去年まで、りほりほはモーニング娘。の圧倒的エースで、センターを任されることも多かった。


そんなりほりほが卒業したからには、次のエースやセンターというのが注目されるのはわかるんだけど、ちょっとそういった肩書にこだわりすぎじゃないか?と思わなくもないです。




いろんなインタビューや、ハロコン初日の記者会見なんかでも「次のエースは?」「センター争いは?」という質問が多くて、そのせいかメンバーたち自身もそれを意識した発言をすることが多くて。


しかし個人的には、なんかそういった「センターだけが目指すべきポジションである」みたいな風潮はピンとこない部分があったりします。



そりゃセンターに立てるもんなら立ちたいだろうよ、とは思うけどさ。


でもセンターって、言ってしまえば「真ん中(目立つ位置)にいる」というだけのことでしょう?


それがそんなに、そこまで重要ですかい?と思ってしまうんですよね。ええ。


もちろん、歌割りが(必然的に)多いし、見てる人に「そのグループの顔」という印象を与えるポジションなのはわかるんですが、ファンって意外とその本質よりもただ「真ん中にいる」ということだけを重要視してしまう傾向にあるような気もする。



ちなみに、いつも言ってますが、センターとエースは別物だと思ってます。


ひとことで言えば、センターは立ち位置であり、エースは生き様である、と。


極端に言えば、センターはいつでも誰でもなれるけど、エースになれるのは(アイドル界を見渡しても)ほんの一握り。
「カリスマ」という言葉は使い古されてもう本来の威厳がなくなってる感がありますが、まぁそれに近いニュアンスですかね。




メディアや事務所やメンバーだけでなく、ファンの側もそういう「次のセンターは?エースは?」みたいな話を盛んにしているところを見ると、なんだかなぁと思ってしまうこの頃です。



東スポwebの石田・尾形インタビューにも、こんな話がありました。




“石田:そうなんですよ。CDのジャケット撮影とか、メンバーの並びの写真が出ると「もしかしたら、次は○○がセンターだ!」って反応がある。


尾形:ありますねー。


石田:まだまだ、そんなの決まってないよー!って思うんですよ。”




ホントそうよね。


何か(りほりほのいない12人の)写真や動画が出るたびに「○○が次のセンターだ!」とか、ラジオのレギュラーになったからって「○○が次のエースだ!」とか即断してるヲタを見ると、おいおいおいと思うわけです。


なんて単純なんでしょう。微笑ましいけどさ。



でもそういうのって、「次は○○がセンターです」とか「エースです」って発表して決まることでもないし、あんまり声高に叫ぶのもカッコ悪い気がするよね。


メンバーの(物理的な)立ち位置とかで少なからず事務所の意図や思惑が伺える部分は確かにあるんだけど、だからといってハッキリ宣言されるわけでもないし、するべきでもないと思うし。



センターとかエースとか、いつからこんな「称号」みたいになったんだろう。


その称号というか言葉だけが一人歩きしてる気がします。それにばかり捉われすぎている。ファンも、もしかしてメンバーも。




もし仮に自分がこういったグループのメンバーだったとして、もちろんセンターになりたいとは思うけど、いまこの状況でなってもあまり嬉しくはないかもしれない。


だってなんか、あからさまじゃないですか。


あまりに「センター」という概念や言葉が取りざたされ過ぎていて、逆に陳腐になってるというか、ちょっと恥ずかしさすらある。


こういうのは、あんまり口にしないほうがいいと思ってしまう派です。


「センター!」「エース!」と(本人にしろ周囲にしろ)吹聴するよりも、さりげなく、でも明らかにセンターあるいはエースであると、言葉にしなくてもそう思ってもらえるオーラを出すほうがカッコいいじゃないですか。


りほりほだって、エースというのはまず彼女のパフォーマンスありきの、あとからついてきた呼び名でしょう?自分はそう認識してるんですがね。


正直に言うと、りほりほに対してもあまり「エース!」とは言いたくないんですよ。
もちろん圧倒的なエースだとは思ってましたが、あえて言わないほうがより凄さが引き立つ気がして。(まぁ結局言っちゃってるんですけど←)



言葉にしなくちゃ伝わらないことっていうのも確かにあるけども、言葉にしないほうがいいこともある。


センターとかエースっていうのは、そういうもののような気がします。



だから例えば、次のシングルか何かで真ん中に立って歌ったメンバーに対して、即座に「○○がセンターだ!エースなんだ!」と騒ぎ立てたくはない。


せめて、そのメンバーがもう圧倒的に、文句のつけようがないくらい、老若男女誰が見てもそう思えるくらいの実力と存在感を示せるようになるまでは。


いまの12人は実力伯仲だから、ひとりだけ抜きん出るというのはなかなか難しいでしょうけどね。だからこそ余計に、センターだエースだと騒ぎたくないと思うわけです。







言いたかったこと、伝わったでしょうか。


微妙なニュアンスのことなので、ちょっと言葉では伝えにくいですねこれ。



まぁアレだ、センターとかエースとか目指すのはもちろん大事だけど、そう頻繁に口に出すもんでもないよねという話。
メディアとかヲタとか、周囲の人間もあんまりそれにこだわり過ぎるのはよそうぜ、という話です。











ところで、本当はりほりほの卒業記事(2つ前のやつ)を書いたら最低でも一週間くらいはブログ更新せずにいようかと思ってたんですが、早速もう2つも書いちゃってる自分を殴りたい。


13期オーデのことはともかく、こんなしょうもない話をダラダラと……。


書きたがりな自分が嫌になってきますね。
りほりほのこと以外は何も考えたくないと思ってるくせに、そうは問屋が卸してくれない。問屋っていうか自分自身ですけど。




こうして相変わらず更新を重ねていって、カウコンのレポやりほりほの卒業記事がどんどんバックナンバーとして下に追いやられていってしまうのが切ない。


でもずっと更新止めちゃうのはちょっといろんな意味で無理だから、しょうがないことではあるんですけどね……。





りほりほが卒業しても、モーニング娘。は続いていくし、自分が認識している世界も続いていく。


「りほりほがモーニング娘。にいない世界」、「りほりほの“いま”を知ることができない世界」が。



わかっちゃいたけど、現実とはなんともシビアなものです。



こんな状態にもそのうち慣れてしまうということが、人間のこの卑屈なたくましさが、ちょっぴり哀しい2016年。あけましておめでとうございました。