもう、オレの好きなハロプロとは別のナニカなんだよ。






そう思うのは、自分がそこそこ長く(16年目)ハロヲタをやってきたからかもしれない。


最近ファンになった人は、特になにも感じてないのかもしれない。


でもどうやら自分にとってはやはりあのつんく♂プロデュースのハロプロこそが「オレの好きになったハロプロ」であるらしい。


いまはもうなくなってしまったものについてそんなこと言ってもしょうがないんだけど、過去の、あるいは現在のわずかなつんく♂成分に触れるたびにそう思ってしまって、なんとも言えない心地になる。




こういうことを言ってしまうのは老害かな?
厄介なつんく♂信者による、ハタ迷惑な戯言だろうか。


でもオレに言わせれば、15年以上続いてきた「つんく♂プロデュースのハロプロ」をいとも簡単に“過去のもの”にしてしまえる精神のほうが信じがたい。


前向きなのは結構なことだけど、つんく♂成分の消えた、ハロプロに似た別のナニカを、どうしてそんなあっさりと受け入れられるんだろう……と思うよ。



だってこれはもう、あのとき好きになって、少し前まで変わらず好きでい続けたハロプロではないのだから。


ハロプロという形をした、それとは別のナニカ。




なのにどうして自分がいまもそれを応援しているのか……たまに不思議に思うけど、理由はひとつしかない。


そこにまだ、モーニング娘。がいるからだ。



それだけが、いまも自分をここに繋ぎとめている理由。


その想いは、日を増すごとに募っていく。



以前ほどには興味が持てなくなってしまったハロプロ(の娘。以外)だけど、モーニング娘。がそこにいる限りは、ここから離れることはできないのだろうな、と思いました。




ハロプロは、テーブル席が空いててもカウンター席に座る存在であってほしい。


最近のハローは、「テーブル席が空いてるんだからそこに座ればいいでしょ」と言うことが多くて、やはり変わってしまったのだなぁと思うことが少なくない。



言ってる意味、わかりますでしょうか。





まぁただの戯言なので、テキトーに聞き流してくださいまし。