10月29日にりほりほがモーニング娘。を卒業する旨を発表したあの瞬間、スマホでその情報を見ながら、全身の血の気が引いていくのを感じていたあの瞬間、真っ先に思ったことは、これで“生きることに対する未練”がひとつ減ったな、ということでした。
まだまだ生きていくつもりではあるけど、人生いつなにが起こるかわからない。
不意に訪れる最後のとき、もし少しでも物事を考える時間があるとすれば、「モーニング娘。の未来を見ることができなくなる」ということを嘆くでしょう。
でも、“鞘師里保のいるモーニング娘。”の未来を見ることは、もうない。
ほんの少しだけ安心していました。
自分は、最後までそれを見ることができる。できた。
これで、もし不慮の事態が訪れても、生に対する最大の未練を抱かなくて済む、と。
それくらい大きいものでした。
鞘師里保のいるモーニング娘。は。
そんな大きなものがなくなってしまった2016年以降の世界は、どこか色彩が欠けているように感じています。
大晦日から昨日まで、甥っ子姪っ子の相手をしつつ、隙を見てカウコンのレポを書いていたからか、なんとなく現実感のないままに三日が経ってしまいました。
なんなら、卒業発表から卒業の日までのその期間よりも、実感が湧いてない。
頭ではわかってるのに、心がシャットダウン状態です。
なにかを受け入れることも、吐き出すこともままならない。そんな心地。
すでにもう何度も書いたことで、言葉にすればするほど「コレジャナイ感」が増していく気がしてるんですが、この5年間は本当に幸せな時間でした。
楽しかったなぁ。
りほりほだけじゃないけど、でもりほりほがいたから、本当に楽しかった。
プラチナ期が終わって、もうこれ以上のモーニング娘。には出会えないんじゃないかと思った直後にやってきた、新しい時代。
この5年間、モーニング娘。のファンとして幸せな時間を過ごせたのは、りほりほのおかげです。
いつのまにか、そこにいるのが当たり前で、娘。にとってなくてはならない存在になっていて。
「エース」と呼ばれる彼女に圧倒されながら、時にその不器用さを心配しつつ、飾らない笑顔に癒されていた日々。
いつか終わりが来ることはわかってたはずなのに、ずっと見ないふりをしてたんだなぁ……と反省。
昔読んだ本に、「本当にすばらしいダンサーは世界を止めることができる」と書いてあったのを覚えています。
秋ツアーの武道館で『冷たい風と片思い』のソロダンスを見たとき、本当に世界が止まってしまったように感じたものです。
2014年までの鞘師里保のダンスは、アイドル界随一とも言うべきレベルの高さを誇り、誰が見てもその凄さに圧倒されるダンスでした。
しかし2015年の彼女のダンスは、まったく別の領域に踏み込んだ、凄いとかレベル高いとかそういった次元を超えるものになってしまったように思います。
自分はダンスには詳しくないけど、理屈抜きで、魂を持っていかれそうになるあのダンス。
モーニング娘。を卒業してしまうことは、もはや誰にも止められない必然だったのかもしれません。
そんなパフォーマンスをする一方で、普段のりほりほは不器用で、どこか抜けていて、ちょっと(?)変態で、本当に可愛らしい女の子でもありましたよね。
愛ちゃんのブログに「愛され鞘師」なんて書いてありましたが、本当にそう。
りほりほは、みんなに愛されていた。みんなりほりほのことが大好きだった。
メンバーも、ファンも、事務所の人たちも。
もちろんこれからもずっと、大好きなままです。
本当はもっともっと、あらゆる言葉を尽くしてりほりほの思い出を語り、いかに楽しかったか、いかに感謝しているかを長文で書くまくるつもりだったんですよ。
でもりほりほの卒業と同時に、自分の中の言葉まで抜け出ていってしまったような心地で、どうにも納得のいく文章が書けそうにありません。
卒業する前に書いとけばよかったなぁw
本当に、こんなに言葉が出てこないのは初めてだ。想いはとめどなくあふれてるのに。
とにかく、りほりほはモーニング娘。を卒業してしまいました。
いつか、帰ってきてくれるのかな。
またステージに立って、ファンを感動させてくれるのかな。
そうなってほしいなと願います。
だけど、これからは心のままに。
5年間、誰よりも輝かしい場所で、誰よりも大変な場所で頑張り続けてくれたから。
やりたいことを、やりたいようにやってください。
あなたを信じてます。
それは、絶対帰ってきてくれるとかそういうことじゃなくて、どこに行っても何をしても、あなたがあなたでいてくれるということを信じてる、という意味です。
存在もすべて、生き方までまるごと、愛しているという意味です。
でもどうか、忘れないで。
あなたには、帰る場所があるということを。
待っている人たちが、たくさんいるということを。
さっきは「生きることへの未練がひとつ減った」と書きましたが、それと同時にひとつ増えもしました。
成長したりほりほを、この目で見ること。
それが実現するまでは、やはり生きることへの未練は消えなさそうです。
もしいつか、ファンの前に帰ってきて、
歌でもダンスでも演技でもなんでも、
またステージに立ってくれるそのときは、
たとえそれが世界のどこであろうとも、
絶対に駆けつけます。
りほりほ。
しばしの別れだ。
また会おう。

大好きな大好きな鞘師里保ちゃん。
くれぐれも気をつけて。
「おかえり」と言えるその日まで。
いってらっしゃい!
まだまだ生きていくつもりではあるけど、人生いつなにが起こるかわからない。
不意に訪れる最後のとき、もし少しでも物事を考える時間があるとすれば、「モーニング娘。の未来を見ることができなくなる」ということを嘆くでしょう。
でも、“鞘師里保のいるモーニング娘。”の未来を見ることは、もうない。
ほんの少しだけ安心していました。
自分は、最後までそれを見ることができる。できた。
これで、もし不慮の事態が訪れても、生に対する最大の未練を抱かなくて済む、と。
それくらい大きいものでした。
鞘師里保のいるモーニング娘。は。
そんな大きなものがなくなってしまった2016年以降の世界は、どこか色彩が欠けているように感じています。
大晦日から昨日まで、甥っ子姪っ子の相手をしつつ、隙を見てカウコンのレポを書いていたからか、なんとなく現実感のないままに三日が経ってしまいました。
なんなら、卒業発表から卒業の日までのその期間よりも、実感が湧いてない。
頭ではわかってるのに、心がシャットダウン状態です。
なにかを受け入れることも、吐き出すこともままならない。そんな心地。
すでにもう何度も書いたことで、言葉にすればするほど「コレジャナイ感」が増していく気がしてるんですが、この5年間は本当に幸せな時間でした。
楽しかったなぁ。
りほりほだけじゃないけど、でもりほりほがいたから、本当に楽しかった。
プラチナ期が終わって、もうこれ以上のモーニング娘。には出会えないんじゃないかと思った直後にやってきた、新しい時代。
この5年間、モーニング娘。のファンとして幸せな時間を過ごせたのは、りほりほのおかげです。
いつのまにか、そこにいるのが当たり前で、娘。にとってなくてはならない存在になっていて。
「エース」と呼ばれる彼女に圧倒されながら、時にその不器用さを心配しつつ、飾らない笑顔に癒されていた日々。
いつか終わりが来ることはわかってたはずなのに、ずっと見ないふりをしてたんだなぁ……と反省。
昔読んだ本に、「本当にすばらしいダンサーは世界を止めることができる」と書いてあったのを覚えています。
秋ツアーの武道館で『冷たい風と片思い』のソロダンスを見たとき、本当に世界が止まってしまったように感じたものです。
2014年までの鞘師里保のダンスは、アイドル界随一とも言うべきレベルの高さを誇り、誰が見てもその凄さに圧倒されるダンスでした。
しかし2015年の彼女のダンスは、まったく別の領域に踏み込んだ、凄いとかレベル高いとかそういった次元を超えるものになってしまったように思います。
自分はダンスには詳しくないけど、理屈抜きで、魂を持っていかれそうになるあのダンス。
モーニング娘。を卒業してしまうことは、もはや誰にも止められない必然だったのかもしれません。
そんなパフォーマンスをする一方で、普段のりほりほは不器用で、どこか抜けていて、ちょっと(?)変態で、本当に可愛らしい女の子でもありましたよね。
愛ちゃんのブログに「愛され鞘師」なんて書いてありましたが、本当にそう。
りほりほは、みんなに愛されていた。みんなりほりほのことが大好きだった。
メンバーも、ファンも、事務所の人たちも。
もちろんこれからもずっと、大好きなままです。
本当はもっともっと、あらゆる言葉を尽くしてりほりほの思い出を語り、いかに楽しかったか、いかに感謝しているかを長文で書くまくるつもりだったんですよ。
でもりほりほの卒業と同時に、自分の中の言葉まで抜け出ていってしまったような心地で、どうにも納得のいく文章が書けそうにありません。
卒業する前に書いとけばよかったなぁw
本当に、こんなに言葉が出てこないのは初めてだ。想いはとめどなくあふれてるのに。
とにかく、りほりほはモーニング娘。を卒業してしまいました。
いつか、帰ってきてくれるのかな。
またステージに立って、ファンを感動させてくれるのかな。
そうなってほしいなと願います。
だけど、これからは心のままに。
5年間、誰よりも輝かしい場所で、誰よりも大変な場所で頑張り続けてくれたから。
やりたいことを、やりたいようにやってください。
あなたを信じてます。
それは、絶対帰ってきてくれるとかそういうことじゃなくて、どこに行っても何をしても、あなたがあなたでいてくれるということを信じてる、という意味です。
存在もすべて、生き方までまるごと、愛しているという意味です。
でもどうか、忘れないで。
あなたには、帰る場所があるということを。
待っている人たちが、たくさんいるということを。
さっきは「生きることへの未練がひとつ減った」と書きましたが、それと同時にひとつ増えもしました。
成長したりほりほを、この目で見ること。
それが実現するまでは、やはり生きることへの未練は消えなさそうです。
もしいつか、ファンの前に帰ってきて、
歌でもダンスでも演技でもなんでも、
またステージに立ってくれるそのときは、
たとえそれが世界のどこであろうとも、
絶対に駆けつけます。
りほりほ。
しばしの別れだ。
また会おう。

大好きな大好きな鞘師里保ちゃん。
くれぐれも気をつけて。
「おかえり」と言えるその日まで。
いってらっしゃい!
